第13話 それぞれの決意(2)アスラン
「アスラン、倉庫にいるのか?」
デルマス辺境伯ルドルフが暗がりに声をかけると、ごん! という鈍い音がして、その後ガチャガチャと金属のこすれる音が続いた。
「アスラン?」
「は、はいっ! 閣下、私はここにおります。今出ますので、少々お待ちを……」
そう答えると同時に、がしゃん!! とさらに盛大な音がした。
ルドルフが笑いをこらえて声をかける。
「かまわん。急ぎではないから、そこを片付けたら訓練場へ来い。待っている」
「は、はいっ!!」
ルドルフの足音が遠ざかってしばらくすると、アスランがひょい、と姿を現した。
あんなに「ごん!」とか「がしゃん!!」とか賑やかな音をさせていたのに、彼の手に握られていたのは、細い革紐が数本だった。
「よし、これで修理ができるぞ」
アスランは嬉しそうに言うと、革紐を大切にポケットに収め、二階にある騎士の訓練場に向かった。
従騎士のアスランは辺境伯であるルドルフの従者も務めている。
主人であるルドルフの身の回りの世話から、戦闘時のサポート、武具の手入れ・管理は大切な仕事である。
もちろん、ルドルフの馬の世話と馬具の手入れ、馬小屋の掃除もある。
とはいえ、ルドルフの従者は何人もおり、アスランがすべてを担当しているわけではない。
さらにルドルフはアスランを戦争の時でも最前線には連れていかない、と明言していた。
「私も騎士ですっ(見習いですが)……!!」
そう叫んだアスランだったが、ルドルフは黙って首を振った。
しかし、アスランをルドルフの武具の管理者に任命してくれたのだった。
騎士にとって大事な武具、しかも辺境伯本人の命を預かる武具の管理者である。
「おまえの腕とその性格を信頼して任せる」
そう言われ、先輩の従騎士や騎士達からやんややんやと拍手され、アスランはさっき叫んだことも忘れ、光栄のあまり真っ赤になって震えた。
「は、はいっ!! 承りました……っ……!!」
「アスラン、またそうやって叫ぶんだから」
「いいから、少しは力を抜け」
「ちゃんと筋肉をつけろよ。肉を食え、肉を。領主様の剣は重いぞぉ〜」
「わからないことがあれば、執事のスチュワートに聞けよ? あの方は引退するまで、領主様の片腕だった騎士だからな」
「そうそう。武具の手入れや補修は、あの方ならまず知らないことはない。しっかりと教えてもらえ」
アスランは仲間の声に、コクコクとうなづいたのだった。
(よしと。領主様の荷物はすべて運び出して、五階の衣装部屋に戻した。王都への旅は戦争ではなかったから、それほど武具も持っていかなかったし、手入れの必要なものもあまりない)
(念のために予備の剣を入れ替え、切れかけていた剣の吊りひもを編み直してと。修理用のひもは見つけたし、あとはスチュワートに編み方をもう一度見せてもらおう……)
(あ、そうだ。洗濯の必要な衣装を家政婦長のモリソン夫人に渡しておかないと)
アスランは頭の中に次々にメモを取りながら、足早に細い通路を歩いて行く。
辺境伯の住まうロシュグリー城は岩山に張り付くようにして建てられているが、基底部分はその岩盤を掘り進んで造られている箇所も多い。
アスランがいたのは岩盤を掘って造られた巨大な洞窟部分で、そこには武器庫と倉庫があった。
アスランは武器庫を出て、城内の細く入り組んだ通路を進み、騎士達の宿舎を通り過ぎた。
その先にはぽっかりと開けた中庭が造られており、騎士の訓練場として使用されていたのだった。
「アスラン! 遅いぞ」
「はっ! 申し訳ございません!」
アスランが慌てて駆け寄ると、ルドルフは手に持った剣を一本、アスランに放り投げた。
「うわぁっ」
アスランは何とか剣を受け取る。
刃をつぶした練習用の剣ではあるが、その大きさ、重さは実戦で使う剣と大差はない。
「毎月定例の小手調べだ。かかってこい」
ルドルフは剣の鞘を放り出し、構えた。
練習用の剣が小さく見えた。
ルドルフは筋肉を鍛え上げた大男だ。
短く整えた、濃い茶色の髪は精悍な男らしい印象にふさわしい。
一方、緑色の目は細くて、どことなく愛嬌があった。
しかしアスランに向けて剣を構える今、ルドルフの目はこれ以上なく厳しい光をたたえていた。
アデルは夫のことをダーリン呼びをするし、城内の者は辺境伯夫妻を『美女と魔獣』と冗談で呼ぶこともあるが、戦場では負けなしの、正真正銘の歴戦の騎士。
アスランはルドルフに心からの敬意を払っていた。
「閣下! 参ります……!!」
アスランは剣をぎゅっと握って、地面を蹴った———。
***
ぴしゃん……。
アスランの閉じた目の上に、水滴が落ちた。
「うわっ……!?」
アスランが慌てて起き上がると、周囲から笑い声が上がった。
「気がついたか、アスラン」
「領主様の剣をまともに受けて、よく腕が折れなかったなぁ」
「おまえも成長したよ、アスラン」
「あんなにちっこかったのに。お兄さんは嬉しいよ〜」
「!??」
アスランは地面に放り出された剣と、じんじんと痺れている右手を交互に見やる。
どうも、ルドルフのたった一太刀に吹き飛ばされて、一瞬、意識を飛ばしたようだった。
(ああ……まさに毎月恒例)
アスランはしょんぼりとして肩を落とした。
「まあ、そんなに落ち込むな」
頭をぽん、と叩くルドルフの大きな手を感じて、アスランは顔を上げた。
「おまえの剣は日に日に重くなっているのがよくわかる。おまえはまだ十六歳だ。体作りをしっかりしろよ。肉を食え、肉を。正騎士になりたいんだろうが」
その言葉を聞いて、アスランは飛び上がった。
「閣下!?」
「一年後だ」
ルドルフはあっさりと言った。
「一年後、おまえが十七歳になった時にまだ生きていたら、正騎士に叙任してやる。晴れて辺境騎士団の仲間入りだ。それまでしっかりと鍛えるから覚悟しておけ。肉を食うのを忘れるな?」
「!!」
騎士に叙任!?
辺境騎士団の騎士に、なれる……?
『わ、私は騎士です!』
『き、貴婦人をお助けするのは、騎士の務め。どうぞ私にエスコートさせてください!』
白金の長い前髪を必死に顔に垂らして、顔を隠そうとしていた少女。
珍しいアイスブルーの瞳には、涙の粒が付いていた。
あの時に、自分の心臓は止まるかと思った。
か弱いものを守ってこそ、誇りある騎士。
彼女に言ったとおり、本物の騎士になれるんだ!
今度こそ、彼女を守る、本物の騎士に———。
アスランは喜びのあまり顔を真っ赤にした。
何度も何度も、お辞儀をする。
「わかった、わかった。さあ、午後は遠泳訓練があるぞ。しっかり昼飯を食ってこい」
「はいっ! しっかり肉を食ってきます!」
アスランは威勢よく返事をした。
騎士仲間に小突かれながら、笑顔で食堂へと走っていく。
あの少女はどこの令嬢だったのだろう。
伯母上に尋ねれば、わかるかもしれない。
いつか———いつか、また会えるかもしれない……。
(オーロラ)
アスランは心の中で、そっと少女の名前を唱えてみた。
(オーロラ。美しい名前だ。彼女を迎えに来た騎士達は、オーロラ嬢と呼んでいた)
アスランは廊下を勢いよく駆け抜ける。
(彼女を守るために、一人前の騎士になるぞ!)
アスランの心は喜びで弾む。
「あの坊主が。ずいぶん大きくなったもんだ」
ルドルフの独り言は、海からの風に吹き飛ばされて、消えていった。
しかし、誰にも言うつもりはないが、アスランの気持ちはよくわかる。
アデルを娶ると決めた日のこと。
当時まだ存命中だった、先代辺境伯、つまりルドルフの父は言ったのだ。
『結婚を決めたのなら、命を賭して、アデル様をお守りせよ。それができてこそ、辺境の男』
同じ言葉をアスランに贈る日は、まもなく訪れるのだろうか———。
***
それから十日後。
「奥様、調査結果が届きました」
アデルが彼女の書斎で書類を眺めていると、執事のスチュワートの声がした。
「ありがとう。早かったわね」
アデルは礼を言うと、スチュワートから受け取った書類の束をさっそく開いて読み出した。
そして冒頭に記された文言に、はっとして、小さくうなづく。
そこには、『お尋ねの少女は、アストリッド・フォレスティ伯爵夫人の遺児、オーロラ・フォレスティ伯爵令嬢である』とはっきりと書かれていた。
「やはり」
スチュワートも退室し、一人きりになった執務室で、アデルは次々に書類に目を通していく。
その表情は次第に強ばり、怒りが現れ始めた。
『オーロラ嬢は現在十四歳。十二歳の時にアレックス王子の婚約者となったが、正式なお披露目パーティや婚約式は開かれていない。そのため、王子の婚約者として知られておらず、当然受けるべき待遇や敬意を受けていないように見受けられる。一方、ミレイユ王妃による王子妃教育を受けるために、毎日のように王宮に通っている』
『オーロラ嬢は侍女の同伴を認められておらず、王宮に通う際は一人で来るように指示されている。王子の婚約者として必要な護衛騎士は王宮に来る時にだけ付けられている』
『午前中は王立学園で授業を受けているが、学園内では護衛騎士もいないため、オーロラ嬢は常に一人である』
『ミレイユ王妃はオーロラ嬢の着るものを管理し、かならずオーロラ嬢の体よりも大きなもの、飾りが一切ないもの、灰色や茶色などの地味な色のドレスを選ばれる』
『オーロラ嬢はミレイユ王妃から贈られたドレスを着用し、学園では笑いものになっている』
『オーロラ嬢は学園で孤立しており、「笑わない伯爵令嬢」と揶揄されている』
「笑わない伯爵令嬢?」
アデルは表情を曇らせる。
「なんてひどい」
アデルは、きゅっと口もとを引き締めた。
王宮の中庭でアスランと一緒にいたオーロラの姿を思い出す。
オーロラは母のアストリッドによく似た面ざしの美しい少女に成長していた。
なのに、侍女一人も連れずに。それにあの地味すぎるドレス。
オーロラはアレックス王子の婚約者なのに?
『コレット王女はオーロラ嬢を虐める女生徒達のリーダー格であり、一方、婚約者であるアレックス王子はグランヴィル筆頭公爵家の令嬢であるカリナ嬢を伴って登校される———』
ばん! と机を叩く大きな音がした。
アデルは立ち上がると、怒りを持った目で、机に散乱している書類を睨みつけている。
「どういうことなの……」
アデルはつぶやいた。
「わたくしの大切な親友、アストリッドの忘れ形見であるオーロラが、なぜ、こんな状況に?」
アデルは机を離れ、大きな窓の前に立ち、雄大な海の景色を見つめた。
(こんなことを考える人間はただ一人。わたくしを辺境に追い払って、もう安心したのか知らないけれど、それは甘すぎるとやがて気がつくでしょうね)
アデルは再び、机に散乱した報告書を、今度はじっくりと読み始めた。
「ミレイユがアストリッドに好意的だったことは、一度もないわ」
アデルはつぶやく。
ミレイユはなぜ、大事な一人息子の婚約者に、オーロラを据えたのだろうか?
調査書は、令嬢達からオーロラへの意地の悪い仕打ち、筆頭公爵家の令嬢カリナの存在。ミレイユの過酷な王子妃教育についても書かれていた。
(アスランが、オーロラに好印象を持ったのはたしかだわ。でもよりによって、アレックス王子の婚約者だったなんて。これはいろいろ調べてみなければ)
(アストリッド。あなたが亡き今、オーロラを守るのは、わたくしの役目)
アデルは今は天国にいる、彼女の大切な親友に、そっと話しかけた。
そして悔いた。
突然のアストリッドの死。
遺された子どもに、今まで会いに行かなかったことを。
(何かがおかしい。フォレスティ伯爵は、子煩悩な父親だった。そんな彼が、アストリッドの死後、オーロラをそんな境遇に甘んじさせているというのは、何か理由があるのではないか)
アデルはスチュワートを呼び、オーロラ・フォレスティ伯爵令嬢について定期報告をさせるように命じた。
「それにしても」
アデルは書類をきちんとまとめると、鍵のかかる引き出しに丁寧に収めた。
「アスランをせっかく、王城から遠ざけていたのに、こんな風に、また関わってしまうことになるとは。やはり王都に連れて行くのは早すぎたかしら……それにしても、ヘンリーときたら。何歳になっても頼りない。いつになったら目が覚めるのかしらね。目が覚めないのなら、王の地位にあることは考えものだわ」
考えることはたくさんある。
その日、アデルは夕食前に着替える時間になるまで、執務室を離れることはなかった。