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第9章 できること

組紐の色の真相について――ナマメと二人で導き出した残酷な仮説に、イザヨイは薫や大夢が「優先順位の低い者」であろうとも決して見放すまいと強く決意する。そして彼らに対して死神としてでき得ることをついに見定めたのだった



 「これが君の考える葡萄色(えびいろ)への処方なのかい」

 介入の申請書類から目を上げて、イナミさんは今一つ腑に落ちない様子で私に尋ねた。

 「これで様子を見たいと思います」

 昼間の詰所でデスクを挟んで向き合い、私の顔をじっくりと見据えると、ふむ、と短く唸ってそれを脇に置いた。常のごとく積み上げられた書類の山の上に。

 「なるほど、まあいいだろう。さて、問題はこちらだ」

 難しい顔でもう一つの書類を取り上げる。大夢(ひろむ)についての、それは提案書だった。

 「人形(ひとがた)を使う儀式はかなり上級者向けだよ。神の側にも人間の側にも負荷が大きいし、間違えれば呪い返しになる」

 私が辞書から調べ出したのは、人形(ひとがた)依代(よりしろ)に対象者にかけられた(のろ)いに逆方向の力をかけて打ち消すというものだった。

 「よりよい方法があればご教示ください」

 眉間に皺を寄せて目を閉じ、イナミさんは珍しく考え込んだ。

 「言いたいことはわかる。けど君はこれが一度やれば永遠に解決するような性質のものだと思うかい」

 それで大夢と縁が切れると思うのか、と問われているのだ。

 「いえ……、少なくとも心の傷が癒えて完全に立ち直るまでは、何度か同じ処置を施さなければならないと思います」

 相手にするのは特定の個人の暴言のみならず、それに乗じて彼を苛むインターネットの言説という、不特定多数が作り上げる実体のないバケモノのようなものだ。一度綺麗に排除したとしても、何度でも新しく降りかかり彼に祟りつくであろう。それに記憶そのものを消すわけではないので、日常の出来事や他のメディアなどの些細な情報がトリガーとなって繰り返し傷を開くことも当然想定できる。

 「そうであればなおのこと、何度もできないような手段を取るべきではない」

 イナミさんの指摘は御尤もだった。

 「邪気祓(じゃきばら)いを応用するのはどうですか、繰り返すことを前提とするなら」

 ふいに戸口のところで声がして振り向くと、いつの間にかマカツがそこに立っていた。腕を組んで壁に寄りかかり、いつもの気障(きざ)な薄笑いを浮かべている。

 「すみません。たまたまお話し中だったのでつい、少し立ち聞きをしてしまいました。今日はイナミさんにお伺いしたいことがありまして」

 以前ラゴウがそうして私に茜の事を聴き取りに来たことを思い出し、嫌な感じが胸をよぎった。イナミさんの反応を待つことなく、マカツはこちらへ近づきながら話し始めた。

 「僕たちの方で今捜索している迷子がいるのですが、槙野(まきの)(たける)という二十歳の青年で、調査の結果、実は生前に自殺志願者として自殺対策班(そちら)でお世話になっていたとの情報に行き着いたのです。菖蒲(あやめ)色の案件であった、と」

 ――トミテのケースだ。

 「そちらではどのような扱いになっていますか。いえ、聞いたところによると自殺を遂げたのだそうですね? ところが実のところ、彼は死んではいなかったのだそうですよ。人間の賢明な医療によって一命を取り留めた――従って僕たち冥府ではこの件について、一切把握していなかったのです。おかしいと気がついたのは縁神(えんのかみ)の方から目録を消すのかと問い合わせが来たためで、生存が確認できなくなったのに冥府から連絡が来ていないというものでした。すぐに僕たちは冥府にいる霊を改め、これと同時に現場で対応したはずの死神課事後処理班にも問い合わせましたが、結論としてはやはりどちらからも死亡者として認知されていなかった。では何かの手違いで縁神が死んだものと誤解したのだろうと冥府(うち)の者が確認のため本人を見に行くと、彼は病床で昏睡状態にあり、肉体は生存しているものの魂を宿してはいなかった。つまり――どこかに消えてしまった」

 不思議ですよね、というふうにマカツは肩を竦めた。

 「……他の子が聴いていないところでしてほしいね、そういう話は」

 厳しい表情でずっと耳を傾けていたイナミさんはそう一言苦情を呈した。

 「おっと、そうですよね。僕としたことが、配慮がありませんでした」

 わざとらしく、謝っているつもりなのかわからない言い方だ。

 「ただ槙野尊を担当していたのはこのイザヨイさんと同期の若い方だと聞いたので、僕としては彼女に直接コンタクトを取るよりは管理職であるイナミさんにご相談するのが筋だろうと考えたのです」

 茜の事について、かつての上司でもあるイナミさんを通さずに直接私に問い質しに来たラゴウを意識して言っていると、私は思った。

 イナミさんは机をトントンと指先で叩きながら低く唸った。

 「わかった。今、少し時間を取って話そうか。君はまた明日にでも来なさい、これは僕が預かっておくから」

 私に言って椅子から立ち上がる。マカツとは場所を変えて話すらしい。

 マカツもまた、私に言った。

 「ごめんね。ああそれと、邪気祓いをするなら浄化剤を分けてもいいですよ。祟神も持っているけど、ラゴウと鉢合わせするのを避けたいなら」



 邪気祓いとは、読んで字のごとく、邪悪な気を祓うことであるらしい。

 二人が出て行った詰所で、私はさっそく前の日に調べたばかりの辞書を繰った。なるほど呪いそのものを解くことは難しくとも、呪いの影響から守ることはできる。感染予防のために心の傷を治す手立てはなくとも、傷を悪くする呪いから守ることはできる――マカツが言ったのはそういう理屈だろうか。そして同じ解を求めるなら、私が考えたような大掛かりな手法を取る必要はなく、もっとシンプルな方法が考えられるのだと。

 辞書の前でしばらく考え込んだ。頭のいい人の答案という感じがする。

 学精時代の同期の知り合いにも冥府に受かった者がいたが、こんな風に難しい問題を簡単に解いてみせる頭を持っていた。最も簡単な解法を容易く導く天才だった。


 ――自分の頭の悪さが嫌になる。


 私は額をバリバリと掻いた。何はともあれ、これが上手くいくならかなり展望が開ける。イナミさんに翌日改めて相談するつもりで、提案書を練り直すことにした。


     ***


 「浄化剤の相談は祟神課の駆虫班が窓口だ」

 改めた提案書を机上に置いて、イナミさんが言った。

 「定期的に必要になるなら自分でお願いに行きなさい。僕が要望書を書いてあげるから」

 私からは口に出してもいないのに、昨日マカツが言ったことに触れているらしい。

 「あのマカツという神にはあまり信頼を寄せない方がいい。君に対して親切そうな顔をしているが、何を考えているのかわからないところがある」

 本来仕事上の接点はないはずの私に特別な関心を示して近づこうとしていることも然り、とイナミさんは続けた。

 「ラゴウは厳格で怖い印象を持つかもしれないけれど、誠実だから信用していい」

 ラゴウからも必要以上に目を付けられているように思うのだが。脳裏には死神課で行き合った時に冴の事を持ち出して恫喝されたことが蘇る。誠実であっても粘着質だと思う。

 「あの、駆虫班とはどのような部署なのですか? 初めて聞いたのですが」

 「怨霊ではないモノで、理を侵す害悪全般を取り除くところだ。怨霊班も冥府も、浄化剤はここから供給を受けている」

 言いながらイナミさんは私に持たせる要望書を書き始めてくれていた。こんな風に急に割り込んだ仕事を優先順位が高ければ先にしてくれるから、未処理の書類の山がなくなったことがないのを私は知っている。担当するケースが難しくなり、頻繁に相談するようになってからわかった。かつてウミヤメ様も、タマホメ様には引き合わせられないが茜の事を待ってくれるようにと冥府への要望書をその場で書いてくださった。優先順位をつけるとはそういう意味であることも、本当のところはわかっているのだが。

 「君くらいだよ、こんなに頻繁に他部署(よそ)へと出かけて行くのは。それもこれほど様々なところへ。今に行ったことのない部署はない出張のプロになりそうだ」

 「……申し訳ありません」

 さっそく書き上げた紙を差し出して、イナミさんは私の顔を見た。

 「まあそういうところが気に入られているんだろう。昔の死神課に新しい風を吹かせたウミヤメ様も、若い頃から型破りなお方だったと聞くから」

 その目差(まなざし)は柔らかいものだった。



 「ああ、イザヨイさんなんですね。死神課の方が来るのは珍しいと思ったら」

 煙色のローブを着た駆虫班の男神は、文書から目を上げて私の顔をまじまじと見た。

 「イナミさんの紹介があるなら通ると思いますが、定期的な支給となるとご要望に沿えるかどうか。上に諮りますから、イナミさんと相談して調整する形でよろしいですか」

 「はい。何卒宜しくお願いいたします」

 祟神課に満五期所属し、前任では怨霊班の長であったというイナミさんは、祟神の間ではさすがの権威を保っているらしい。だが最初の配属先は実は祟神ではなく縁切神で、一期目の途中で初めての異動をしたのだと、先日久礼亜のお礼をしに行った際あの縁切神から聞いた。人間庁の一期は三十年だから、人間界の変化の速さに照らせばキャリアはそれなりに長く、二度の異動にも多少の連続性があるように思われる。百七十年後の自分はどんなだろうと、北第二庁舎からの帰り道とりとめもなく考えた。およそ二百三十年後、ウミヤメ様に並ぶ年月をこのまま神として務めたら。

 自分の姿こそ想像できないが、なんとなく、私は生涯死神である気がしている。


     ***


 数日後、私は薫の大学へ様子を見に行った。自分の姿は見せず、遠くからの観察である。

 法学部ではなく文学部のキャンパスで、彼女は例の自主ゼミの集まりに参加していた。正課の講義は概ね年内を終えたのかラウンジに学生の姿はまばらだ。この日の当番は別の学生であるらしく、薫は他の数名の学生と共に熱心に話を聴いている。議論が始まると彼女は色々と質問をして、それ以上に人の話に耳を傾けていた。三十分ほどそうしていただろうか。私はその場を動かずにずっと見ていた。

 「じゃあ、そろそろ。次はいつにする?」

 一段落したらしく、一人が皆の都合を尋ねた。音頭を取るのは薫ではなかった。それぞれに手荷物を片づけながら手帳などを確認する。

 「年を越すから少し間が空くよね。あまり先にすると試験が近づいてくるし」

 男子学生の一人が言って、三週間後の年が明けてすぐの日程に決まった。二月になってしまうよりは、と、皆が多少無理をして予定を押し込んだ雰囲気だった。

 「忘年会する? このメンバーで」

 誰かが言うと皆の顔が明るくなり、このまま移動してしまおうか、という流れになる。

 「薫は? まだ戻ってやることある?」

 言い出した学生に尋ねられて、成り行きを見守っていた薫は首を振った。

 「ううん――今日はこれだけだから。わたしも行く」

 急に持ち上がった話に多少戸惑っているようだ。

 「どこにする?」

 「お金ないからサイゼでいい?」

 勉強会の間は真剣で静かだったグループは俄かに学生らしく楽しげに盛り上がり、薫はその集団に付いて行った。

 昨日、最初の操作をした。私は頷き、そこを離れた。



 「なるほどなあ。ささやかすぎて逆に思いつかれへんわ」

 薫への二度目の操作をして帰った夜、待っていたアシタレに遅かった訳を訊かれた。手応えを感じていることもあり、私は彼女について考えていることを話したのだった。

 「どうなるか様子を見ている。ただ、私はもう、彼女とは話さないつもりだ」

 「へ?」

 「もう会いには行かない。接触しない。遠くから見守るだけにする」

 怪訝な顔をして、奴は目を瞬いた。

 「え、なんで?」

 「薫は自分の力で周囲の目を変えたいと思っている。自分のイメージを塗り替えようと努力していて、そのプライドで自分自身を支えている。だから私は姿を見せない方がいい。私が何かしたと思わせないことこそ、この介入の肝なんだ」

 自分でやろうとしている彼女のプライドを守ることが死を遠ざけることになると確信した時、驚くべき速度で計画が組み上がった。操作は数段階に分けて予定している。それは、ふつうに起こりそうな出来事にのみ、好ましい方にばかり進むよう運を動かすというものだ。ヒントは当初から散りばめられていた。

 私がそれと気づかずにいただけだった。

 「本当に死神にならはったんやなあ、イサちゃんは」

 「は?」

 唐突に言われて見返してみれば、奴は嬉しそうな顔をしていた。

 「芯から人の命と向き合うて。それでこそ人間の命を司る死神や」

 不意打ちを受けて私は口ごもった。

 「いや、教育された死神のあり方からはだいぶ逸脱しつつある」

 「それでええねん。いや、それがええねん」

 今度は(とこ)の上で膝を詰めて、やおら私の手を取るなどする。

 「俺は好きやで。あんたのその長い物には巻かれんと、自分の頭で突き進むところ」

 「……何だよ。気持ち悪い」

 「まあそれでやりすぎてタマホメ様みたいなことになったら、夫婦(めおと)で鬼をやるのもええやん」

 勝手なことを言って満足したように、奴は伸びをして床に倒れた。

 「ほんまはな、イサちゃんが生命省でも人間庁になったって聞いた時、俺は嬉しかってん。時空省の神は数万年、環境省の神は数千年の寿命やて言われるけど、人間庁は長くても四百年くらいなんやろ。俺は鬼やから先には逝くやろうけど、あんたより極端に早く老け込んでしまうことにはならんで済むな、思て」

 天井の闇を仰いで、普段言わないようなことを言う。

 「ちょっと。何なんださっきから。死ぬのか?」

 「知っとるわ、それ。フラグいうんやろ」

 おかしそうに笑って、手を伸ばすと今度は私の腕をグイと引き寄せた。

 「俺がずーっと隣に居たるわ。そやから頑張りや」


     ***


 邪気祓いの第一回を行う時が来た。

 燭台を使わずに済むよう満月の夜を選び、儀式の間の四方に塩を盛り、その中央に土人形(つちにんぎょう)を配置して、向き合って半跏趺坐する。土人形はこの儀式のために作ったもので、表面には大夢の名と組紐の力を移すための紋様が彫り込まれている。

 初めに検討したのは木彫りの人形(ひとがた)を依代にして私自身の力によって呪いを解く呪術だったが、この邪気祓いは土人形から呪いを呼び出し、浄化剤によってその祟る力を削ぐという清めの儀式だ。様式は慣れなくてもすることは簡単で、私が使う力もこれまでに経験してきた運の操作などと大して変わらない。

 私はさっそく左手を土人形の上に翳すと、藍色の組紐を右手に握り、人形と大夢の霊魂を繋ぐための呪文を唱えた。するとその足元が白く光り四方の盛り塩と繋がり、彫り込まれた文字と紋様は組紐と呼応して青く輝き始めた。手を翳したまま、今度は呪いを呼び出す呪文を唱える――。


 それはすぐに現れた。私が思い描いていたよりも遥かにおどろおどろしいモノだった。黒いヒルのようなモノが何匹も浮かび上がり、絡み合うようにして人形に喰いついているのである。そのぬらりとした体からもやもやと立ち上がる黒紫の瘴気こそ、浄化しようとしている邪気なのだった。私は祟神から譲り受けた小瓶を土人形の上に傾けた。銀色の液体は瘴気を祓い、ムシを苦しめ弱らせた。駆虫班という名称が紛らわしいが呪いと祟りは違うから、祟りを浄化するのであって呪いを解くことはできないのだと祟神に念を押されたのはその通りで、小さく縮んだムシたちは逃げるように人形の体内に潜り込んでいった。


 祟神は二月(ふたつき)に一度は祓った方がいいと言った。様子を見て、悪ければ間隔を縮めるようにということだ。すべての光が消え月明かりだけになると、私は両手でそっと土人形を取り上げた。これは、必要がなくなるまでずっと使っていくものだ。

 呪いを解く方法についてイナミさんは、一つにはそれを忘れることだと言った。呪われている理由が理由だから、傷が癒えなければ忘れることはできないだろう。あるいは、病が治るまで忘れられないかもしれない。治っても忘れないかもしれないし、治癒を待たずに跳ね返す力を得ることもあるかもしれない。いずれにしても、死神にその忌まわしい記憶を消してやることはできない。

 忘れさせてやることはできない。私にできるのはこの地味な処置と、病の治療を受けるのを放棄させないことだけだ。それでも組紐が切れるまで見捨てまいと思う。数年がかりになろうとも、私の手から腐り落ちるのではなく、ちゃんと落着させてやりたい。



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