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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編ホラー

親指

作者: 壱原 一

朝テーブルを拭いていると、うっすら手形を視認した。拭き直しても落とせない。洗剤や研磨剤も効かない。


少し擦りすぎた気がして、傷の有無を調べるべく手形の辺りを検分する。手形に指が6本ある。


思わず眉間に皺を寄せ、改めて机上を精査する。手形は既知の一か所だけ。再度ふいたが埒が明かない。


諦めて朝日を仰いだ先で、長年の風雨に耐えた窓の曇りに気が移る。


ぼちぼち拭こうと雑巾を持って出たところ、掃き出し窓の左上に6本指の手形があった。


手形は屋外から付いていた。傾斜のある瓦屋根から雨樋を越えて身を乗り出し、屋内を覗き込む姿勢で付いた手形だった。


皮脂が多いのか砂埃がふんだんに付いている。指紋まで窺えそうに感じ、よく見ると親指が2本ある。端から2本目の親指にのみ曖昧な指紋が見て取れる。


亡父から継いだ平屋の周囲は、特に自然豊かではない。手形から想像される大きさの動物に心当たりもなく、今のところ気配も感じない。


何とも落ち着かない気持ちを窓掃除で晴らす。


ぴかぴかに仕上げられたが、やはり手形だけは落とせなかった。


休憩用にコーヒーを淹れ、居間のソファに寛いで、口元へ寄せたカップから妙な臭いがする。


古い輪ゴムと田圃の泥と油性ペンを混ぜたような臭い。


訝しんでカップを離し、目の高さで眺め回す。カップの底にいかにも有機的な薄黄色の手形が付いている。


自然と渋面して、台所で処分しようと立った足首を掴まれた。


ぎょっと奇声を発し、ソファに尻餅をつく。勢い足が振り上がって、ソファの下からずるっと何かが釣り出される。


生乾きの干物のようなもの。


萎びた朝顔、枯れたヘチマの花、干乾びたミミズの表皮感で、五体があり、ぬるぬるして、関節と思しき辺りに固まりかけの液体のりに似た(こご)りが溜まっている。


力の限り足を振る。ひ弱な骨肉を内包した柔らかい重さは案外あっさり外れ、弧を描きビタンと壁に衝突した後すっくと体勢を立て直した。


老爺のような赤ん坊のような顔をしていた。その顔を気難しい職人のように顰め、落ち窪んだ口をがっぱり開き、仰け反るほどに息を吸う。


これ□の!これ□の!これ□の!これえ!□の!!


背中を屈め、こめかみを筋立たせ、渾身の金切り声が鼓膜どころか目の奥にまで突き刺さる。


言い終えるなり素早く指を咥える。6本指の端から2番目の親指。じゅうじゅう吸われる親指は、それだけが人の肌色で、瑞々しく生えており、どうも男の指のように見えた。


呆気に取られている内にどたばたと走って行って、家の奥の方でけたたましくドアが閉まる。


それからしんと静かになる。


父の部屋の方角だった。


*


父とは長年疎遠だった。物言わぬ再会を果たした時、いつの間にこんな怪我をと不思議に思った。


滞りなく送り出し、少しずつ整理すべく来着いたのが今日の早朝のこと。改めて無人の生家に居るとしみじみ懐古の念に駆られ、無闇に掃除したりアルバムを眺めたりしていた。


賑やかしに点けたテレビにDVDが入っていて、再生すると画面一杯に幼児の泣き顔が映った。


これ□の!これ□の!これ□の!これえ!□の!!


俯く男の胡坐の上に座り、男の手を抱え込み、涎でだらだらの口に男の親指を運ぼうとすこぶるむずかっている。


あらあら□、お父さん大好きね。


頑なにこだわる幼児とじっと俯いて動かない男にころころ楽しげな笑い声が掛けられていた。


あれを模倣されたのか。されるくらい再生していたのか。遭遇して齧り取られ、あまりの獰猛さに手を出せなかったのか。


もしやあえて見逃していたのか。まさか招き入れたのか。そもそもあれは現実か。


あり得ないと否定しても、勝手口の隅に見かけた使途不明の動物の餌入れが、まるで関係者の素振りで脳裏にちらついている。


微動だにせず見下ろして、黙って好きにさせていた気難しい職人のような顔を覚えている。


物音ひとつしない父の部屋をどうするか顰め面になる。


のろのろソファに座り直し、掴まれた足首がすうすうして、見れば手形が付いている。


ふてぶてしく所有権を主張した、老爺のような赤ん坊のような形相は、およそ似ても似つかないが、少しだけ父に似ていた。


まずは零れたコーヒーを拭かなければならない。



終.

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