9:傷心
召喚の魔法──ではない。
魔法陣を背にして浮かぶアスターには、サフランを認識している様子はなかった。
遠見の魔法──でもない。
どこかにいるアスターの姿を映しているにしては、あまりにも違和感があった。
少なくとも、授業で教わった魔法ではない。
きっと双子の研究に関係している魔法だ。
サフランはそう理解して、一歩を踏み出した。
学校内に残された何を集めて具現化したといったところか。
興味深い魔法ではあったものの、今のサフランにはやるべき事が別にあった。
「ごらんよ、サフラン」
「ホンモノか確かめて」
「呼びかけてごらんよ」
「そうすればわかるよ」
双子が確かめるように促した。
サフランは小さく頷くと、自分にしか答えが分からない問いを考えた。
そうすれば、双子の捏造ではない、はずだ。
学校内で起きた事ならカバーしていると言った。
だったら、学校の外で起きた事も質問してみる必要がある。
それが捏造されるようなら、これは情報として価値がない事になるから。
「……私と初めて会った時に言った言葉は?」
サフランが問いかける。
すると、魔法陣が見せているアスターが首を傾げた。
「サフランってば。学校内の出来事じゃないと、再現できないよ」
「ボクらは校内に残留した思念や記憶を拾っているだけだからね」
双子がにここにと笑みを浮かべたまま補足した。
サフランはなるほどと納得して、ゆっくりと息を吸った。
知らない事は答えない。答えられない。
それなら、双子が操って嘘をつかせる事も難しいか。
サフランはもう一度、大きく息を吸った。
「入学式の日、私に言った最初の言葉は?」
問いを受けて、幻想のアスターがサフランを見た。
相変わらず美男子だ。恰好良い。しかし、こいつは悪い男なのだ。
サフランは自分の中にある僅かな未練を振り払った。
『──おはよう、サフラン。頑張っておいで。君なら大丈夫』
幻想のアスターが紡いだ言葉に、サフランはぞっとした。
まったくもって、その通り。あの時、あの場には二人しかなかった。
いなかったのに。
それが再現されてしまった。
サフランはごくりと喉を鳴らした。
「今月の……進級試験の合否発表の日、中庭でフリージア先輩に言った最初の言葉は何」
『やあ、待ち疲れたよ。君って相変わらずだね』
当たり障りのないあいさつに聞こえて、サフランはホッとした。
その一方でシンスは眉を寄せた。
中庭で待っていた。
つまり、二人は待ち合わせをしていたわけで、偶然ではなかったという事の証明だ。
「ベンチに座ってから、フリージア先輩に何を言ったの」
『君はいつ見ても綺麗だね。アイツに少しくらい分けてやってよ』
幻想のアスターは、笑みを浮かべていた。
サフランが、いつも間近で見ていた笑みと同じだ。
優しそうで柔らかくて、うっとりしてしまうほど甘い微笑。
今はただ、その表情に追い詰められた。
「フリージア先輩が好きなの?」
アスターは答えない。
「フリージア先輩に告白したの?」
アスターは答えない。
「フリージア先輩に……」
サフランは戸惑った。
声が震えてしまう。何をどう聞けば、きちんとした答えを導き出せるのか。
どういう聞き方をすればいいのか。
サフランは縋るように双子を見たが、双子はにここにと見守っているだけだった。
「フリージア先輩に、私の事をどう言ったの……」
ぽつりと声が落ちる。
その時、アスターがははっと声を出して笑った。
驚きのあまり目を見開いたサフランを見つめたまま、アスターは言う。
『アイツ、勘違いしているんだ』
幻想のアスターはしれっと言ってのけた。
『僕が本気だって思ってる。おめでたい奴だよ』
『結婚だなんてとんでもないよ。卒業したら、アイツは用無しだ』
『あはは、そんな。僕には君だけだよ、フリージア。アイツはね、今だけの繋ぎ』
『卒業試験に合格したら、捨てるつもりだったよ』
『アイツはすごいよ。試験の中身を教えたら、答えをくれるんだ。役に立つよ』
『可哀想だよなぁ。あれじゃ、恋人なんてできっこないよ』
『アイツ、親が魔法使いだったんだ。魔法ができて当たり前だよ』
『養親に反対されたって。当然だよ。美しくない魔法使いなんて、不気味なだけじゃないか──』
「──もうやめて!」
次から次へとあふれ出すアスターの言葉を遮ったのは、シンスだった。
シンスは呆然としているサフランに駆け寄ると、その手をぎゅうと握った。
「もういいわ。もういい、行きましょう。サフラン。もういいわ」
「……そんな、だって……」
「聞かなくていいの、もういいのよ。終わりにしましょう。ね?」
シンスは眉を下げて、サフランの腕を引っ張った。
しかし、サフランは動けない。
質問者であるサフランが止めないせいで、幻想のアスターはまだ話していた。
『──アイツ、大罪人の血縁なんだって。それを聞いた時に思いついたんだ。
使えそうだなって。それで、ちょっと優しくしたらコロリだよ。あははははっ──』
面白がって笑っているアスターの声を聴いた瞬間、
サフランは弾かれたように、シンスの手を振りほどいて駆け出した。
「サフラン!」
慌てて追いかけたようとしたシンスのすぐ目の前で、勢いよく扉が閉じた。
そこに魔法の力が働いた事は確かめるまでもなく明らかで、シンスはすぐに双子を振り返った。
「まだ対価をもらっていないよ」
「可哀想だけど仕方がないよ」
「ボクらを恨んでくれても構わないけど」
「ボクらを恨んでも、何も変わらないよ」
双子の言葉はもっともだ。
もとはといえば、アスターの真意を知りたがったのは自分たち──いや、シンスだ。
シンスはひどく後悔していた。
こんなにひどい事を言われているなんて。
こんなにもハッキリ伝えられるだなんて。
想像もしなかった自分の浅慮さを、シンスは恥じた。
ふわりと、シンスの金髪が浮かび上がる。
一瞬の閃光が室内を満たしたあと、シンスの髪が首筋に触れる。
肩にも届かないほど短くなった髪よりも、シンスはただサフランが心配だった。
「ありがとう。もういいでしょう。扉を開けてくださる?」
「うん。それは、もちろんだよ」
「ふふ、とてもいい取引だったね」
ギィと軋んで、扉が開かれる。
双子に向き直って頭を下げたシンスは、すぐに駆け出した。
扉をくぐる手前で、シンスは双子の声を聴いた。
「「ユーフォルビアの事を教えたのは、ボクらだよ」」
その言葉にシンスは思わず立ち止まった。
振り返ると、双子の姿はもうどこにもない。
残されているのは、革張りの椅子。
「対価はいらないよ。おまけだから」
「どうぞ、お好きに使って、シンス」
「「サフランによろしく」」
その声を最後に、資料庫の扉は閉ざされた。