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7:提案

 シンスの部屋で紅茶を飲んだ翌日から、

 サフランはシンスとほとんどの時間を共にするようになった。


 授業の合間、野外実習、昼食──

 今までなら、アスターと過ごしていた時間だ。


 シンスといっしょにいる間、サフランにはさまざまな目が向けられた。

 しかし、シンスが傍らにいる状態では、ひどい陰口や正面からの中傷はない。

 それは男子も女子も同じだった。


 廊下やトイレの鏡の前を通り過ぎる度、

 サフランは自分とシンスを比べてばかりいた。

 だが、それは最初の一週間だけ。


 やがて、こんなにも可愛らしいのに、今まで誰と過ごしていたのだろうと、

 かつてのシンスの過ごし方が気になるようになっていた。


 魔法の勉強と恋人との交際で手一杯だった頃のサフランは、

 シンスがどのようにして過ごしていたのかを気にした事すらない。

 見かけてはいたのかもしれないが、認識してすらいなかった。


 サフランがシンスを意識するのは、きまって、

 成績優秀者として共に名を連ねている時だった。


 入学試験のとき。魔法学の実習のとき。定期試験のとき。

 学期末の成績発表のとき。表彰のとき。そして、あの進級試験のとき──。



 あの進級試験の結果発表日から、二週間が経過した。


「最近はどう?」


 この二週間で、課題をするのは図書館かシンスの研究室という習慣ができていた。

 ソファに隣り合わせで座って、それぞれに課題を進めていたとき、

 不意にシンスがサフランに問いかけた。


「どう、って……?」


 サフランは少し困って、そのまま問い返した。

 シンスはゆったりと頬杖をついて、左隣にいるサフランを見つめている。


 サフランはハッとした。


「うわさが消えたかも」


 自分に対する悪口や陰口がなくなったのは、

 陰口を叩いていたみんなが、その姿をシンスに見せたくなかったからだと推測できた。


 それでも、離れた位置から漏れ聞こえてくる嫌な話はあった。

 不釣り合いだとか、不相応だとか。

 しかし、それもこの一週間ではほとんど聞いていない。


 サフランが言うと、シンスは嬉しそうに微笑んだ。


「良かったわ。ひとまず表面的には落ち着いたと見て良いみたいね」


 頷いたシンスは、皿に並んだ色とりどりのマカロンを口に運んだ。


「……そのために、いっしょにいてくれたの?」


 サフランは少し驚いた。

 シンスは自分自身の扱われ方を、よく理解していると思ったからだ。


「違うわ。私がいっしょにいたかったの。うわさが落ち着いたのは結果論よ」


 緩やかに否定を返したシンスは、サフランの手に触れた。

 そして、皿に誘導をして、その指にマカロンを確保させる。


 サフランはマカロンを口に運びながら、

 自分といっしょにいる事で、シンスが嫌な思いをしなかったかと不安になった。


「でも、シンスは……」

「私は楽しいわ。サフランといると、課題も研究もはかどるもの」


 笑みを浮かべたシンスに対して、サフランはホッと安心した。


「早くサフランの研究室にも行きたいわ」

「散らかってるからダメだよ」

「それなら、いっしょに片付ければいい?」

「い、いや、あれはちょっと見せられなくて……」


 この二週間、サフランはシンスの研究室に入り浸りだ。

 部屋に戻るのは、寝るために帰るようなもの。

 掃除も何もかもほったらかしで、

 こんなにも部屋を綺麗に維持しているシンスには、到底見せられそうにない。


 サフランが断ると、シンスは残念そうに肩を竦めた。


「そのうち招待してね」

「あー、うん、そのうちね……」


 正直、サフランからすれば、

 シンスの研究室にいる方が課題も研究もやりやすくて好都合だった。


 必要な資料も魔法書も、ここではどこに行ったか分からない、という事にはならないから。


「さて……みんなが静まったなら、今度はこっちが動き出さないと」


 マカロンを食べた指をシルクのハンカチで拭ったシンスは、

 そのハンカチを畳み直しながら、サフランに視線を向けた。


「何を?」

「アスター先輩へのお返しよ」

「ああ……」


 そういえば、そうだった。

 思い出したように頷くサフランに、シンスはゆったりと首を傾げた。


「やっぱり、したくない?」

「あー、ううん。そうじゃ、ないんだけど……」


 サフランは言葉を濁した。

 何せ、シンスと過ごすうちに、どうでもよくなっていたからだ。

 アスターとは3年ほど交際していて、シンスとはまだ二週間。

 なのに、もうシンスにばかり気持ちが向いていることに、サフランは我がことながら驚いた。


「お返しって、何をするの?」


「まず情報を集めるわ。

 アスター先輩とフリージア先輩について、調べたい事があるの」


 シンスはそう告げて、少しだけ視線を外した。


 3年生のフリージアには、少々よくないうわさがあった。

 うわさ話に過ぎないのであれば、シンスは気にもしなかったが、

 どうにもそれが本当らしいと知ってからは、引っ掛かりを覚えるようになった。


他人(ヒト)彼氏(モノ)を奪うって最高よね。アナタもそうなんでしょ?』


 彼女自身、自分の容姿が優れている事を自覚している。

 それは悪い事ではない。しかし、それを悪用する事を、シンスはあまり快く思わなかった。

 挙句に同類に違いないと言わんばかりに扱われた事もまた、シンスとしては心外だった。


 フリージアの生活態度がよろしくない事は、

 教師の間でも有名な話であったらしく、あれでは悪い魔女になってしまうなどと囁かれるほどだ。


 もし、それが本当なら、

 フリージアはわざと、サフランの恋人であるアスターを狙ったかもしれない。


 そうだとすれば、アスターに対する仕返しだって、内容を改める必要がある。

 そうはいっても、シンスは彼を無罪放免だなんて思わない。


「でも、サフランがやりたくないなら──」

「ううん。私も……悔しいし、ムカつくから、仕返しはしたいよ」


 サフランはもう一つ、マカロンを口に放り込んだ。

 ただ、方法がうまく思いつかない。

 基礎の魔法を応用した新しい術を編み出す事はできるのに。


 それもまた、サフランの悔しさを加速させる理由だった。


「けど、調べるってどうするの?」


 サフランが問いかけると、シンスは柔らかい微笑を浮かべた。


「適した人がいるわ」

「適した人って……」


 誰かいたか。誰だ。

 眉を寄せたサフランは、数秒ほどして、あ、と声を出して顔を上げた。


「もしかして、ハイドとドラン?」


 右のハイドと左のドラン。

 鏡のようにそっくりで、常に一緒に行動しているミステリアスな双子。

 どちらかが女でどちらかが男らしいが、誰も見分けがつかないせいで、

 右側にいるのがハイド、左側にいるのがドランなどと適当な区別をされている。


 サフランは話をした事こそなかったが、二人が情報通だと呼ばれている事は知っていた。


 本当か嘘かは分からないが、

 試験問題でさえも対価を払えば教えてくれるとまで言われている。


「そう。あの二人なら、きっと何か知っているはずよ」


 シンスの言葉にサフランはこくんと頷いた。

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