6:失恋
シンスは、本当に美しい少女だ。
どの角度から見ても、とても整った顔をしていて、
その大きな目を伏せていても視線を上げていても愛らしい。
シンスが淹れてくれた紅茶で一息をついたサフランは、
カップを両手で包むように抱いたまま、シンスを見つめていた。
ゆっくりとカップに口をつけたシンスは、その桃色の唇から吐息を漏らした。
「おいしい?」
「え、あ、うん。おいしい……」
「ふふ、お口に合って良かったわ。クッキーもどうぞ、召し上がって」
皿を示すだけでも、サフランにとって
シンスの仕草はひとつひとつ丁寧で、とても優雅なものに見えた。
それに比べて自分の、気の利いた言葉ひとつ言えない口が恨めしい。
「──いい? サフラン」
カップをソーサーに戻したシンスは、
それを区切りにして、静かに口を開いた。
「フリージア先輩がどんなに素敵な人であっても、
不義理を働いたアスター先輩を許す理由にはならないのよ」
シンスの言い分に、サフランは眉を下げた。
ソーサーにカップを戻すと、不作法が祟って音を立ててしまった。
「だって、アスター先輩はサフランの恋人だったでしょう?」
シンスは膝の上に両手を重ねて置いた。
サフランとアスターの交際は、ほとんどの生徒が知っていた。
それはひとえに、アスターが目立つ生徒だったから。
「フリージア先輩に恋をした事は、責められないわ。
恋心を操る事なんて、できないもの。自分のものだって、人のものだって同じよ。
でも、だからって、サフランにきちんとした対応をしない理由にはなっていないの」
きゅっと手を握ったシンスは、サフランの様子を見つめた。
今のサフランは、深く傷ついている。
そして、きっと自分を責めている。
それは、よくない事だと、シンスはそう思っていた。
「新しい恋をしたのなら、サフランにお別れをしなければならなかったの。されてないのよね?」
「……うん」
「きちんとお別れの話をしていないのに、他の女性とキスをしているだなんて。そんなのあんまりだわ」
挙句に、ストーカーだったなんて。
よくもそんなうわさを流せたものだ。
シンスはひどく怒っていた。
アスターについても、アスターの味方をする生徒たちに対しても。
そして、おそらくうわさを流したのであろう、フリージアに対しても、だ。
「だけど、どっちもつらいよ……」
サフランは、一度引っ込んだはずの涙が目を覆って、
どうすればいいのかも分からないまま、ぐすと鼻を鳴らした。
別れ話をされたとしても、きっとつらかった。
キスを目撃してしまった時のつらさが、それよりも上か下かなんて、分からない。
想像だって、したくなかった。
「アスター先輩も、話しにくかったかもしれないし……」
「……そうね、つらいわ。お別れはいつだって悲しいもの」
シンスは静かに肯定して、隣に座っているサフランに身体を向けた。
そして両手を伸ばして、その腕に触れた。
サフランは思った。
シンスは、恋人と別れた経験があるのだろうか。
こんなに美しい女の子と、交際をやめてしまう男がいるだなんて。
サフランがゆっくりと頷くと、シンスは静かに頷きを返した。
「でも、恋人が誰かとキスをしている姿を見るよりもつらいとは思えないわ」
そう言ったシンスは、サフランの腕を撫でおろして手に触れた。
手の甲に重なったシンスの、長い指と小さな掌にサフランはどきりとした。
透き通った氷のような、あるいは空のような、美しい色の瞳に見つめられて、
サフランは自分の頬が赤くなっていないものかと、不安になるほど緊張している。
「私ね、とても怒っているの」
「どうしてシンスが……」
「サフランが傷付いているからよ。あなたは悪くないのに」
「悪くないかな……」
むしろ、可愛くも美しくもない自分は、もっと早く身を引くべきだったのではないか。
そう思うサフランに、シンスは首を振った。
「悪くないわ。悪いのは、先輩たちとみんなよ」
浮気をしたはずのアスターを責めるどころか、美男美女カップルだともてはやす者も。
傷付いているサフランに、心ない言葉を投げつける者も。
成績まで不正だったなんて、根拠のないうわさを広めている者にも。
シンスは、憤りを感じていた。
「泣かないで、サフラン。あなたは何も悪くないの」
そう言われてサフランはやっと、自分が泣いていると気が付いた。
何に泣いているのか。失恋したからか。きっとそうだ。
だまされていたように感じたから、裏切られたように思えたから。
こんなに悲しいのに、みんなが自分を責めるから。
それが、たまらなくつらかった。
「ごめんなさい、サフラン。泣かないで」
シンスの細い指先が自分の頬に触れて、それだけでサフランの鼓動は跳ね上がった。
シンスは何も悪くない。
悪くないのはシンスだ。
サフランはずっとシンスが嫌いだった。
でもそれは、ただの嫉妬心からだ。
可愛くて美しくて頭が良くて、どんな魔法もそつなくこなす彼女に嫉妬していた。
そんな彼女が、自分のために怒ってくれている。
それが、たまらなくうれしかった。
「シンス……」
「なあに?」
「……どうすればいいの、私……すごく、すごく悔しいのに」
何をすればいいのか、サフランには分からなかった。
うわさだって、しばらくは消えてくれない。それまでは耐えるしかないのか。
シンスはサフランの手をぎゅっと握り締めた。
そして、泣いているその顔を見つめたまま、真剣な表情で言い放った。
「アスター先輩にお返しをしましょう」