♠あんなふうに
♠照和38年(YE2738年)3月
♠信濃県松本市
「はぁ……」
となりで丸山さんが、自分の手に息を吐きかけ温めながら、歩いている。寒さで赤くなった頬がかわいい。
「えっと、ま、丸山さん、だったよね?」
自分でも思わず、どもって話しかけると。
「あー、やっぱり! 私のこと、分かってないんだ。小中学校と同じの、丸山、菊、です。……もう! 小さいときにいじめっ子の█▇くんから、助けてあげたのに!」
と、ふくれっつらで返された。
可愛すぎる。
情けない幼馴染みエピソードだが、ナイスだ、█▇とやら。褒めて使わす。
「ああ、ごめん、ごめん」
頭をかき、このあとどう話を合わせたものかと学校を出ると、石造りによる校門には「松本士道高等学校」と刻まれていた。
矢印に従って右に曲がり、舗装されていない砂利道を進む。矢印は俺にしか見えていないようだ。
「試験、どうだった? 先生たちが次々と武具を念製なされて……」
武具? 途切れがちの会話を、丸山さんがつないでくれると――
「♪~ 豆腐~ できたての豆腐はいらんかえ~」
ラッパを交え。自転車に乗ったおじさんが、大声を上げて、ゆっくり、ゆっくりと通り過ぎていく。
こんな民家もまばらな砂利道、ご苦労さまなことだ。
静かになったあと、俺と丸山さんは苦笑いを交わす。
今度は俺が小粋な返事をする番――
「ああ、あれ、すごいよね。先生によって色が……」
「いーしやーきいもー おいもー やきいもー」
向かい側から、リヤカーを引いたオバサンが、ゆっくり、ゆっくりと向かってくる。とても、パワフル。
しかしさきほどの豆腐売りといい、こんなところで物売りして、商売になるのだろうか?
静まるのを待ちながら2人並んで歩いていると、次第に建物が増え、駅らしき建屋も見えてくる。
そして焼き芋屋の売り声が遠ざかると――
「お芋、食べたかったけど、滝沢くんがいるから我慢したわ。うふふ」
丸山さんはそう言い、はにかんだ笑顔を見せる。
! 心臓が強く脈打つ。
自分でも、自分の顔が紅潮するのが分かる。
『ちっ』
するとどこからか、聞き覚えのある舌打ちが。
……そういうことか。そういうことですか。
やたら物売りが通ると思ったが……
『おい、ソロバン! てめえっ』
思わず、声にはならない、声を上げると――
「きゃあ!」
「出たぞ!」
「自警団を呼べー」
突然駅のほうが騒々しくなり、人々がこちらへと走ってくる。
今度はなんだ?!
「滝沢くん、あそこ!」
丸山さんが指差す方向を見ると。
角からゆっくりと現れる動物。
トラ? いや、ネコなのか?
しかしその大きさは、立ち並ぶ駅前の建屋と同じ。ゾウほどはある――
「念食獣っ!」
息をのむ丸山さん。
俺の左腕を、痛いほどに掴んでくる。
初めて、実物を見た…… いや、これもゲームだったな。
口から何かがはみ出てパタパタしていたが、その動きが止まる。
人の足だ……
(カーン、カーン)
唖然と立ちすくんでいると、左手遠方の物見櫓からか、激しく打ち鳴らされた鐘の音が町内に響く。
「どけ、どけ、どけー!」
荷台に数人を載せた、小型のトラック。
猛スピードで通り過ぎ、怪物の数百メートル手前で急停止。
「急いで! 学校に逃げろ!」
荷台から飛び降りる、男2人に女1人。
逃げ惑う人々に声をかけながら、怪物へと駆けていく。
無茶だろ? 勝てるわけがない!
「丸山さん! 学校に戻ろう!」
学校に行ったところで、どうなるとも思えぬが。
あんな怪物に狙われたら、あっという間に追いつかれる。
一刻も早く、逃げるべきだ。
黙ってうなずく丸山さん。
前を走らせ、俺はすぐその後ろを追う。
小さな肩。
何があっても守りたい。しかし俺の力では――
学校方向。
今度は自動車が、砂埃を巻き上げ、走ってくる。
と、急ブレーキをかけて、俺たちの横に止まり。
助手席のドアが、半分開く。
「ちょうどいい、丸山! 滝沢! 後ろの座席に乗れ!」
聞き覚えのある声。実技試験の真ん中に座っていたオバサンだ。
「はいっ」
と、車に乗り込む丸山さん。
俺も続くと、運転していたのは中村先生だった。
「ありがとうございま――」
俺が礼をする間もなく、車は怪物に向かって急発進。
どうして? 逃げるんじゃないのか?
「私があいつを討伐する。良い機会だ、見ておけ!」
俺の心理を読み取ったかのように説明する、助手席のオバサン。
何を言っている?
その言葉に戸惑っていると、車は急停止。
「ここは危ないわ!」
俺たちが車を降りると、すぐ近くにいた女性が大声を上げる。さきほど怪物に向かっていった3人のうちの1人だ。
いつの間にか淡い茶色の光に包まれた丸い盾と刀を持っているが、左腕からは血がにじんでいる。
「何やっている!」
と、今度は怪物のほうから男が跳び下がってくる。
数歩で数十メートル、移動した?
人とは思えぬ身体能力!
「私は松本士道高校の校長、小松梅子です。助太刀に参りました」
名乗りを上げるオバサン。校長だったのか。
「ああ、あなたが先日、着任した……」
「ありがたいが、アイツは自警団で対処可能だぜ」
「そうでしょうが、このような町中。早く被害を抑えるべきでは?」
「即席じゃあ、あんたと連携が取れない……」
「おい、なに足を止めている!」
屋根から跳んで怪物に一太刀浴びせたもう1人の男が、また屋根に着地し、こちらに大声を向ける。そして再び怪物に向かって、飛びかかる。
「基礎がなってない……」
校長は小声で呟き、
「いえ、私1人で仕留めます」
と話を続ける。
「何を!?」
自警団の男が目をむく。
それに構わず、中村先生に振り返る女校長。
「中村先生は、新入生たちをお願いします」
「分かりました。万一に備えます」
新入生たち……
俺がその意味をかみしめている間にも、校長と自警団の2人は向かっていく。
「新1年生!」
「はいっ!」「はいっ!」
中村先生は、言葉を続ける。
「戦いは恐らく一瞬。見逃さないよう、しっかりと見るように!」
――♠――♠――♠――
途中で自警団2人を止め、1人で怪物に向かう小松校長。
「防具装着……」
どこからともなく現れた防具が、校長の身体を包む。
兜と鎧をかたどった、青白い何か。
装備が盾だけの自警団2人が、驚いている。
「武具召喚……」
防具と同じ色、1メートルはありそうな刀が、右手に握られる。自警団2人の得物よりは長いが、こちらはさほど、差はない。
――と、校長が駆け出す。
「ぃやぁあああ!」
こちらの身がすくむような声を張り上げ、地を這うように跳躍。
凄い!
一瞬で怪物の頭に迫る!
そして、刀を振りかぶり――
刀が伸びた!?
一閃!
校長は怪物を飛び越し、姿が見えなくなる。
怪物が左右に分かれ――真っ二つ。
その後ろ、着地した校長が姿を現す。
何かが校長の刀に吸われ、怪物が、……消えていく?
『ちっ』
あ゛っ?
この場面で舌打ちは無いだろ? ソロバンAI、見損なったぞ。
……と思ったら。
俺はいつの間にか丸山さんの手を取り、強く握りしめていた。
「あ、ゴメン……」
俺は慌てて手を放す。照れ笑いするしかない。
そんな俺を、丸山さんも照れくさそうに見つめ、
「凄かったわね。私も早く、あんなふうに強くなりたい」
と、菩薩のような笑みを浮かべた。