2 仏教の歩みを5分で解説……刹那滅の心の相続を中心に
仏教史の概論をさらりと5分間でやりたいと思います。今回、ポイントとなるのは「刹那滅の心の相続」という言葉です。これを理解すると、インド仏教はすっかり理解できます。
日本では昔から「三国史観」というものがありました。インド、中国、日本の三国で、歴史を考えることであります。天竺、震旦、本朝という言い方をします。仏教はインド、中国、日本と伝来してきましたから、非常に分かり良い捉え方です。
ところが、仏教が日本に伝来した頃、飛鳥時代というのは、朝鮮半島の仏教がまず流入してきたものでした。法隆寺のあの麗しく霊験あらたかな百済観音を想像してごらんなさい。百済というのは、今のソウルが首都だったそうで、その頃の日本は、朝鮮半島に片足突っ込んでいるような状態でした。
三国史観だと、この朝鮮仏教をすっかり無視してしまうわけで、あまり良くないんじゃない?というのが最近の歴史学の流れです。
だけど、ここはあえて、皆さまに5分で理解していただけるように三国史観で、インド仏教、中国仏教、日本仏教の流れで、噛み砕いて、説明してゆきます。
仏教の観念と思われているもので、その実、仏教の観念でないものの代表が、輪廻転生です。あれはインドに流入したアーリア人と、先住民族のドラヴィダ人の信仰が混淆して生まれたもので、仏教発生以前から存在していました。
簡単に言うと、魂が前世、今世、来世と転生するというものです。
この魂を「我」といいます。
この転生を、インド人はよく思っていなかったらしく、再生よりは再死という風に捉えていて、如何にして、この転生を免れるか、解脱するかが一大宗教問題となっていました。
ここで彗星の如く登場したのが釈迦(釈尊)です。今のネパールに生まれたこの偉大な宗教者は、菩提樹の下で瞑想し、悟りを開きました。瞬く間に信者を得て、お寺である祇園精舎と竹林精舎を拠点に、というと語弊があるかもしれませんが、沙羅双樹の下で入滅するまで、布教を続けたというわけです。
当時の彼の教えは、四諦八正道十二因縁といいまして、詳しいことは「法句経」を参考にしてください。いつか詳しく述べます。
これが原始仏教なのですが、ここで重要なのは、釈迦が「無我説」を説いたということです。「無我説」というのは「我は無いという説」のことです。つまり、輪廻転生の主体である「魂」はそもそも無いというような説です。
ここで皆さまは「えっ」と叫ばれると思います。「無我説って、そんな説なの」と驚かれると思います。
正確には「あらゆる存在の我が無い」という説ですが……これが後に問題になってきます。
釈迦の入滅後、無我説を説いた仏教は「我がないのなら輪廻転生の主体は何なんだ」というやっかいな問題と向き合わなければなりませんでした。
時は、部派仏教の時代、さまざまな部派の仏教が対立し、この問題で凄まじい論争を繰り広げることになりました。この部派仏教の中で、最強だったのが、説一切有部です。今、東南アジアに伝わる(南伝仏教)上座部仏教は、この部派がルーツだとか。(今、出先なので、帰ったら確認します)
キリスト教の成立とほぼ同じ、紀元前後くらいに「大乗仏教」も、インドのバイシャリーあたりの地域で発生しました。
大乗仏教というのは、ものすごく簡単に言うと、出家主義ではなく、在家主義の仏教の一派です。日本の仏教のルーツで、代表的な思想は、般若経典系の般若思想。詳しいことは後で嫌というほど述べますが、金剛経に曰く「この世のありとあらゆる存在は、夢のようで幻のようで泡のようで影のようなもの」というやつで「この世のありとあらゆるものは、因果の寄せ集めで仮に生じたに過ぎない「無自性・無本性」のもの、それを実体ありとみるのは心が生み出した錯覚であって、とらわれを離れれば苦しみはそもそも存在しない」というやつです。
部派仏教や大乗仏教の議論の中で生まれたのが「刹那滅の心の相続」だったと言うわけです。存在は、時間の原子である「刹那」のうちに生じて滅してしまう。しかし、次の存在を発生させる「種子」を残している。そして、次に別の存在が生じてまた滅するわけですが、その時に、その存在は、以前の存在とほんの少しばかり、違っている。これが持続と変化のシステムというわけです。
パラパラ漫画を想像するとわかって頂けると思いますが、パラパラ漫画の一枚一枚は、独存しています。しかし、この「相続」というシステムによって、存在は持続し、変化しているもの、つまり連続体という錯覚を与えるわけです。
まさに「不連続の連続」。
この思想は、仏教に頻出してきます。たとえば、心は、燃え盛る炎のようなもので、次から次へと生じ、消えてゆく火は、そこに固定的な実体があるわけではありませんが、火をじっと見つめていると、そこに同じ存在がとどまっているように錯覚してしまいます。これが心のあり方だというのです。
こうしたインド仏教は、中国に伝わりました。このあたりの話もけっこう端折ります。中国では、老子と荘子がすでに、相対主義的な思想を展開していました。ここが重要です。このふたりの思想、いわゆる老荘思想は、のちに道教を生み、仙人が術を駆使し、龍が飛びまわる中国の宗教世界へと繋がってゆきますが、これが禅のルーツのひとつなのです。
中国仏教は、インド仏教に負けず劣らず、思弁的でありました。そして、浄土教と禅を育みました。弾圧のために、密教は途絶えてしまったといいます。
中国仏教は、基本的に「儒教+道教+仏教」の混淆スタイルです。この三つの宗教は、互いに対立しながらも、混在し、一体化していきました。中国仏教の代表は「禅」と「浄土教」です。
浄土信仰の発生は、キリスト教との関係があると言われていますが、梅原猛さんの本だったと思いますが、出典が見つからないので、この場では発言を控えます。
中国仏教は、遣唐使などによって、日本へと伝来します。日本では、道教や仏教の流入などから、次第に古来より根付いているカミ観念や信仰が、神道という宗教の形式へと整えられることになりました。
日本人は、死霊の荒ぶる魂を畏れ、鎮魂し、浄化することで先祖神へと昇華させる、独自の霊魂観をもっていましたが、それなりにインド式の輪廻転生思想や、浄土思想を受容してゆきます。
日本仏教は基本的には「神道+仏教+民間信仰」です。思弁的な宗教であるインド仏教や中国仏教とは大きく異なり、日本の信仰は霊魂信仰と、憑依を主軸とするシャーマニズム、そして呪術性を持っていました。そして、仏教はエモーショナルに捉えられることになりました。あんなに深刻だったインドの輪廻転生問題も、かなりポップなものに改変されてしまいました。来世も一緒になろう、とか……。つらいはずの生まれ変わりを自ら望む人々まで出てきたほどでした。日本人は。古来より、基本的に「死」を禁忌し、「生」を素晴らしいものと捉えていたようです。そうした生命礼賛の日本人にとって、輪廻転生とは、再生思想だったといえるのです。
さまざまな思弁的な仏教は、まず外来の学問宗教として、インテリの僧侶の間でもてはやされましたが、弘法大師空海が真言密教をもたらすと、その呪術性や、神秘主義が、大変、日本人の感覚にフィットしたみたいです。さて、仏教思想の至高ともいえる禅ももたらされ(禅びいきですみません)日本は、さまざまな宗教の溜まり場となってゆきました。日本では、仏教と言いながらも、その内側には、神道があり、儒教があり、道教があり、ヒンドゥー教や、バラモン教まである。含まれる民間信仰もまた多彩なものです。神仏習合の代表格、八幡神には、実は朝鮮半島のシャーマンが信仰していた神も入っているのだとか。山岳信仰の発展形として、これらの宗教をほぼほぼ含んでいる修験道が、山岳仏教として発展しました。
そろそろ、5分経ってしまいそうなので、ここらへんでお話しを終わりにしたいと思います。