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第一話 始まりの風  作者: 古都 黒
3/4

休息、静寂の食堂。瑠璃の過去

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「テスト終了1分前だ名前の書き忘れがないよーに。あと、テスト終了時に寝ているヤツは問答無用で0点とするから覚悟するよーに」その宣言と共に慌てて起きた生徒もいた。

 時刻は12時39分、ついにテスト終了1分前になり、皆は記入したところの見直しや無理やりでも答案を埋めて追い込んだり等の最中、やはり菘の答案用紙が埋まるどころか書かれる気配がない。菘は燃え尽きたが如く全く成す術がない。

 残された約1分間の秒針が刻まれていった。

「テスト終了ーー!!筆記用具は全部置いて後ろから答案用紙を回してすぐに回収!」

 合図と共に、束縛された緊張感は一気に解き放たれた。ただし、一名は除く。その一名、草葉 菘からは誰も近づくことができないような負のオーラを放っていた。瑠璃は答案用紙を回したあと、すぐに菘のそばに来て声をかけた。「おーい菘。……大丈夫?」瑠璃は菘の顔の前で軽く手を振ってみた。

「あー、大丈夫よ。私の希望は理科という教科に全て託されたわ。ガクッ」

 菘はそう言い残しガクッと俯いて、たった一つ残された希望を頼りに寝てしまった。このまま永眠してしまいそうな気がするが。

 教室の時計では12時45分になっていた。4時限目終了後、昼休みの時間となっているが、この日でテストは4時限目で終了したため帰りたい者は帰れる。残りたい者はこの学校の終業時間である午後6時まで居られる。

「ねぇ、もう昼休みだよ。昼ご飯食べに行かないと持たないよ」そう言いながら菘の背中を揺すってみたが、すやすやと寝息を立てて聞いてくれないし起き上がってもくれない。「こりゃ本格的に寝てるっぽいかなぁ」って、わざとはっきり聞こえるように言って見ても反応なし。この様子だと本当に爆睡してしまいそうな感じではある。

 こういう時は菘のこと置いていくわけにもいかない。前に菘が寝てるところ置いて帰ったら、翌日、菘が激おこで罰としてチョコチップクッキーを買わされたことがあるからだ。

「菘、私と一緒にお昼ご飯食べに行かない?」

 お昼ご飯お誘い攻撃で菘を起こそうと瑠璃が菘も耳元でそう言って試みた。すると菘がピクッと動いた。(やっぱり。寝てるけど、ちゃんと耳では聴いてたか)思わず少し呆れ気味に眉間(みけん)をしかめたくらい、瑠璃の経験の通り。お誘いが効いたせいか、菘が少し考える時間の分、およそ5秒後。

「…行くっ!!」菘は元気よく身体をガバッと起こした。

「切り替え早っ!?」いきなり起き上がるものだから瑠璃はついびっくりしてしまった。

 予想通りではあったが、すぐに菘は起き上がった。さっきまで燃え尽きてた様子とは大違いだ。

「世の中、前向きじゃないとやーってけないよっ!いつまでも後ろ向きじゃ前に進めないじゃん」

 菘の言う通りではあるが、自分のことを自分で言ってしまってる。

「ささっ、ルリルリぃ食堂に行こーっ」菘は席から立ち上がり、瑠璃の腕を掴んで引っ張りながら歩いていった。

「ちょっ、菘!手を引っ張らないでよ!」さすがに菘の強引さに瑠璃は怒った。

「おっと、ごめんごめん〜」菘はすぐに手を離したが…。その直後に、「じゃあ…手でも繋ぐ?」と言ってきた。菘は瑠璃のことが好きな故に、そういうとこが軽すぎる。

「断るっ!」瑠璃は照れることもなくツンなご様子だ。

「やだなぁ〜、ほんのご冗談——」訂正する間も無く、瑠璃は勢いよく菘の頭を一発叩いた。良い音と同時に痛さが走り、菘は両手で頭を痛そうに押さえていた。

「いったぁ…。もう!痛いじゃないかぁ!」少し涙目になってる。

「ごめんっ。でも、冗談じゃ通用しないことだってあるんだからね、菘」瑠璃にはあまり冗談が通用しない。

「むぅー、叩いたことは許すけどぉー、あとでちゃんとチョコチップクッキー奢ってよね」

 菘はそこんとこはしっかりしてる。

「あー分かった、ちゃんと奢るから…。でも、さっさと“食堂”に行かないとまたチョコチップクッキー売り切れると思うよ」

 この学校には学食が食べることができる食堂がある。チョコチップクッキーは生徒たちの大人気商品であり、昼休みになると食堂はそれを求める生徒で戦場と化す。

 この学校のチョコチップクッキーはチョコが甘味と苦味のバランスよく、硬めな食感が人気を集めている。チョコチップクッキーの平均価格30Br(ベレ)に対し、この学校では20Brと格安であるのも、人気の理由の一つでもある。


 Brは“ベレーシ通貨”(省略してベレと言われている)と呼ばれている。使える大陸の首都と国の名前から由来しており、人獣の国バレンティア、ウインゴージのある大陸の王都エーレ、ノルゼン大陸のシェノアールが名の元となっている。

 余談ではあるが、“エーレシ通貨”、Er(エレ)と呼ばれている通貨もあり、そちらの方は人間の国エントゥーシアスモ、エーレとシェノアールから名が由来しているが、バレンティアでは使用することができない。

 ベレーシ通貨も同様エントゥーシアスモでは使えず、戦争が起きてしまったため新たに通貨を造り、使用することができる地域を分けたとされている。争うまでは物品や全大陸共通の通貨で取引してたという。▽


「あっ、そうだった!瑠璃、食堂に急がなきゃ!」

 瑠璃に言われてから思い出して慌て始めた菘を見て、だったら何故急がなかったのだろうかと瑠璃は心底思いつつ、菘と共に教室を出て食堂に向かった。

 この学校の食堂は1階の職員室の隣にあり、瑠璃たちがいた教室、紺青組は4階なので、意外と結構距離がある。

 やや小走りで4階から1階へと階段を下り、瑠璃と菘は食堂の近くまで来た。少し先行してた瑠璃が振り返ると、菘は何やら疲れてるようだ。

「る、瑠璃ぃ…、小走りという割にはちょっと速いんじゃない…?」

「えっ、そうだったかな?」

 瑠璃は小走りのつもりだったが、菘からみれば走ってたようにしか見えなかった。瑠璃は何ともない朝飯前くらいの表情なのに、菘はいかにも走り疲れてる感じだ。

「そうだったかな、じゃないよぅー…」菘は疲れながらもムスーっとした顔をしてきた。

 それとほぼ同時、瑠璃はふと何かいつもと違う不自然さを察知した。

「ていうか、今日の食堂はやけに静かだね」

 そう言われて辺りを見渡して菘も気がついた様子。「そう言われてみれば…結構静かだね」

「恐らく、普段開いてるはずの食堂が閉まっているのは——」瑠璃はホラーじみた言い方をしてみせた。

「いや、やめてよね?瑠璃、そんな話し方するのはさぁー。そ、そんなこと言われるとさ、は、入りたくなくなるじゃん?」面白いくらい意外と効いている。

 現時刻12時50分。食堂の扉は閉まっているが、【OPEN 】と書かれた札が掛かっている。いつもならば、学食を買いに来た生徒と教師の列が食堂の出入り口まで並んでいるはず。だが、今日は並んでいる様子すらなく、不気味なくらい静かだった。

 普段、食堂の扉が開いているところしか見たことがない瑠璃と菘にとっては、扉を開けるのも怖く感じた。周囲に生徒が居ないせいか廊下は静けさに満ちていて恐怖を際立たせるかのようだった。

 きゅるるる…

 突然、緊張感のない音が廊下に響き、恐怖感が一瞬断たれた。

「あぅ…、お腹が空いたぁ」

 緊張感のない音の正体、菘が空腹によりお腹が鳴った音だった。あまりの空腹に菘はお腹を押さえ、その場に座り込んでしまった。

「そうね。よし食堂入ろう、菘」瑠璃は菘のローブの袖を掴んで引っ張った。

「いやー、ちょっとそれは」まだ菘の心の準備が整ってない。「あとローブ伸びちゃう」そこんとこはしっかりしてたか、と瑠璃はつい引っ張っていたローブの袖を離した。

 あくまでも恐怖感が一瞬断たれただけで、まだ去り切れていない。このままでは埒が開かなさそうなので、瑠璃はある策を使うことにした。

「腹が減ってはー?」

 腹が減っては→戦はできぬ、と言わせて食堂に行くという、子供なら引っかかりそうな手を使った。

「戦は…できぬ?」菘は引っかかってしまった。子供だ。

「じゃあ行こうっ♪」

 瑠璃はそう言って嬉しそうに食堂の扉を開けて入って行った。

「なっ!?そんなのアリなのかっ!?」

 さすがにこの静けさの最中、一人で取り残されるのはやはり怖いらしく、菘は仕方なく瑠璃のあとを追った。



[魔法学校アルスナディア 1階 食堂]

 食堂の中に入ると非日常的な空間と言ってもいいくらい静かだった。見た感じ店員以外の人の姿が全く見当たらなく、席はどこを見ても空席しかなく完全に自由席状態だ。昼食目当てで来る生徒や教師も居なければ、話し声もオーダーも聞こえてこない。普段は静かに食べることができないくらい人が多く、話し声とか学食のオーダーでがやがやしてるという。

「なんか静かだね」

「そ、そうね…」

 話始めてもすぐに途切れ、沈黙の状態が続いてしまう。あまりの静けさ故に会話することさえ気まずく感じてしまうくらい。ふと、菘は瑠璃に仕返しがてら思いついた。

「あ、そうだ瑠璃。今日の貸しの分買ってきてよ〜。私ここで待ってるからさ!」そう言い、菘は近くの椅子に座って待ち始めた。もうこうなってしまったら、自分からは動こうとする気配は全くないと瑠璃は思った。

「こんな時にそう頼むの!?」

「一応貸しは貸し、だ・か・ら・ねっ」

 貸しは貸しだとはいえ、こういう状況で使ってくるなんて、やはりそういうとこはきっちりしてるなと感心しつつ呆れていた。だが、瑠璃はなんだかんだそれでもしっかり引き受けることにした。

「むぅ、わかったよ…」素直になるのも一つの手だ。

「そんじゃ、よろしくねっ」

 その時、菘はニコッと笑顔で見送ってきたが、瑠璃から見ればその笑顔とは裏腹に腹黒さを感じてしまう。見送られているのが「へっへっへ…、先輩ってものは良いわねぇー」って考えているようにしか見えていない。

 売店の近くまで来て店員と目が合って「いらっしゃいませ〜♪」と、いつもの通りに営業スマイルで瑠璃を迎えてくれた。

(普段忙しそうにしてるけど、今日は暇そうなのにいつもと変わんないな。)瑠璃は今日の店の様子が少し気になって「今日は全然人来てなさそうで退屈?」と、店員に話をふってみた。

「わっ、えーっと…」

 普段、生徒と雑談することが少ないようで、瑠璃に話しかけられて一瞬動揺してたが、すぐに気を許してくれて「そう、人来なさすぎて退屈だったのよねー」と、気さくに話してくれた。

「暇だと逆に困っちゃうね、ほんとにさ。帰りたくても帰れないし」

「確かに」

 学校からの指示がない限りは営業時間の変更は基本的にないため、ピークタイムは忙しくて大変なのは言うまでもないが、忙しくなさすぎるのもある意味大変である…。

「んーで、何か買っていくよね?まさか、雑談だけしに来たってことはないよね」

「そんなことはない、ちゃんと買ってくよ」

 暇そうだから話しかけたなんて言ってしまったら、それはもうとんでもない。

(チョコチップクッキー…、どこだろ)

 ガラス張りの商品棚には惣菜パン、菓子類などが陳列している。目的の物を見逃さないよう、瑠璃は端から目を凝らして探した。そして、チョコチップクッキーが入った透明の袋が置いてあるところに目が留まったが、ちょうど最後の一袋であった。(あって良かった…)と、ホッと一安心した。

「じゃあ…チョコチップクッキー1袋。あとは、シュガートーストを1枚」菘の分だけでなく、ついでに自分のも買うことにした。

 チョコチップクッキーが20Br、シュガートースト15Brで計35Brと、結構安めである。この安さで買えるのも、この学校を通ってる人だけの特権のようなものだ。

 瑠璃はポケットから10Brとして扱う硬貨3枚と、5Brの硬貨を1枚を出して店員に手渡した。受け取った硬貨をしっかり確認し「35Brちょうどですね。お買い上げありがとうございまーす!」という間、すごく慣れたような手つきでレジを開け、硬貨を目に止まらない早さでも確実に分けていて入れてあっという間に閉めていた。動作が素早すぎて慣れてない人が無理にやろうとすると、指を挟んでしまいそうなくらいだ。

 瑠璃は品物を受け取り、菘が待つ席に戻ることにしたが、さっきまで居たところに菘の姿はなかった。辺りを見回し探していると、菘はいつの間にか席を移動しており、窓際の陽当たりの良いテーブル席で本を読みながら待っていた。

(菘は相変わらず落ち着きがないなぁ…)と思いながら、菘が待つ席へ向かった。


「ん、随分と早かったね。…って、そりゃ人が居ないからか」

 普段の日なら並び始めて買えるまで10〜20分ほどかかることがあるくらいだが、3分も経たないうちに戻ってこれている。待つことなく早く買えることは良いことだが、買うのにいつも苦労をしていた分、瑠璃はどうにも気が追いつかない。

「まぁー、いつもこんな感じで買えれば苦労なんてないし、自由な時間が増えるのになぁ」

 菘はそう言って瑠璃からチョコチップクッキーの入った袋を受け取り、袋を縛っているリボンをほどき、豪快にチョコチップクッキーを詰めれるだけ口に頬張った。

 瑠璃はそれを見て「菘さ、一気食いしたらまた喉に詰まらすよ」と、一言注意した。前にも菘は一気食いをして喉に詰まらせた経験があるからだ。そう言っても菘の耳にはすり抜けるし、それに今言ったところで時既に遅しであるが。

「はっふぁ、ほほふぃっふふっひーふぁほほふぃふぇー」

※訳 やっぱ、チョコチップクッキーは美味しいね。

 食べ物が口に入っているのにも関わらず、菘は食べながら喋りだした。とても行儀が悪いうえに、口からモノが出る危険性も、喉に詰まらせてしまうこともあるくらいである。(もう、菘ったら聞いてないし…。)瑠璃がそう思ってる間に、予想通り菘はチョコチップクッキーを喉に詰まらせてしてしまい、「ううっ…、み゛っ、水を…」と、窒息といっても過言ではないくらい苦しんでいた。

 瑠璃は急いで鞄に入ってる水筒を取り出して、水を水筒のコップに注ぎ菘に渡してあげた。菘は水を一気に飲み干して詰まらせてたものを流し込み、胃があるところの辺りを拳で軽く叩きながら一先ず落ち着いた。

 窒息の状態から解き放たれたときの始めに吸う空気は山で吸う空気より美味いとか、真相は定かではないが、今の菘にとってはそのように感じているようだ。それと同時に、「あー、死ぬかと思った…」と、菘がつい言ったくらいの死の淵に追いやられたと大げさ気味であるがそのような体験も味わった。

「もう、だからあれほど一気食いはよくないって…」

 菘の方が先輩なのに、ため息もつきたくなるほど世話が焼けることが多いと感じている瑠璃。菘は本当に自由気ままで、ムードメーカーな面もありトラブルメーカーであるが瑠璃にとっては憎めない方のようだ。

「んぅ(誰か来たかな)」コツコツと靴底が硬いような誰かの足音に気がついて瑠璃は音がする方を振り向いた。

 振り向いた先にいたのは生徒ではなく見慣れた大人の人。薄紫の髪色、厳しそうな目つきにそれを緩和する眼鏡。白地に水色のラインの服、時計の時針と分針の様にアンバランスな長さの短めのネクタイ。少し太めな美脚を際立せる濃い紫色のパンプス。“ヴィオラ・テンプス”、この学校の教師である。

「あら、草葉さんと水青さん。こんな静かなところでお昼ご飯ですか」

 瑠璃と目があって話しかけ、その声に気がつき菘の視線が聞こえた方に向いた。すると、「げぇっ、鬼教師!!」と、菘は思わず言ってしまった。それはちょっと失礼なため、その直後に瑠璃は菘の頭を引っ叩いてやった。「あ痛っ」と、つい声に出してしまっても勢いは止まらず、「いつの間に一体何処から湧いてきたんだ!?」と、驚いたあとは教師に向かって菘は人差し指も指しながら言ってきた。

「随分と嫌われたものね」と、ため息混じりに言うヴィオラも菘には悩んでいる様子だ。

 教師ヴィオラ・テンプスが担当する科目はかなり厳しめであり、ヴィオラが作成したテストは高難易度であるためか、鬼教師と呼ばれているようだ。国語と世界史の担当しており、今回の定期テストの作成も担当している。

「先生も食堂でお食事ですかー」

「まぁね。今は私がやる仕事もないからしばらく寛ごうかなぁー、ってね」

 菘の態度がよくない。落ち着いてなんとか世間話に繋げようと試みた。

「…んで。それはそうと、今年度から初めての世界史のテストはどうだったのかしら?」

 上手いこと逸らそうとしたのが分かりきっていたのか、すぐに切り返えされてしまった。

 ヴィオラが感想を聞いてきた途端、菘の表情が徐々に曇ってきた。

「聞き違いではなければ確か…、草葉さんは世界史のテスト自信があったんですよね…?」

「…はい」と、菘は自信無さげの返答。

「何点くらいとれそう…?」固まっていく菘の顔を覗き込むヴィオラ。

「ぎ、ぎりぎり赤点にならない程度には…」

「そう。お互い、世界史の補習で出会わないことを祈るわ」

 菘の精神的ライフはもう0と言っても良いくらいであるのに、攻撃されまくっている菘が惨めに思えてくる。自信があったとは言ってもやはり強がりは通用せず、結果が絶望的な方向で分かりきってしまっているからダメージが超過している様子だ。瑠璃は半泣きになっている菘をよしよしと撫でてなだめてあげるとした。

「まぁ、私から見ても世界史、世の中の仕組みは結構難しいのだけどね」

 ヴィオラは何か思い詰めてるような表情を一瞬見せた。菘は顔を合わせるつもりはないため見ていなかったが、瑠璃はその瞬間には気がついた。

「そう。あなたたちには必ず知って欲しいの。この世界の歴史と真実を」

 教師であるヴィオラが真剣に話している様子なのに、菘はしっくりきてないようだ。

「先生がそう言ってもねぇ、私にとってはなかなか覚えんの難しいんだよねぇ…。大切なんだろうけど、そう言われてもって感じ」開き直るかのようにへらへらとしている菘。

「瑠璃もそう思わない…?」

「……」

 菘が同情を求め瑠璃の方を見てきたが、瑠璃はいつの間にか悲しそうに俯いていた。「瑠璃…?」と、もう一度聞いても返事をすることなく俯いたまま。何も分かってなさそうだとヴィオラは思って、復習を兼ねて菘に説明することにした。

「分かっていると思うけど、星歴511年に人間の国エントゥーシアスモと人獣の国バレンティアの間で戦争が起きたの。その戦争の始まりは人獣戦争と呼ばれているの。人間たちが土地が欲しくて人獣たちに交渉したけど、交渉は決裂。納得いかなかった人間たちはバレンティアに戦争を仕掛けた。その戦争は今もなお続き、中立国であるエーレ、ノルゼン大陸のシェノアールも影響を受けている。現状を知ることが少ない中立国の人々に少しでも知ってもらう必要があるから、この科目を作ったのよ」

「は、はぁ…」

 ヴィオラの話を聞いても、菘はあまりピンとこなかったようだ。

(…その戦争の話を聞いて何になるってのよ、聞いてどうしろってのよ)

 菘は心の底で納得いかなくなってきてきた。

(私じゃない人間たちが勝手なことをしているだけじゃない。この町は平和、まだ私たちは学生だし、全く無関係な話だよこんなの)

 自分じゃない人間が勝手にやっていること。戦争に協力するのも困難であろう学生である自分にはなおさら関係ない。だから、その話を知る必要はないと拒絶するように、頭に入っていかないようだ。

「過去に私の両親は人間に殺され、姉は行方不明。私たち人獣と人間たちの争いに巻き込まれて」

「え…」

 突然、今まで黙っていた瑠璃が話してきた。けれど、瑠璃の話の内容は戦争による自分の両親の死、姉の行方不明。いきなりそんなことを言われても、どう言葉を返せば良いのか菘には分からなかった。学校で初めて会ってから多くの時間を過ごしてきたと思っていたが、そのことを初めて聞いたこの時、瑠璃とは違う世界を生きているかのように感じた。

(やっぱり。戸惑うのも無理もないよね…)

 菘の戸惑う様子を見た感じ、すぐには頭の中で整理しきって理解はできないかなと、なんとなく瑠璃は察していた。

「ねぇ菘」と、先に瑠璃が言う。

「ん…言われたってすぐわかんないよ、私」思考がこんがらがっているようで、すぐには理解できないからか否定的に言う菘。

「まぁ少しずつ分かってもらえればいいよ」

「そう…?」不安そうに言う菘に、瑠璃は頷いて答える。「わかったよ。だから、ちゃんと聞くから話してよね」なんとか少しだけいつもの調子を取り戻したようだ。

「分かりやすく言うとね。私が住んでいた街が人間たちに襲撃されたの。それで街は焼かれ、たくさんの人が殺されたの。姉はそれを止めに私を残して出て行ってしまった。私はなんとか生き延びることができたけど、姉は帰ってくることなかった。私は姉を探しにエーレまで自力で歩いて辿り着いたところをエーレの兵士の保護されて、その後ライラのアクセサリー屋に手伝うことになったのだけれど。8年後、ウインゴージに引っ越してきて、アルスナディアに通って菘に出会って…、今に至るのかな」

 思い出すことが辛くても、ちゃんと伝えようと。学校で一番最初に話しかけてくれて友達になった菘のために。

「この町に来てから友達も増えたし、またちゃんと生きようと思えたし、本当の自分らしさになってきた感じがするの。ウインゴージに来て本当に良かった、今の私の居場所だと心から思えているよ」

「今まで瑠璃の過去に触れようと思ったことなかったけど、そうだったんだ…」

 話してくれたことを頭の中で整理しようとしてるのか、頬杖をつきながら外の方を見た。

 入学したての瑠璃にちょっかいを出す自分、何も考えず無邪気な振る舞いをしている自分が外に実際にいるかのようにフラッシュバックした。

(この町で学校生活を楽しく過ごせればいいと私はずっと思っていた。ウインゴージの外のことなんて気にしたことなかったし、種族のことなんて全然考えたことなかった。その時が来ても知ろうとしなかった、ほんとにお気楽な私だったんだ)

 それに比べて悲しい過去を振り返りつつ今も前向きに生きている…、そんな瑠璃が羨ましいな、と菘は思った。

「ヴィオラ先生。何か私たちにできたりすることはないんですか…?争いが終わらないままのこの世界を変えることはできないのですか?」

 ヴィオラはその言葉を聞くと、席から立ち上がり瑠璃の方を見た。

「出来たら苦労なんてないわ。ただしこれだけは言える、身近なところに常に答えは存在する。勉強、探し物だってそう、ほんの些細なことがきっかけとなることがあるのだから」

 ヴィオラはそう言い残して食堂から出ていってしまった。菘が思い詰めている最中、瑠璃は心配そうに声をかけた。

「菘、あんな私の過去の話をするべきじゃなかったね。でも、私のことは気にかけなくても大丈夫だよ」

すると菘はふっと顔を上げ、「あ、そうだ瑠璃、ちょっと図書室行かない?世界史の勉強も兼ねて、さっき先生が話していたことを調べにさ」何かを思いついたかのように、いつも通りのテンションを取り戻していた。

「あ、うん、別に良いけど…。相変わらず立ち直り早いわね」

 菘の気分が立ち直る早さにはいつも驚かされている瑠璃。

「じゃ決まりだね、さっ行こー♪」

 菘は座っていた椅子をぶっ倒すほど席を勢いよく立ち上がり、瑠璃の手を引っ張って連れて行った。

「え。あっ、っとっと、また手を引っ張るのー!?」

 相変わらずマイペースで強引な菘。そう思いながら、せっかくいつものテンションを取り戻してくれたことだから、‘今回は’引っ張っても許してあげることにした。


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