6.聖女
菫色の瞳のエクレールの聖女の力はあまりにも強大である。すでに授けられているのであれば使用すべきだ、その為に女神様が遣わしたのだという国王陛下の主張で、彼女は聖女として力を振るう事になった。その為に〝エクレール〟は成人を迎えた日、聖女として覚醒したのだと陛下は発表した。
それは国民に嘘を言ったようなものなのだが、「聖女の力を使うのは〝エクレール〟なのだから問題ない」と陛下達は主張した。そう言われては、わたしもそれ以上は何も返せなかった。
彼女は確かにエクレールという名で、聖女としての力を持っている。けど彼女は彼女であってわたしではない。どういうわけかこの世界に現れた、異端な存在のはず。
この世界の聖女たるエクレールはわたしだ。例え聖女の力が発現していなくても、この世界のエクレールはわたしなのだ。
それなのに、〝エクレール〟はだんだんと彼女のものになっていった。
まず、学校は繰り上げての卒業となった。これは聖女業に集中する為だと説明された。実際には彼女とわたしとの違いを学友に知られるのを防ぐ為だろうけど。
それから〝エクレール〟は神殿で病人を癒すようになった。こちらは神官長の主張によるものだ。聖女の力を身近にし、恩恵を感じさせるべきだと彼は言った。神殿が聖女の所有先を示したいだけだろうとは陛下も思ったようだが、そもそも女神の信仰は神殿が基となる。これは仕方がないだろう。
神殿主導で、聖女の遠征が行われる事もあった。雨が少なく収穫が昨年の半分以下となった地へ、〝エクレール〟が向かう。彼女は着くなり雨を降らせ、枯れた井戸に水を満たしたそうだ。
その後、水が無くて枯れてしまった畑へ行くと、その場で膝をついて祈る。服が泥で汚れるのも構わずに祈っていると、すぐに奇跡が起きる。——枯れていた作物がみるみる生気を取り戻し、青々とした実を付けたのだ。
それはまさしく奇跡だろう。その場にわたしは居なかったが、それを見た民衆がどんな反応だったかは想像がつく。女神様を讃え、聖女〝エクレール〟に特大の感謝を捧げたに違いない。
それからも〝エクレール〟は奇跡を起こし続けた。一方、〝わたし〟は早く聖女の力が目覚めるように、神殿の奥まった部屋で祈りを捧げるだけの生活になった。ほぼ軟禁されているようなものだ。
朝、日の出と共に起きて清水で身を清め、女神様を模した像に祈る。朝食はスープだけ。昼まで祈って、昼食を食べたらまた祈りを捧げる。この間、ずっと女神様を想いながら聖典を読み上げなければならない。それなりに大変な作業だ。
夕方になると神殿の他の神官の業務が終了となる。それに合わせて夕食となるので、そこで一旦祈りは終わりだ。清水で女神像を磨き、野菜スープとパンを食べ、一日が無事に過ぎた事に感謝を捧げる。他の神官であればその後就寝まで自由時間となるが、わたしはその自由時間も女神様への祈りに充てた。
そのまま祈り続け、眠るのは日付が変わってから。睡眠時間以外、ほぼ祈っているというのに、数ヶ月が経ってもわたしに聖なる力が発現する事は無かった。
その数ヶ月で、〝エクレール〟とは、菫色の瞳の彼女を指すものに変わっていた。
殿下はわたしとは会わなくなった。彼の側にはもう〝エクレール〟がいるのだからわたしは不要と、そういう事だろう。
殿下と会わなくなったので、彼の側近候補だった令息達とも会う事はなくなった。最後に会った時、亡霊でも見るかのような目で見られたのは笑ってしまった。わたしはもう人ですらないらしい。
両親がわたしを訪ねて来る事はなく、渋々といったように現れた義弟は「あちらが本物の義姉さんで、あなたが偽物なんでしょう?」なんて言う始末。
偽物? いいえ、違う。わたしも彼女も、どちらも偽物ではない。どちらも〝エクレール〟なのだから。
けど、この世界のエクレールはわたしであって彼女じゃない。
誰もそれを思い出せないのだろうか……。
彼女は聖女としての立場を確固たるものにしていく。実績があるのだから当然かもしれない。けど、いつまで経っても聖女に成れないわたしからしてみれば、彼女の存在は眩過ぎた。輝かしい彼女から遠ざかるように、わたしは神殿の奥に閉じ籠り祈る。
(女神様。いつになったら、どれだけ祈れば足りますか。いつ、わたしは聖女となるのでしょう)
何度それを思っただろう。何度唱えただろう。分からない。わかるのは、わたしはまだ聖女ではない、という事だけ。
それから更に半年——〝エクレール〟が現れてから一年。
「エクレール。君との婚約は破棄させて貰う」
わたしは殿下に婚約破棄を言い渡された。