♠♠来るな、来るなと言われれば
♠♠平聖8年(YE2758年)10月
♠♠ベアリーン連邦共和国 ハーフボー
ベアリーン連邦共和国の首都ベアリーンを出て、第2の都市ハーフボーに移り、1泊した翌朝。ズオウンさんとバロウンさんが沈痛な面持ちで、俺の部屋を訪れてきた。事前に菊と京にも集まってもらっている。
「どうされたんですか?」
この都市有数のホテルのスイートルーム、そのリビングには5人が余裕で座れる。
「どうぞなのです」と、部屋の一角にあるキッチンでグラスに取り分けたリンゴ炭酸水を、男の京が配ってまわる。今朝の朝食の準備当番だった菊は、バツが悪そう。俺の身の回りの家事は、菊と京の交代制になっている。これは前誕からの話だが、京が家事をこなして「できる妻」を主張したのが発端だ。昨今は男女平等が進み、俺たちが死んだ年には女性も選挙権を得たというのに、再誕しようと意識はそう簡単には変わらない。2人とも照和の女のままだ。武士は男女平等社会だが、それもまた別。
「ありがとうございます」
ズオウンさんはそれを1口飲むや、
「小林様、申し訳ないのですが、私とバロウン、しばらくお暇を戴きたいのです」
と切り出した。
……ふむ。
もともとフチテー帝国皇帝の依頼でくっついてきたこの2人、一時的でもずっとでも、武士隊を離れること自体に問題は無い。取れる戦術の幅は狭くなるが、それだけのこと。ただこれは、そういう戦力の問題では無いだろう。
「詳しくご事情をお話しいただけませんか?」
俺はがっつりと、話に食いついてみた。
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武士賊『ヴィキンガ』の討伐。
それがズオウンさんとバロウンさんが、俺たちの元を離れようとしている理由だった。
現在俺たちが滞留しているベアリーン連邦共和国は、東西南北、様々な国と国境を接している。ズオウンさんの話は、北方で陸繋がりのダンマルク国にまつわるものであった。
ダンマルク国の武士密度は3と低めだが、エウローペー地域ではマシな部類。それでも武士の待遇はあまり良く無いのだそう。一般に武士密度の低い国は、武士が念食獣の被害を防ぎきれないことが多く、社会的に軽んじられる。逆に貴重な存在になるのでは無いかと思うが、武士密度が低い国は武士も弱い傾向にあって、そうはならない。――と、士道高校で習った。弱り目に祟り目、って感じかな。
そうした社会背景が遠因か、20年ほど前から一部の武士が反乱を起こし、ついには今年に入ってダンマルク国――この国は、フチテー大陸の一部をなす半島と、数個の大きな島、数百の小島から構成されている――の重要な島一つを占拠したのだそう。
念食獣が大量発生して大変なご時世に、何やっちゃってくれてるんだろ。
「反乱武士ども――武士賊『ヴィキンガ』と呼ばれているのですが――そのヴィキンガについ先日、我らが……、我らがフチテー帝国武士隊が大敗を喫したのです」
俯き、拳を握りしめるズオウンさん。
信じられない。
フチテー帝国は20万の武士を抱える最強武士国家の1つ。国土は広いし、全世界に武士を派遣しているしで、十分な戦力を振り向けられないにしても。そんな賊と化した武士たちに、フチテー帝国の武士隊が負けるなんてことがあるのだろうか?
「指揮は先日飛行機に同乗させていただいたウジイエが執っていたのですが、その敗戦の責任を取って、団長の職を辞任しました」
バロウンさんが悔しそうに話を続ける。マジかよ……
「それでお二方に、応援依頼が来たのですね」
菊が話を受ける。
この2人はフチテー帝国のエリート武士。
ウジイエが退いたのなら、2人は次々期から次期の団長候補へと繰り上がったんだろうな。そんな2人を呼び寄せるとは、フチテー帝国も引き下がれない状況ってところか。
んん? 話の流れ的に、もしかして……
「そういう話でしたら、俺たちにも加勢させてください。今回のエウローペー地域遠征は、予定があって無いようなものです。そのような武士の反乱で、念食獣への対応が滞るのは見過ごせません」
そう言ってみると。
「いえ、これはフチテー帝国の威信の問題です。大和国武士のお力を借りるわけには参りません」
案の定。ズオウンさんには、速攻で断られてしまった。
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「……事態が収まりましたら、いずれにしても挨拶に参ります」
最後にそう言って、ズオウンさんとバロウンさんは退室していく。「いずれ」というのは、「ヴィキンガ鎮圧の後に、俺たちの遠征に復帰するにしても、しないにしても」、という意味だ。
「ハウペール島って、どんな島なんだろう?」
戸が閉まりきるのを待って聞いてみる。この高級ホテル、部屋の戸も分厚くて、上級武士の聴力であっても、廊下から室内の音を聞き取ることはまず無理だ。
「大和語で『海の宝石』という意味なのです。昔から北地中海の要衝の地なのです。ハーフボーから、北東に約350キロメートルに位置する島なのです」
北というのは、エウローペー地域中央部から見て、北という意味だ。南の地中海のほうは、前誕の時に、エーゲ海で泳いだり、ヘラクレス海峡で防衛線を指揮したりと縁があった。
「うふふ、秋ったら、いい顔しているわ」
それはそうだろうな。ニヤつくのを止められない。あそこまで来るなと言われたら、万難を排して行くしかなかろうて。
「さーて…… 領事館に相談してみるかな」
ハーフボーにも、大和国の領事館がある。今滞在しているホテルも領事館が手配したものだ。どこか特級武士を貴人のように扱うので調子が狂うが、俺たちだけではお金も言葉もどうにもならない。
「それが良いのです」
「武士隊とも、お話ししないといけないわね」
京と菊の意思は確認するまでも無く。
俺たち3人は、ハウペール島に潜入する方策を探ることにした。