第15話 王女のお茶会(1)
「お父様、それでは行ってまいります」
「いつもどおりかね? 王立学園から、午後は王宮かな。気をつけて行っておいで。私も午後から王宮にいるから、何かあったら……」
オルリオン王国、王都にあるフォレスティ伯爵家のタウンハウス。
その玄関先では、そんな何気ない、いつもの会話が交わされていた。
「わかってますわ。いつもありがとうございます」
しっかりとした口調で返すと、オーロラは微笑む代わりに軽く頭を下げた。
少女にしては低めの声。
いつのまにかすらりと背が伸び、その年頃にしては長身の少女に育った。
ただ、長い白金の髪を背中でまとめ、体に合わない不恰好なドレスを着た姿は変わらない。
カラカラと軽快な音をたてて、オーロラを乗せた馬車が門を出て行く。
「あんな格好をしていても、本来の美しさがにじみ出るようだ」
「さようでございますね」
自分の独り言に返事があって、フォレスティ伯爵はあわてた。
恥ずかしいことはないが、自分が一人娘に甘々な父親であることは、自覚していた。
フォレスティ伯爵の後ろで、オーロラの教育係……今ではそれよりもオーロラの大切な世話役としての役割の方が大きくなったリンネ夫人が微笑んでいた。
「オーロラお嬢様は旦那様に似て、運動神経が発達しているようですの。ダンスがお得意で、それが本当にお美しいのですよ。デビュタントの際には、旦那様もさぞ鼻高々になられることでしょう」
「たしかに、オーロラの身のこなしの軽やかなこと。我が娘ながら惚れ惚れしてしまうからな」
オーロラが美しく育ったのなら、父親は、立派な親バカに成長した。
フォレスティ伯爵が嬉しそうに目を細める。
真っ白なドレスを着てエスコート役の父親と踊る愛娘。
それはフォレスティ伯爵にとっても、心躍るものだった。
(よし、その時は私がオーロラにドレスを贈るぞ。王妃の好きにはさせるものか。あの女は趣味が悪すぎるからな)
フォレスティ伯爵は考えに浸りながら、タウンハウスの中に戻った。
朝の挨拶をする使用人達に挨拶を返しながら、彼の足は自然にサロンへと向かう。
一階にある、南向きで日あたりのよいサロンは、亡き妻のお気に入りだった場所だ。
オーロラは十六歳になった。
本来であれば、デビュタントを控え、またそろそろ婚約者選びが本格化する頃だ。
しかしオーロラは———。
フォレスティ伯爵は二年前のあの日を思い出す。
衝撃的な、オーロラの告白を。
「『真実の愛』、か……」
フォレスティ伯爵の声が沈む。
あの日、オーロラは父であるフォレスティ伯爵に言ったのだ。
『アレックス王子との婚約を辞退してくださいませ』と。
『わたくしは赤ん坊の時にミレイユ王妃に呪いをかけられました。もしわたくしの結婚相手が『真実の愛』の相手でない場合、その方は呪いによって死ぬと言われています。このままでは、アレックス王子はわたくしと結婚して、死ぬことになるでしょう』
オーロラがアレックス王子を愛していないのはよくわかっていた。
この縁組を受け入れたのは、ただただフォレスティ伯爵家として断ることができなかったから。
それに尽きる。
それだけに、フォレスティ伯爵の衝撃は恐ろしいものだった。
「呪い、だと? オルリオン王国にはもはや魔法は存在しない。今でも魔法が残ると伝えられているのは、北方のノール王国と、ドゥセテラ王国……」
フォレスティ伯爵は深いため息をついた。
妻のアストリッドはノール王国の王女だった。
しかしすでに他界して久しい。
「もし彼女が生きていたなら、ノール王国の国王陛下に助けを求めることができたかもしれないが……」
一方、ドゥセテラ王国は。
「あのミレイユ王妃はドゥセテラの貴族の末裔という噂もある。オーロラに呪いをかけたのなら、それは十分あり得るかもしれない」
ドゥセテラ王国にも、つてはない、ということになれば———。
呪いを解く方法はない。
「あのアホ王子がオーロラの『真実の愛』のわけがないからな」
オーロラは一生独身でいるか、あるいは『真実の愛』と出会って、その人と結婚するしかない。
しかし、王子の婚約者であるオーロラが、『真実の愛』を探すことはほぼ不可能だ。
「オーロラの言うとおり、まず王子との婚約を自然に解消できればいいのだが。あの王妃がなぜか婚約を解消させない。どういうことなんだ……オーロラを気に入っているわけでもないのに」
もっと早く、呪いのことを知っていれば、そもそも婚約を受けるべきではなかったが———。
フォレスティ伯爵を襲う、激しい後悔の念を見てとって、オーロラは穏やかに言った。
『お父様。どうぞお母様を責めないでくださいませ。お母様はもし他言したら、わたくしが死ぬ事になる、と言われていたのです。ですから、誰にも言うことはできませんでした』
オーロラは淡々と父に説明を続けた。
『お母様がわたくしに、男の子との接触を避けるようにさせたのも、呪いによって誰かが犠牲になることを避けたかったからなのです』
『真実の愛』。
そんな抽象的なもので、愛娘の運命を縛っていたとは。
フォレスティ伯爵は、そこでようやく、地味な服を着て、顔を隠そうとするオーロラの不思議な行動の理由が解けたのだ。
そんなもののせいで、愛する娘から、美しい少女時代を奪っていたのか!
フォレスティ伯爵はオーロラとの会話を思い出す。
『「真実の愛」だって!? たとえ王子と婚約していなかったとしても、そんな抽象的なもの、どうやって探すというのだ。大体、宮廷恋愛小説でもなし、そんなものが現実に存在するとでも?』
そう言った父に、オーロラは初めて見せる、まるで花のようなふわりとした笑顔で言ったのだ。
『ふふ。おかしいですわね。わたくし、「真実の愛」はあるような気がしておりますの。だって———』
オーロラはまっすぐに父を見つめた。
『だって、お父様とお母様は「真実の愛」で結ばれましたでしょう? ですから、わたくしも……どなたかと何もかも超えていける、そんな愛があるような、そんな気持ちを持っておりますの。ですから、お父様、どうぞ心配なさらないで。もしかしたら、将来、呪いなんて馬鹿馬鹿しかったと大笑いできる日が———くるかもしれません』
フォレスティ伯爵は声を失った。
呆然と、穏やかにたたずむ愛娘を見つめる。
ああ、なんて日に日にオーロラは愛する妻、アストリッドに似てくるんだろう———。
フォレスティ伯爵は、ただオーロラを抱きしめることしかできなかった。
しかし。
フォレスティ伯爵の憤りは深かった。
(たしかに、アストリッドとの愛は、「真実の愛」と言ってもいいかもしれない。しかし、愛は探そうと思って探せるものではないのだ)
貴族の結婚には、家の事情や金や名声、さらには嫌な話だが、血筋などが大きくものを言う。
アストリッドとの出会いは、本当に、まるで夢のような———不思議な偶然によってもたらされたものなのだ。
(たとえ、娘を何よりも愛している父親であっても、オーロラが心から愛せる男性と出会えると保証してやることはできない)
ミレイユ王妃は、『真実の愛』の呪いなんてものをかけておきながら、なぜ平気で自分の一人息子をオーロラと婚約させているのか———。
おまけに、いつもオーロラへの気遣いを装って贈ってくる、地味で不恰好なドレス。
温厚なフォレスティ伯爵でも、それが意図的なものであることには、さすがに気づいていた。
「私にはわからない」
フォレスティ伯爵はついそうつぶやいた。
伯爵から初めて呪いの詳細を聞いたリンネ夫人も衝撃を受け、今まで以上にオーロラを守ろうとしてくれている。
しかし、相手は王家。
二年前、フォレスティ伯爵家が申し入れた婚約の解消は、はっきりと拒否された。
オーロラは今でもアレックス王子の婚約者だった。
しかし、好転したこともある。
王宮に勤める王宮騎士団の面々は、次第にオーロラに対するミレイユ王妃とその子ども達の理不尽な仕打ちに目を留めるようになってきた。
立場上、正面からは何をすることもできないが、勤務の合間を縫って、さりげなく騎士が一人、オーロラのそばにいるようになったのだ。
そして何かあれば、仲間の連絡網を使って、父親であるフォレスティ伯爵に迅速に知らせが届く。
フォレスティ伯爵は、そんな仲間の思いやりに深く感謝していた。
第三者の目があることは大きい。
加えて、オーロラにも何かあれば、王宮騎士団の騎士に頼るようにと言うことができていた。
「オーロラ、一人で抱え込むないでくれ……お父様に何でも相談するんだよ……」
目の前には、アストリッドの肖像画が架けられている。
髪の色は銀色で、瞳の色は青だったが、驚くほどオーロラに似ていた。
「アストリッド。どうかオーロラを天国から見守っていておくれ」
フォレスティ伯爵は、窓から王都の景色を見つめながら、つぶやいた。