3 仏教の膨大な思想をどうするか……五時八教の教相判釈を中心に
仏教の大まかな流れを説明できたと信じて、それが三国史観に基づいていることも、ご理解いただけたことと思います。「インド→中国→日本」という歴史的発展の流れは、日本視点からみると「根源→発展→最終形態」という風に捉えられるわけですが、よく考えると、インド視点からしてみたら、どんどん傍流に進んでいっただけのものに見えるに違いありませんね。日本人が、カリフォルニアロールを発展形と見ないような心境かもしれません。
しかし、宗教もまた思想であり、歴史と共に発展・膨張してゆくものであります。昔、小学生の頃に、教会の日曜学校に行きましたら、キリスト教では、イエス様は、そういう教えが曲解され、変質してゆくのをあらかじめ危惧されていて、新約聖書を残された、という牧師様のお話がありました。カトリックというのは、どちらかといえば、そういう点では、かなり変質していったような気も致しましたが、その教会はプロテスタントだから、そのことも含んで言っているのかなと思いましたものの、キリスト教については詳しくないから、あまり語りますまい。
仏教にも、原典ともいうべき、経典はちゃんとあるのです。ただ、八万四千種類もあるという噂です。それだけの数があれば、当然、あとはそれをどう解釈するかという問題が生じます。その中で、必要になってくるのは「教相判釈」という行為です。これはつまり、どのお経の教えが至高で、どのお経の教えが方便(一時的な教え)なのか、ランクづけをするようなものです。
一番、有名な教相判釈が、天台大師のもので、五時八教といいます。これはお経のランクを、その発展段階から、五段階に分けました。
この教判では、釈尊がはじめて悟ったのは華厳経の教えとされています。これは純度百パーセントの悟りの教えなのですが、あまりにも内容が難しすぎましたため、布教することができませんでした。そこで、衆生にわかりやすく伝えるため、次に悟ったのが、阿含経や法句経といった比較的易しい原始仏教の教えだったのです。そして次に、少しばかりレベルが上がって、方等部といわれる諸々の大乗仏教経典の教えを悟ることになりました。次に、さらにレベルが上がって、般若経典の般若思想を悟ることになりました。最後に、至高の悟りである、法華経の教えを悟ったというわけです。
つまり法華経こそが、至高の教えというわけですが、最初に悟った華厳経も、純度百パーセントの悟りであって、真理そのものの世界という感じで、やっぱり気になりますよね。
この五時八教は、五つの味に喩えられるのですが、これは乳製品と関連があって、最高の教えとされる法華経は、醍醐味といいます。醍醐味というのは、濃厚な乳製品の加工品のことで、最高の美味なのだそうです。華厳は、乳味といって、純粋なミルクのことですから、加工を一切しない、悟りそのもの、真理そのものなのだそうです。
純粋な悟りと、至高の悟りですから、華厳経と法華経におのずと人気が集まります。
しかし、このように、無数の思想を大系的にまとめ直さないとどうにも捉えられらないのが、仏教の実状だったということでしょう。
いずれにしても、大陸のシルクロードを渡ってきて、これだけの思想の集合体となった仏教です。日本仏教を最終形態と捉え、日本仏教こそ至高とみる考えも成り立ちますが、当然、反対の考えも生まれてきます。
原型こそが正しいのではないか、というのも御もっともな意見です。
明治時代になりますと、原始仏教を見つめ直そうという、原始仏教思想への回帰の流れもありました。日本仏教は、インドの釈迦が語った仏教とまるで違う、と。
生きている苦しみから解脱することが目的のはずの仏教なのに、なんで日本では、線香くさい葬式仏教なんかになってしまったのだという批判。
これに反論する者もあります。いや、日本仏教の思想こそが、他ならぬ日本人の心の所産であり、この日本の文化を生み出したのだから、インド仏教に回帰するのではなく、日本仏教と向き合うことこそが大事なのだ、という意見です。葬式仏教などという批判があるけれど、死者の霊魂を供養し、荒御魂を鎮めて、先祖神へと昇華させる、これこそが日本人の本当の信仰心なのであって、葬式仏教のどこがいけないのだ、ということだそうです。
僕は、原始仏教主義というよりは、大乗仏教以降のさまざまな思想発展があった後の仏教思想に影響を受けることが多いです。単純に、インドの信仰よりは、日本の信仰に関心があります。また、哲学的な観点では、中国仏教がもっとも高度なので、ここもよく学ばせていただいております。また、儒教、道教、神道など、混淆してくる他宗教の流れも理解しなければなりません。
いずれにしても、三国史観は、便宜的にも、まだまだ現役でいてもらった方がいいようです。そうでないと、この膨大な思想の流れをまとめきれなくなってしまいますからね。