知識の宝庫、悠久追風
[魔法学校アルスナディア 地下 図書室]
出入り口を抜ければ、図書室というには相応しくないほどにとても広く、まるでコロセウムを思わせるかのような円形状の空間。中心に近いほど段々と下り状の八方向に伸びる階段、その階段の間隔のスペースには湾曲の本棚。中心には吹き抜けた階の最上段と同じ高さ程の円筒状の本棚。その円筒状の本棚の周囲には書物を閲覧したり、勉強等するためのテーブル席が等間隔に配置してある。
蔵書数は約50万冊以上、今や数少ない星歴300年代の書物から最近の本まで、人間界から持ち込まれた本など。ありとあらゆる書物があるため、一冊の本を探すだけでも苦労は覚悟した方がいいという。その冊数は今もなお増え続けているという。
ウェステン大陸以外からも色んなところから協力を得て書物を集めていており、学校が創立して数年のうちは3階の北校舎の図書室だけで収まっていた。だが、想定よりもかなりの冊数の書物が学校に集まってしまい、地下に別で図書室を新たに作ったという。
これ程だともはや図書室ではなく図書館といってもいいくらいだろう。そして何故かあえて図書室を図書館に呼び変えないのはそういう仕様であり、あまり多く蔵書してあることを知られたくないためだとか。
因みに図書室の書物は図書委員と担当の教師が管理しているが、全書物の存在、冊数を把握しきれていない。
瑠璃と菘は図書室の中に入ってすぐ近くの受付で利用の手続きしに向かった。
受付には‘図書室利用手続き用紙’があり、今日の日付と利用者の名前、住所(外来者のみ記入)の欄があり、入室したら必ず記入し、身分を証明するもの(瑠璃たちの場合は学生証)を提示しなければならないという厳重さである。希少な書物や禁書なども保管しているため、防犯対策としてそうする必要があるという。この図書室は生徒と教師だけでなく、外来の人も利用できるので借りに来ることが多いのもあり、利用手続きを導入したという。
瑠璃と菘は日付と名前を書いた用紙を受付の箱に提出し、学生証を受付の人に提示して、その場を去ろうとした。その時、「あの、ちょっと水青瑠璃さん。まだ返却されていない本があるみたいなんだけど…」受付の人が瑠璃を呼び止めてきた。
彼女の名前は“水川 始音”、瑠璃とは一学年下の第4学年の生徒である。濃いめの青で所々銀色のメッシュの髪色、ゆるふわなセミロング。図書委員であり図書室の受付を担当している。
もちろん瑠璃には心当たりがあった。返却をしていない本が家に置きっぱなしであることを。しかも、始音が見せてきた貸出管理帳面によると、最近借りた本が返却期限から3週間ほど超過しているという。
「なるべく早く返すから、次こそは持ってくる!」
瑠璃はそう言い残しその場を疾風の如く去っていった。それはもう当て逃げするかのように。
「あっ、ちょ。ちょっと…」
呼び止めようとしてもその素早さに敵わず、その声は届くことはなかった。追いかけようにも内気である彼女はその場であわあわと慌ててしまってる。図書室から出ていく時に声をかけるという手を考えるも、瑠璃の逃げ足は早く、なんだかんだ毎度抜け出されてしまっているとか。
「あーもう…。また先生に怒られちゃうな……」
一日でも早く未返却の書物を少しでも減らすように教師に言われているらしく、早めに回収しないと怒られてしまうようだ。いつか本を返却してくれる日を夢見て、彼女は説得し闘い続ける。
始音がしょんぼりと落ち込んでいる隙に、菘は静かに瑠璃の後を追っていった。
瑠璃に追いつき、「瑠璃ぃー。また何日も本返していないの〜?」と、少しムッとした様子で菘は言ってきた。
「それがね、なかなか読み応えがあってさー、何回読んでも面白いし飽きないからね」
瑠璃は本を返さないことが結構あり、図書室に来るたびに受付の人に呼び止められているようだ。小説や図鑑に関しては何度も読み返すらしく、ほぼ毎回のように返却期限を過ぎてしまうほどである。返却していない本は大体、瑠璃の自宅の本棚にあるという。
「すぐ返しなよー。また厄介事に付き合わされるの私はヤダし」
「そんなのわかってるよ〜」反省の色がまるで見えないし、人によく言う割には自分のことに緩い時がある瑠璃。よく一緒にいる分、説教とかの厄介事に巻き込まれているのはお互い様だったりする。
「で。それはそうと、どっから探す?」
「全くもう、菘ったら…。歴史や文化関係から探すのが良さそうだけど…。あれだけの中から探すとなると、なかなかに骨が折れそうじゃ…」
本はジャンル別で分けられているものの、1ジャンルで約5000〜10000冊ほどあったりするものもある。その中から目当ての本を探し出すには、日々図書室に通うのが唯一の攻略法。
「まずは目的のジャンルを見つけてから、そこでじっくりと探そうよ」
「そうだねっ。探すとこ絞らなきゃ他の本に目移りするもんね」
本をよく借りるだけあって探し方は慣れている瑠璃。2人で一緒に周りを見渡しながら歩き、目当てのジャンルがある本棚を探した。
少し歩き回ったところで歴史関係の本があるところに辿り着いた先、瑠璃たちにとって見慣れた生徒が本を探しつつ立ち読みをしていた。
「ねぇ、菘。あれってユクじゃない?」
「んん?あぁー、ウチんとこ(生物学部)のユクじゃん」
ミントグリーンの髪色のロングヘアに獣耳、優れている証である深緑色のローブ、大型犬を思わせるような体格とふさふさとした大ぶりな尻尾。生物学部所属である彼女の名は“秋風 ユク”。瑠璃と同じく人獣という種族であり、瑠璃と違って犬系の耳と尻尾をしている。
クラスは深緑色で学年は瑠璃と同じく第5学年であるが、身長が10cmほど高いせいか何故か瑠璃と同い年に見えない。生物学部に入部したのは第3学年の時であるが、それに加え風紀委員と生徒会にも所属しており、忙しくてあまり来れていない。だが、部長である菘からは来たい時に来ればいいと言われている。
体格と身体つきがよく爪は獣のように鋭利であり、真面目であまり感情を表に出さず、目の色は赤く鋭い目つきをしているせいか、少し近寄り難い印象を感じさせてしまうことがあるとか。
ユクは瑠璃と菘の話し声に気付いたのか、瑠璃たちを見てふさふさとした尻尾を機嫌が良さそうにパタパタと振りながら待っていた。瑠璃たちは小走りでユクのところに向かった。
「やぁやぁ、我が部活動の秋風ユクくん」
「やっほ、ユク。何か調べ物していたの?」
「瑠璃、それに菘さん。こんにちは、今は世界史の復習も兼ねて、良さそうな本を探しているところ」
とりあえず、ユクは読んでいたページにしおりを挟み、話を聞くことに集中することにした。
「奇遇だね、私と菘も世界史の勉強しにきたの」
「うん、良いことだと思うよ」
ユクは少し控えめで自分から言いたいことはあまり言わないタイプであり、冷たさを感じさせてしまう。会話に困った時は尻尾を具合を見れば、どう接した方が良いか大体分かる。
今も尻尾がパタパタと振るほど機嫌が良さそうで、一緒に居ても大丈夫そうだ。
「もしユクが良ければだけど…、一緒に…勉強しない?」
「良いよ。一人よりは寂しくないし、お互いの分からない所も補えると思うからね」
「やったぁ!ユク、ありがとうねぇ〜」
瑠璃は嬉しさのあまりに、ユクの後ろに回り込んで獣耳のつけ根辺りをモフモフと触ってきた。
とある一説のよると、ふさふさとした獣耳を触った瞬間、柔らかいとも硬いとも言い切れない未知の肌触り感触と共に、幸福感のようなもので満たされやみつきになるとか。
ユクは瑠璃に触られて嬉しいのか、嫌がっているのか、表情があまり変わらないので菘から見たら少し解りづらい。
「瑠璃ぃ…世界史の勉強は」
「おっと、そうだったね」
つい夢中になってしまっていて、本来の目的であることが疎かになってしまうところだった。瑠璃はすぐに触るのを止め、勉強に適した本を探すことにした。
「全くもう…瑠璃ったら」
ユクは手鏡を見ながら乱れた毛並みを整えた。2人のやり取りを観ていた菘はふと思った。(…そういえば、瑠璃にやったらどうなるんだろうか)と、よからぬ企みを思いついた菘は何やらニヤニヤと不気味な笑顔をしていた。
「瑠璃〜。ちょっといいかな?」
「なぁに、菘?」
一瞬、菘の眼が怪しく光ったが、その眼光を見逃されることなく、瑠璃に気安く触らせないとユクが睨んでいたのが見えてしまった。それに怯み、菘は一旦行動に出るのを止めた。
(うわっ、なんかユクの視線が恐ろしいんだけど!疾ましいのはやっぱだめかぁ、手出しはできないかぁー…。でもちょっと便乗して触れてもみたいけど…)
良心と欲望が掛けられた天秤が菘のなかで揺れ、悩んで硬直している。
「ねぇ、早く言ってよ」
正直に言ってしまうのは簡単だが、瑠璃が困りそうなことはユクが許してはくれなさそうだ。
(どうしよ…このままでいるわけにもいかないしなぁ)
返事が詰まる最中、どうするか悩んだ結果、菘は思いつく限りの言葉の繋がりに任せることにした。
「あーいや、そうだねぇ。瑠璃に私の分の本を持ってきてもらいたいなぁー、だなんて思っていたよ」
「別にいいけど…。菘、もしかして……」
話し方の不自然さに気づいたのか、瑠璃はすぐに疑ってきた。間違いなく分かっている、絶対に予想を的中させてくる、瑠璃をモフモフしたいということが。
「…菘はそんなことしないよねっ。じゃっ、引き続き本を探すとするね」
控えめに圧をかけるように瑠璃はそう言い残し、本を探しに戻った。
「た、助かった…」
ホッと一息をつき、邪な気持ちを抑えつつ菘は本棚と向き合うとした。
(菘さんって。なんかほんと分かりやすい…)そう思いつつ、ユクは途中まで読んでいた本を再び読み始めるのであった。
~ ~ ~ ~ ~
本を探し始めて15分程のこと。
「うーん…、勉強のための本とはいっても、わかりやすくないと意味ないしなぁ」
それらしい本を手に取って開いても、分厚くても内容が薄かったり、調べたい年代ではなかったり、瑠璃と菘が知らない言語で表記されていたりする。今のところ全て的外れ、ちょうど良い本なんて見つかりそうな気配が全くない。
「やっぱり、この図書室の片っ端から探すしか…」
瑠璃が本を1冊抜き取ると、「瑠璃ー、何か探し物?」その隙間から女子の声が聞こえてきた。
「うわっ!?」
驚いたと同時に抜き取った本を落としてしまい、瑠璃のつま先落下してしまった。あまりの激痛だったのか、痛みを早く沈めるべく、つま先を押さえてしまうほど痛そうだ。
「いっ…たぁ。もう少し普通に話しかけられなかったの?」
「ごめん、驚かして。そう言う話しかけ方じゃ困る感じなの?」
対応的には、馴染んでいるかのような会話。瑠璃にとっては別に不思議なことではないが、傍から見れば非常に不自然な光景だ。なんたって、本棚に向かって話しかけているからだ。
瑠璃は本があったところの隙間に目線を合わせ、本棚越しに居る少女を少し不満気な表情で見た。
「当たり前でしょ…」
「やっぱ、瑠璃が言う普通は理解し難いよ」
少女はそう言い瑠璃の視界から姿を消したかと思えば本棚の上から現れ、浮遊しながらふわふわと降りてきた。見上げれば…、とはいってもあまり無闇に見る物ではない、見えそうか見えないかなんて気にせず、平然とした顔で瑠璃の近くに着地した。
「うーん…。その現れ方もないと思うよ、怜衣」
「瑠璃は注文が多いなー」
この微妙に感覚のずれた考えを持つ“夜霧 怜衣”は図書委員であり、この図書室の管理人でもある。唯一、アルスナディアの図書室の約50万冊以上ある書物を知り尽くしている人である。種族は人獣であり、毛並みは夜空を思わせる綺麗な色でショートヘア、猫の耳と尻尾が生えている。例えるならば黒猫といった方が想像がつきやすい。身長は130cm程で、背丈が小さいことを気にしているため、小さいことに関することを言われるとかなり怒ることがあるとか。怜衣が羽織っている夜黒色のローブは夜黒組のだが、着ている制服のリボンは深緑色であり所属クラスは深緑組。深緑組でありながら夜黒組のローブを身につけるのは、自身の知識と実力をおごることがないようにするためだとか。
「私からしたら別に多い注文してるとは思わないんだけど」
少し変わっていて緩めな怜衣に対して厳しめな瑠璃。これでも瑠璃とは第1学年時からの友人の仲でもある。
「そういえば。何か探していたんだよね?」
「あ、そうだった。怜衣、世界史について分かりやすいような本を探しているんだけど、良いのありそう?できれば星歴500年代辺りのことが書かれていれば良いんだけど…」
怜衣は制服のポケットからメモ帳のような物を取り出し、予め分かっていたかのように付箋をしていたページを開いて何やら確認しているようだ。そして確認が終わったのか、メモ帳を見ながらふわふわと浮上し、手が届かない高さのところにある本を一冊とってきた。見た感じその本はあまり重くなさそうだが、浮遊している分力を使うのか怜衣の手がぷるぷると震えているほど、なんだか重そうに思えてしまう。少しふらふらと不安定ながらもなんとか着地し、瑠璃に本を持っていった。
「はい、これね。最新の‘星歴500年代大全’。星歴500年から530年の間の出来事を大体知ることができるよ」
「ありがとうね、怜衣。でも、あんまり無理しないようにね」
さっきの様子を見ていた感じあまり長く持たせては辛そうで、瑠璃はすぐに本を受け取った。
「心配してくれてありがとうね。浮遊しながらだと、少しでも重いと安定しないんだよね…」
「そうなんだね。…それにしても、どうして手が届きづらいところにわざわざ置いてあるんだか。ましてや授業で学ぶところなのに」
「知識欲するなら、相応の努力を要する。だよ」
本当に知りたいならばそこまで尽くしても探すだろうと、知識欲を試しているかのように手が届きづらい書物ほど、望むものが見つかりやすいとか。とはいえ、下段の本棚ほど決してよくないものではない。容易に手が届き取りやすい故に、読者による書物の入れ替わりの頻度が多いのが事実。反対に、読者の手が届く範囲で見つからない場合には、上段まで隅々よく探さずその場で諦めてしまうこともあるという。
「それもそうだね。じゃあ私は探してくれた本を読んでいくとするね」
「うん。瑠璃、またねっ」
瑠璃が怜衣に背を向けた瞬間、怜衣はすぐに本棚の上まで浮上し図書室のどこかへ浮遊しながら行ってしまった。
夜霧怜衣は“図書館の黒猫”(Bibliothèque chat noir、ビブリオテーク シャノワール)と呼ばれることがある。図書室に住んでると思われるほどに学校生活の大半を図書室で過ごしているという。怜衣は魔力による浮遊能力持っているのもあり、引きこもりがちであまり目立ちたくない彼女にとっては、この図書室は楽園のようなものだ。
「ねね。菘、ユク。良さそうな本見つけたよ」
「おぉー?どんなの見つけてきた?」
瑠璃が戻ってきて早速その本に興味津々な菘。自分が先にと言いそうなくらい、とにかく早く読みたい様子だ。
「ちょ…焦らないでって。落ち着いて読めるとこで読もうよ」
「はーい」
少し不満気だが、瑠璃が見つけてきた本であるため菘は仕方なく従うことにした。
瑠璃と菘がその場を移動したのに合わせて、少し離れていたところで見ていたユクもついて行った。
落ち着いて読めそうなテーブル席に着き、瑠璃は2人が見え易くするため表紙だと思う方を表に本を一旦置いた。
「ふむむ、星歴500年代大全かぁー」本見たさのすぐに近寄ってきた菘。
「私が探した感じこういう本見つからなかったし、なかなか良さそうね」
「表紙でそう書いてあっても、とにかく内容重視よ」
瑠璃は参考になりそうな項目を探し始めた。ところが、数ページめくったところでなにか違和感に気づいた。
「…ん?なんか挟まっているような…」
本の小口に隙間があることに気づき、何かが挟まっているようだった。長い間挟まっていたのかページが少し曲がってしまっていたほど。そのページを開くと、表紙のない所々燃えた跡がある薄い本のような古びた書物が挟まっていた。
「んん、なにこれ…」今まで見たことのないような型の書物に少し戸惑う瑠璃。
「薄い本のようなものにしては文字しか書いてないし小説のようなものに見えるけど…」
菘がその書物を手に取り読むことを試みたが、すぐに瑠璃に手渡した。
「ん゛っ」
何やら嫌そうな顔で菘は瑠璃に書物を押し付けてきた。
「え、なんですぐ返すの」
「なんか読みづらい」
「そういうことぉ…。んじゃあ、私が見るね」
菘にとっては読むのを諦めてしまうほどに読みづらかったようで、代わりに瑠璃から先に目を通すことにした。
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空より降り注ぐ星々、大地を焼く。
ひとへにゆゆしき凶星のごとし。
我が世間は火の海、一番星のごとし輝く赤き凶星が空に見ゆ。
こは罰ならむや、理想を書きて何や悪しき。
悲惨なるほど続きて、いづれはこの身滅ばば。
なかなかにおのれの時 命 止め 終はらせ、
とこしへに物語をつららねばや。
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菘が星歴500年代大全を読んでいる一方。
「うーん…」
見慣れている文字のはずなのに、普段見るような文章と違っている。そのせいか、菘の言う通り瑠璃も読づらそうで顔をしかめているほどだった。
「あまり自信ないんだけど、なんとなくで解るくらいかな…」
読みづらいものの、漢字だけ見ればなんとなく瑠璃は読み解けてはいたようだ。
「私たちが今使っている言葉より古いものだと思うけれど。“赤き凶星”…、聞いたことない名前ね」
ユクの知る限り、最近では使われていない言葉で書き記されており、赤き凶星というものを見たことも聞いたことがなかった。
「瑠璃たち何読んでるの?」
集中している最中、読むまでは居なかったはずの怜衣が、背後から突然話しかけてきて「んわっ」と、つい瑠璃はびくっと驚いてしまった。
「怜衣。突然だとびっくりするよ」また驚かすような現れ方に少し怒った口調で瑠璃は言った。「そうだったね、ごめんごめん」怜衣は分かっているのか、分かっていないのか親しみがある分どこか緩め。
すぐ何処かに消えたのはいつものことか、用があるかと思いきや、高い位置から瑠璃を観察していたようだ。書物を読んでいる隙にこっそりと瑠璃たちの傍まで接近していたという。
「まぁ、それはそうと。怜衣、さっき渡してくれた本に、こんなの挟まってたんだけど、なにか知ってる?」
瑠璃は怜衣に書物を手渡した。手に取ると怜衣は表紙のない1ページ目の燃え跡と裏表紙を興味深そうに見て、他のページはパララっと流し読みした。
「んんー…、この本は私の記憶にないかも」
怜衣が記憶にないのは、相当珍しいことである。図書室に納められた書物はすぐに怜衣が直々にチェックするほどであり、余程のことがない限りは知らないものはない。
「作者は……“小雪 氷柱”か。この名前は聞いたことも見たこともない」
ささっと手短に見終えると瑠璃に書物を返した。
「怜衣でもそういうこともあるんだね」
「読み終わったら机の上に置いといて。私もその本は気になるから」
怜衣はそう言い残すと、ふわふわと浮かび、図書室の何処かへまた飛んでいってしまった。
「彼女、忙しいのね」
「いつもあんな感じ。根は悪くないけどね」
役員活動以外ではあまり関わることがないため、ユクは怜衣の素性をそこまで把握しきれていない。
お互いに種族は同じく人獣であり所属クラスが深緑組ではあるが、怜衣自身が夜黒組としても扱っているのと、一日の殆どを図書室で過ごしているため、二人が会うことが少ない。ユクは人見知りのため、他クラスの生徒と関わることが少ないのも主な要因でもある。
忙しそうに見えるが、瑠璃にとってはいつも通り、掴みどころがなくてマイペース。
「それにしても、怜衣でも知らない本だなんてね…」
瑠璃はさっき見ていたページから少し読み進めると…。
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争いが終わることを祈るということ。
それは和平の道か、一方または両国が滅ぶ道か、降伏して奴隷となるか定かではないこと。
理想を書くだけの私には力も勇気もない。
ただ、私が知らない世界の争いの終結を祈るだけしかなかった。
もし、貴方にその時が来て、覆したいと思うならば、出来ることから始めてみて欲しい。
例えそれが小さな一歩だとしても。
小雪 氷柱
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と、見慣れている文章の書き方で記されてあった。
それは、この書物を読む者へ託すかのように。
「出来ることから…か」
ふと、ヴィオラが言ったことが頭に過った。『身近なところに常に答えは存在する。勉強、探し物だってそう、ほんの些細なことがきっかけとなることがあるのだから』思い返せば、姉を探しにエーレまで歩いてきた。いつか再会するその時が来るまで今日まで生きてきた。平穏が続くとは限らない、生い先は誰も保証しない、今がその時なのだろうかと。
瑠璃はそう思い詰めているところに「ふむふむぅー」とか「ほぉほう」とか菘が話すくらいの声量で呟き始めた。こういう時の菘は、自分にとって分かりやすく覚えやすい内容を読めている時であるが、その分つい気分が高まってしまい、呟いてしまう癖があるようだ。
「これがこうだったのかぁ、なるほぉー」
声量変わらず気分が高まったままの菘に対して、思い詰めるほど集中してる最中、流石に痺れを切らしてきたのか「菘。うるさいんだけど」と、瑠璃は強めな口調で注意してやった。が、「んん〜?」と呑気な感じで菘は返してきた。
「んや〜瑠璃ぃ、とりあえず見てみてよ〜」気にしている様子がまるでなく(はぁ…)と、ため息混じりに瑠璃は心の底でもついたほど。
これは言っても聞かなさそうな様子だと諦め仕方なく、菘が読んでいるところを見ることにした。
「ふーん…、この内容なら‘誰が見ても’、分かりやすそうだね」誰が見てもというのは、菘のような人でもという意味を込めてである。そうは知らず疑わず「でっしょー!」と、純粋な返事をする菘。
「これで次のテストこそは勝利を掴んでみせようじゃないかぁ!」
菘はいきなり立ち上がり何かをすると思えば、敗北の予感がする勝利宣言。それと同時に菘の座っていた椅子は後ろに勢いよく倒れた。
(まーた始まったよ…)いつもの通り、すぐ調子に乗ってまた同じことが起きそうだとなんとなく瑠璃には予想できてしまう。
今はそんな変わらない日常でも、いつかその日が来るまで。その時のために。そして、本格的に勉強が進む気がした。さっきからなにやらユクはチラッと時計を見て時刻を気にしていた。
「あの。瑠璃、菘さん」
「んん〜、どうしたのユク」
話しかけるタイミングを探っていたユクが何やら申し訳なさそうに声をかけてきた。
「私、今日のところは僧侶のお仕事があるので、そろそろ帰らないといけないの」
席から見える時計を見ると1時50分を指していた。ユクは聖職の家系であり、学生でありながら僧侶としても活動をしている。生物学部にあまり来れていないほど忙しいのはそのためでもある。
「確か、ユクは町の近くの聖堂に行くんだっけ?」
「そうだけど。それを知って一体どうするの?」
菘がそんな質問をした理由なんて、ユクには解るはずがなかった。
「いやさー、その聖堂に私も連れていってもらえないかなーなんてね」
「えぇ!?あの聖堂は僧侶とその関係者じゃないと——」
「あ、無理ならいいよ別に。ただの探究心だから」
ただの探究心だなんて、そうは普通考えられない。ユクにとって、聖職にとっては無関係者が来られると困るようだ。
「ウインゴージの外は町の管轄外で聖堂までの道は色々と危険なの。だから、あまり一般の人は…」
「危険なのは承知の上よ。それに護身術もちゃんと習ってるつもりだし。邪魔したり足手まといにならないようにするから」
ウインゴージの町の外に限らずだが、人に害を加えてくる魔物、命や金品を狙う者など出会すことがある。そのため、大人になる前から護身術を身に付けることが推奨されている。
菘の腕っぷしが並よりあるのは知っているため心配は少ない方だが、何を言っても引いてくれなさそうだ。
「うーん、そう言うならついて来ても良いけど」
「さんきゅーねユク」
少しも考える時間の間もなく、ユクは菘の同行を許可することにした。
「菘も行くなら、私もついて来ちゃダメかな?」
「ユク、どうする?」
菘と一緒に行くならば、瑠璃もきっとついて来るのだろうと思って菘の要求を呑んだのだから、断るという選択肢をユクは考えてはいなかった。
「わかった、瑠璃も来て良いよ。でも、常に危険を伴うことは忘れないで」
「うん、忘れないでおくよ。ユクありがとうね」
ユクは友達を同行させることが不安だと思っていたが、大切な友達である瑠璃と菘との3人で一緒に行くことになったせいか、自然と和らいで安心感に満ちていた。
「一応、集合時間は18時に、場所は町の出入口で。あと、なるべく時間厳守で」
「それでも良いよ」静かに頷く瑠璃。
「りょーかいだよ!」菘はビシッと元気よく敬礼。
ユクは手際よく自分の荷物をまとめてから席から立ち上がり「じゃあ、また後でね」と、瑠璃と菘に軽く手を振り、図書室から出ていった。
本命の本は高いところにあったため、元の戻すのが困難なので怜衣に託すとして、挟まっていた書物も怜衣が気になっていたものだ。本来ならあったところに戻すべきだが、机の上に本は置いたままにするとした。瑠璃と菘も支度をし、受付を上手く抜け図書室を立ち去り、寄り道せず下校し聖堂に行くための準備をしにいったのであった。
第一話 始まりの風 終