12:予兆
思わず地下倉庫から飛び出してしまったサフランは、
駆け抜けた廊下を戻りながら、シンスの事を考えていた。
ひどい事をしてしまった。
彼女はあんなにも自分の力になってくれたのに、
それに対して、あんな態度を取ってしまって、自分は本当に最低だ。
サフランは頭を抱えながら、シンスがまだ地下倉庫にいるかどうかを気にした。
もしかしたら、もう研究室に戻ってしまったかもしれない。
もしかしたら、もう呆れてしまって嫌になったかもしれない。
嫌だった。シンスに嫌われるなんて、考えたくもない。
前方から二人組の男子生徒が歩いて来ると、
サフランはとっさに顔を背けてしまった。
それはもうクセになっている。
最近は出なかったのに──そう考えて、違うのだと思い至った。
シンスがいっしょにいる時の自分は、彼女の方ばかり見ているだけだ。
「シンスちゃん怖かったな」
「いやいや、フリージア先輩の方が怖いって」
「でも、ふたり揃うとやっぱすごかったな」
「だなー、オーラがさー」
すれ違いざま、二人組の会話が耳に入って、
サフランはハッとした。
「ね、ねえ! それって、どこでっ?」
振り返ったサフランが声を出すと、二人組はぎょっとした。
「二人をどこで見たんだよっ!」
サフランは思わず声を荒げた。
シンスとフリージアがいっしょにいるなんて。
サフランの剣幕に押された二人組は、慌てて廊下の奥を示した。
「か、階段のとこだよ」
「ここの端っこの……」
進行方向の廊下を見たサフランは、礼もそこそこに駆け出した。
二人組はそれをぽかんと見送るだけだ。
女の子というものは、やっぱりよくわからない。
シンスとフリージアが怖かった──と、彼らは言っていた。
何の話をしていたのか、特に話はしていなかったのか。
詳細は何もわからないが、とにかく険悪なムードだった事は確からしい。
フリージアがシンスに何かしないかどうか。
サフランは、そればかりが気になっていた。
廊下の角を曲がって、遭遇した生徒を驚かせながら更に走っていく。
後ろから罵声じみた声が届いたが、今はそんな事は意識に入り込まない。
奥の階段が見えた時、サフランは息を飲んだ。
「──シンスッ!!」
その華奢な身体が、フリージアに突き飛ばされた瞬間だった。
サフランは咄嗟に左手を右手の甲に押し当てて短い詠唱を唱えた。
右手の甲に魔法陣が浮き上がり、それを投げるようにシンスめがけて腕を振るう。
緑色の光を纏った風が舞い上がって、寸前のところでシンスの身体を受け止めた。
ふわりと。浮遊感がシンスを包み込む。
何が起きたのかを、シンスはすぐに理解した。
数秒ほど遅れてその場に辿り着いたサフランは、
走って来た勢いのままに、緑の風に守られたシンスをぎゅっと抱き締めた。
「──何するんだよっ!」
そして、踊り場にいたフリージアを睨みつけた。
もしシンスが怪我をしたら、どうするつもりだったのか。
どうして、階段で突き飛ばしたりなんてしたのか。
責めたい事は山ほどあった。
それなのに。
ふんと鼻を鳴らしたフリージアが立ち去るのを、サフランは止められない。
だって怖かった。
美しい顔が怒りに歪んで自分を見つめていたのも、
こうしてシンスに何か仕掛けられてしまったことも。
睨みつけるだけで、サフランは精一杯だった。
「……サフラン。ありがとう」
フリージアが立ち去っても踊り場を睨んでいたサフランは、
腕の中からシンスの声がして、やっと我に返った。
「シンス! ……ごめん。ごめんね、シンス。こんな、私のせいで……」
「どうして? サフランは何も悪くないでしょ」
抱き締めたシンスごとその場にへたり込んだサフランは、
魔法で作り上げた風が散っても、その身体から腕を離せなかった。
「でも、フリージア先輩が……」
「ええ。そうよ、フリージア先輩のせい。だから、サフランは悪くないのよ」
ゆったりと首を傾げて自分を見つめるシンスの髪が、
とても短くなっている事に、サフランは今やっと気が付いた。
その髪だって、自分のために短くされてしまったものだ。
自分の事がなければ、フリージアとシンスが揉めるような事だってなかったはずなのに。
サフランは後悔した。
仕返しなんて考えず、大人しくしていれば良かったのだと。
「ごめん……ほんとに、ごめん」
「どうしてサフランが謝るの? 私が、フリージア先輩を怒らせたのよ」
「シンスが……?」
サフランは困惑した。
だってそんな。
シンスが、どうしてわざわざそんな事をしたのか。
その必要なんてないはずなのに。
シンスは薄く微笑むと、困惑しているサフランに顔を寄せた。
鼻先同士が軽く触れる。
ふわりと花のような香りがして、サフランは更に困惑した。
「そう。私が怒らせたの。だから、サフランは関係ないのよ」
「……でも」
「サフランは私を助けてくれたのよ。私ひとりだったら、大ケガをしていたわ」
そう言うと、シンスはそっとサフランの腕を引いた。
いっしょに立ち上がると、シンスがとても小柄だという事がよくわかる。
サフランは色んな感情で胸が高鳴るのを感じていた。
何を言って怒らせたの。
どうして喧嘩になってしまったの。
聞きたい事はあるのに、声になってくれない。
サフランは自分の情けなさに泣きそうになった。
「それに、私こそ悪かったわ。あんな事になるなんて思わなかったの」
「……さっきの?」
「そう。アスター先輩のこと」
ゆっくりと両手で腕を緩やかに引っ張ったシンスに誘われて、
サフランはおずおずと歩き出した。
「ひとまず部屋に戻りましょう。話はそれからだわ」
「……うん」
細い腕に小さな手。
それが自分の腕を引っ張っている。
前を向いて歩く小さな頭を見つめながら、サフランは更に困惑を深めた。
アスターに仕返しはしたかった。後悔させてやりたかった。
ひどい事をされたのだと思ったから。
だけど、不思議と失恋の痛みは薄くて、それがシンスのおかげだと気が付き始めていた。
◆感想、評価やブクマなどを頂けると投稿の励みになります。
◆登場人物の名前は、すべて草花が元ネタで花言葉も関係しています。
◆①サフラン-名前の元ネタはサフラン。花言葉は「歓喜」。




