第17話 王女のお茶会(3)
「失礼いたします!!」
サロンから聞こえた令嬢達の悲鳴に驚いた騎士が一人、ドアを開けて室内に飛び込んできた。
あざやかな赤毛をした騎士だ。
目の前に現れたその光景に、彼はあぜんとする。
そこには、まっ白なカーペットの上に立ち、落とすまいと必死に香水瓶を握るオーロラの姿があった。
なぜかオーロラの全身には赤い液体が吹き付けられ、さらに瓶を持つ手を伝って赤い液体がカーペットの上に滴り落ちていた。
騎士は悲鳴を上げている令嬢達を見、笑いをこらえているコレット王女と筆頭公爵家の令嬢カリナを見た。
「おい、何があった……」
もう一人の騎士がサロンに入ってくると、赤毛の騎士は無言でオーロラを示す。
オーロラの姿を見るなり、彼は慌ててサロンを飛び出して行った。
「そこのあなた、何かバケツのようなものを持って来てください。それとタオルを」
侍女が走って戻ってくると、赤毛の騎士はバケツをオーロラの手の下に掲げた。
「大丈夫です。オーロラ嬢、さ、そっと手を離してください」
「は、はい」
オーロラが力を緩めると、香水瓶はごと、っと音を立てて、バケツに落ちた。
赤い液体がぴしゃ、と音をたててバケツの中で跳ね返った。
騎士はタオルでオーロラの濡れた手を拭うと、別なタオルで赤い液体にまみれた全身を覆おうとしてくれた。
しかし、オーロラはそっとそれをさえぎる。
全身に赤い液体がかかって汚れてしまったオーロラは、静かにコレットを見つめた。
次に、テーブルに揃う令嬢達を。
最後に、婚約者であるアレックス王子と、アレックスの隣に座る筆頭公爵家令嬢のカリナを。
「ひ……っ!」
コレットの表情が青ざめた。
赤い液体を被ったオーロラは、見ようによっては、まるで血だらけのようにも見えたのだ。
そして、オーロラの、まさに『笑わない伯爵令嬢』そのまま。
表情の一切ない、静かな表情が、令嬢達をひるませた。
誰も、オーロラに近づかない。
婚約者であるはずの、アレックス王子でさえ。
「退出のご許可を、コレット王女殿下」
オーロラの言葉に、しかし返事を返す者はいなかった。
オーロラはふう、とため息をつきそうになるのをこらえる。
ゆっくりと赤の散った両手でグレーのドレスの裾を持ち上げる。
深く腰を落として、オーロラは美しいカーテシーをした。
しん、と静まった中、オーロラは堂々と顔を上げ、サロンをまっすぐに歩き、開かれたドアに向かう。
オーロラの背後で、騎士がついて来てくれているのを感じた。
サロンを出ると、待ちかねたように、ドアが素早く閉められる。
赤毛の騎士が歩み寄り、オーロラの体を大きなタオルですっぽりと包んだ。
「オーロラ嬢」
励ますように、ぽんぽんと背中を叩いてくれる。
「さ、この場を離れましょう。このお姿ではもう茶会どころではありませんからね」
騎士はオーロラを守るように引き寄せると、居合わせた侍女に尋ねた。
「汚れた床の後始末のやり方はご存知だと思うが?」
「は、はい、片付けます」
騎士はうなづくと、そのままオーロラに付き添って廊下を進んだ。
騎士は様子を把握した後はもうコレット達の方を見もしなかった。
王女に退出の許可を得る必要があるとも思わなかった。
オーロラはすでに王女にはっきりと退出の許可を求めていたし、彼女の言葉に返事をしなかったのは王女自身だったからだ。
ラウンドテーブルに集まった六人。
そこにオーロラの席がないのを見てとった。
もともと、オーロラは客扱いもしてもらえなかったのだろう。
騎士は後悔することもなく、さっさとオーロラを連れて王宮騎士団本部に向かったのだった。
一方、サロンには沈黙が流れていた。
おもむろにセイディが立ち上がる。
「コレット王女殿下、アレックス王子殿下、皆様、大変失礼ではございますが、わたくしもこれで!」
セイディは丁寧にカーテシーをすると、そのまま返事も待たずにサロンを駆け出して行ってしまった。
「わ、わたくしも!」
「コレット殿下、アレックス殿下、カリナ様、とてもよいお茶会でしたわ!」
「ごきげんよう! また学園でお目にかかりましょう!」
弾かれるように立ち上がると、ソニアとイベットも続いた。
お茶会は、終わりだ。
***
「オーロラ!」
オーロラが赤毛の騎士に伴われて騎士団の本部に着くと、フォレスティ伯爵が蒼白になって走ってきた。
「話は聞いた。大丈夫か、ケガは?」
「ケガはありません」
オーロラは首を振った。
「でも、この液体……何なのでしょう? まだ乾いていませんわ。床に垂れて、あちこち汚してしまいます」
オーロラは泣きそうな声で続けた。
「心配しないでいい。お父様がもう家に連れ帰ってあげるから、心配するな。それにそんな不恰好なドレス、汚れてしまったって、惜しくないからな。さっさと捨ててしまおう」
フォレスティ伯爵はそう言うと、タオルごとぎゅっと娘を抱き上げた。
「ジョハン、本当にありがとう。娘に気をつけていてくれて。おかげで助かった」
「礼はいいんですよ。私たちだって、騎士団の家族があんなめにあったら、気分が悪いんだから」
ジョハンと呼ばれた騎士はそう言うと、フォレスティ伯爵の肩をポン、と叩いてまた持ち場に戻って行った。
***
その日の夜のことだった。
暖かくしたリビングルームで、改めてオーロラからコレット王女のお茶会の話を聞いたフォレスティ伯爵は憤り、「明日は学園にも行く必要はない」と言い切った。
「オーロラ、少し家でゆっくりしていなさい」
「でもお父様、わたくし、病気などではないのですよ?」
オーロラはゆったりとした室内着に着替えて、ソファに座っていた。
「病気になってもおかしくないくらいだと、お父様は思うよ。おまえは頑張りすぎだ。アリス、オーロラに温かいココアでも作ってやってくれないか」
「かしこまりました」
そう言ってキッチンに向かったはずの侍女のアリスだったが、ほどなくしてまた戻ってきた。
「旦那様、オーロラお嬢様。お嬢様にお会いしたいとお客様がお越しになっていますが、どうなさいますか?」
「オーロラに? もう夜だぞ? いったい誰が来たのだね?」
「はい、セイディ・シリュー侯爵令嬢と名乗られました」
「セイディ!?」
オーロラは驚いて声を上げた。
「オーロラ、知っている子かね?」
「ええ。学園で同級生ですし、いい方なんです。今日のお茶会にも出席していたけれど……お父様、わかりますでしょう? 侯爵令嬢のセイディには選択の余地はないんです。わたくし、セイディに会いたいわ。お通してしてもよろしいですか?」
フォレスティ伯爵はうなづいた。
アリスが急いで玄関に向かう。
「セイディ……シリュー侯爵のご令嬢か? 侯爵といえば、騎士団長だぞ?」
「あ」
オーロラは父親と目を合わせる。
「……そうでしたわ。おっしゃるとおりです。閣下のお嬢様ですわね」
「シリュー侯爵令嬢がいらっしゃいました」
アリスがドアを開けて、黒髪の小柄な令嬢を通した。
「フォレスティ伯爵、オーロラ様、こんな時間にお伺いして、大変失礼いたしました。どうしても、今日中にオーロラ様にお詫びをしたくて……」
紺色のシンプルなドレスを着たセイディが、深々と頭を下げた。