8.女神のもたらしたもの
こうもうまくいくなんて。わたくしは扇の奥でほくそ笑んだ。
エクレールは、殿下とわたくしの前で女神の元へ旅立った。これまでそんな風に迎え入れられた人間はいないから、素晴らしい名誉だと皆は喜んでいたわ。ええ、そうでしょう。この様な奇跡滅多にないわ。彼女の尊い犠牲に、女神の与えた奇跡に、感謝なさい。
わたくしもエクレールに感謝しているわ。本当よ? だって彼女がいなければ、わたくしの目的は果たせなかったのだから。
そうだわ、わたくしが何者かを教えましょう。でなければわたくしの目的もうまく伝えられませんからね。
わたくしこそ、エクレールが祈りを捧げていた女神なのよ。驚いたかしら?
そのわたくしがなぜこの国に現界したのかというと、それは崇高なわたくしの目的の為。
〝逆ハー〟というのをやってみたくて、わたくしは今代の聖女であるエクレールを利用したの。
逆ハーというのは、通常のハーレムが逆転したものを言うそうで、男がたくさんの女に囲まれているのではなくて、女がたくさんの男に囲まれるものなの。それも、多数の相手から特に執着されている状態を指すのだとか。
女神達が暮らす天界は、人間が思っているよりも退屈で、わたくしをはじめ何人かの女神は刺激を求めていた。だから他の女神からそれを聞いた時、わたくしの全身を衝撃が貫いたわ。
普段観察している水鏡。それで人間の営みを見続けている女神はね、人間に興味を抱くの。正確にはその文明に、だけれど。文明を築く人間がどんなものなのか、わたくしは非常に興味があった。
時に賢く人々を導き、時に愚かしく人々を破滅に追いやる。一人の人間が発端となる場合も多々あったの。逆ハーという状態からそうなる事もあったから、当事者として間近でそれを見られたとしたら……。想像しただけで背筋が粟立った。だから、聖女を利用した逆ハー計画は、わたくしに大きな衝撃を与えたというわけ。
逆ハーを体験したという女神があんまり自慢するものだから、羨ましくなったというのもあるけれど。
わたくしは『聖女エクレール』のふりをする為に、自分の見た目を彼女そっくりのものに変化させる。元々醜いわけでもないエクレールは、ほんのちょっと着飾ると見違えた。髪に艶を加え整えて、あんなローブではなくドレスを纏って。そのままじゃ地味だから、瞳は特別感を出すために、綺麗な菫色に変えた。それに加えて、素っ気ない対応しかしていなかった相手に優しくしてやると、彼らは簡単にわたくしに靡いたわ。
エクレールの立場に入れ替わった間は素敵な時間だった。
婚約者の王子はもちろん、殿下の側近候補の令息達もわたくしに夢中になった。わたくしの視線ひとつに惑わされ、言葉ひとつを求めて奪い合う。
ああ、なんて素晴らしいの!
これが逆ハーというものなのね! わたくしはたくさんの贈り物とたくさんの讃美に囲まれ、幸福の中を漂っていた。元々女神というのは人間の讃美を糧にする。それを直接叩き込むような感覚は、わたくしを虜にした。
途中、四六時中聞こえてくるエクレールの祈りの声には辟易したけれど。そうよ、あの子の祈りの声はきちんとわたくしへ届いていたの。わたくしが逆ハーを堪能するために、あの子を聖女にするのはやめていたのだけれど、こうもずっと声が聞こえてくるのはいただけないわ。同じ事を繰り返しているのも厄介だった。
だって、聞こえているんだもの。いつになったら聖女になれるのかというのも、わたくしの気の済むまでなのだから答えようがない。もっとも、答えるつもりもなかったのだけれどね。
彼女の声が漏れ聞こえないよう、部屋に封印を施した後は快適だったわ。封印のせいでエクレールの認識が歪んで、彼女以外の人が彼女を〝エクレール〟と認識しにくくなってしまったのは誤算だけれど……わたくしにとっては都合が良かった。
あの子はわたくしが現れた事で、別世界がどうにかなってしまうんじゃないかと心配していたみたいだけれど、それは杞憂というものよ。だって、聖女を失った世界など存在しないのだから。わたくしは天界からやって来た女神。そもそも別世界なんて無いの。
聖女として奇跡を起こせば、簡単に王子達はわたくしを信じた。
人間って単純よね。わたくしが起こしていたのは本当の奇跡……聖女の力なんかでは起こり得ない奇跡よ。神の力で聖女の奇跡を演出し、彼らの関心を惹きつけた。
堪らなかったわ。王や神殿の長、年若い王子達が、こぞってわたくしを得ようとする。
天界では味わえない甘美に、わたくしは震えた。
(あとちょっと、もう少しこうしていたい。けれど女神の不在が長引くのは……そうだわ!)
ぴんと閃いた。女神の代わりを置けばいいんだわ!
元々エクレールとの入れ替わりを決めたのは、聖女っぽく振る舞えば簡単に寵愛されるんじゃないかと思ったから。特別な存在の方が、逆ハーの効果が高まるんですって。だから彼女を選んだのだけど、これ以上に役目があるのならきっと喜んでくれるでしょう。
早速わたくしは実行に移す。聖なる力を宿したエクレールを、わたくしの代わりに天界に送ったのだ。
光に飲まれるエクレールの表情は、なんでか歪んでいた。そんな不細工な顔しなくともいいのに。だって女神の代理を務めるのよ? 人間にとっては名誉でしょうに。
とにかく、これでもう不安はない。代理も少しの間だけだから大丈夫。……そんなわたくしの考えは、無惨にも散ることとなった。