♠血の気の引く思い
「くやしい…… はっ!」
目を覚ますと森の中。
木々の合間からのぞく空は、鮮やかな紫色。
朝早くだと、伺い知れた。
「おっ、起きたか?」
木に寄りかかった校長が声をかけてくる。
俺の横にはこちらに顔を向け、寝ている丸山さんの姿が。なんという眼福……
「こら、女性の寝顔を覗きこむんじゃない。昨晩は2交代の見張りで大変だったんだぞ」
校長にどやされる。
念食獣は、夜は出現頻度が低く、活動も緩慢なので、わりと安全に野宿ができる。群れもなさないので、たいていの場合は1人が応戦して時間を稼ぐことが可能だ。ただ念深の深い念食獣があそこまで敏捷とは、想像を超えていた。あの程度の物音でも、警戒が必要なのか……
俺は昨日の夕方から半日以上、寝ていたようだ。
このフルダイブVR、気絶や睡眠も再現できる。現実世界では数秒しか経過していないはずだ。こんな強力な機能、法律や医学上の規制があっても良さそうだけど、どうなんだろう?
「すみません……」
そう言いながら腹を手で探ると、包帯が巻かれ、痛みがなくなっていた。
「どうだ、そろそろ治ったんじゃないか?」
と、小松校長。
そんな馬鹿なと立ち上がってみると、確かになんとも無かった。
「これは…… 回復魔法ですか?」
包帯を取りながら、聞いてみる。
「ふははは、何を寝ぼけてるんだ。もうお前も丸山も常人ではない。切り傷程度はすぐに回復する。骨折となると、もう少しかかるがな」
「そうですか……」
俺は、つい、校長の左手に目をやる。
「うん? これか…… さすがに部位欠損は治らん」
そう言い左の手袋を外す校長。現れた蒼い左手は、出来損ないの彫刻のように見えた。
「それは、念体、ですか?」
「そうだ。必要なときだけ呼び出せるから便利だぞ。……つまらん冗談だったな。昨年の秋に持っていかれた。私はまだやれるつもりだったが、この学校に押しやられた、というところだ。親がちょっとした役人でな」
「そうでしたか……、その、すみませんでした」
俺は校長に向かって、真面目に頭を下げる。
どこかでゲームという意識があるせいか、無神経な視線を向けた自分が腹立たしい。
「そうだ、滝沢。お前、昨日の中型念食獣、使役した念体に吸わせていただろ?」
話題と声の調子を変える校長。木によりかけていた身を起こし、近づいてくる。
「はい、あの中型に襲われる直前に、小型のを手なずけたんです」
「そうだったか」
「それで、そのあとに丸山さんの成長した武具を見て、俺のも、と思い」
「なるほどな…… どうだ、あれだけ念を吸えば、小型の従魔を作れるはずだぞ。やってみろ」
校長は言いながら、いつもの蒼い蝶を念製してみせてくれる。
あのいたずらっ子のような表情は、昨日の丸山さんのときのように、ダメ元で試させているように見えるが……
「じゃあ、俺は……」
幼い頃に冬子と良く追いかけていた昆虫を、目を閉じて思い浮かべる。
俺の中の念体が、主人のイメージを実現しようと、頑張っている感じがする。
「本当につくるとはな……」
校長の声に目を開けると。
1匹のトンボが、宙に静止しているかのように、飛んでいた。
――♠――♠――♠――
「わあ、すごいわね、滝沢くん」
トンボを見て、驚きの声を上げる丸山さん。でも、どこか表情が硬いような?
俺のトンボで、校長との念信も試したあと。
丸山さんも起床したので、朝食を取り。
狩りに出ようという段で、俺は満を持して、丸山さんに自慢のトンボを披露した。
「そうだな、今日は私の念体で滝沢と、滝沢の念体で丸山と念信を張って、3人とも単独で狩りを進めるか」
昨日の俺のアクシデントなぞ歯牙にもかけず、一段とハードルを上げる校長。このオバサン、Sっ気があるぞ、絶対。
「いきなりですか? その前に俺と丸山さんの属性が遠かったら、念信できないじゃないですか」
そう反論しながらも、心の準備をする俺。属性の問題はまだしも、念信は受け手が相手を信じて受け入れないと成立しない。こっちが問題なのだ。
「ふん、私の見立てでは2人の属性は合う。つべこべ言わずにやってみろ」
またあのいたずらっ子の表情だよ。Sオバサン。
「仕方がない。飛ばすよ、丸山さん」
俺は意を決して、トンボを丸山さんに向かわせる。なんだ、この、ラブレターを渡すような心境は。
トンボが胸に近づく。
と、丸山さんの顔はますます引きつり――
「もう無理っ! 嫌ーっ!!」
と、大声を上げ、手でトンボをはねのけた!
文字通り、俺の顔からサーと血の気が引く。
丸山さんは、顔を手で覆って、しゃがみ込んでいる。
これ、本当は俺を嫌っている、ってことだよな……
なんかもう、死にたいよ……
……
「どういうことだい、これは? 滝沢! お前、丸山に何か悪さをしたのか!」
俺を睨みつける校長。俺のほうしか疑っていない。それは俺が知りたいんです……
どう答えようかと悩んでいると……
「わ、わたし……」
うずくまった丸山さんが声を上げる。
「虫が……苦手なんです……」
――♠――♠――♠――
森を1人進む。結局また、俺だけ1人。
「丸山、お前なあ」と校長も呆れていたが。丸山さんが虫嫌いにもかかわらず、この森の中での演習を我慢しているのを知って、昨日と同じ編成で狩りを進めることになった。
虫が駄目なら、動物を作るしか無い。しかし動物を念製するには、もっと念を吸わせる必要があるらしい。俺としては、念体の強化に、一段と気合いを入れざるをえない。
と――
中型の念食獣を発見。
またイノシシ系。昨日のヤツと異なり、牙が大きい。
校長に念信して応援を頼むとともに、俺は小太刀を召喚して念食獣に挑む。
勝てはしないが、やられもしない。
怪我の恐怖が薄れ、自分で言うのも何だが、昨日までより、ノビノビと戦える。
武具が手元にあるのも、心強い。
やがて校長と丸山さんが駆けつけてくれる。
「2人で倒してみろ」という校長に、「頑張ろうね」と俺に声を掛ける丸山さん。そんな様子が芝居じゃないかと疑心暗鬼になる情けない俺だが、戦いの第2ラウンドが始まる。
片方が念食獣の注意を引きつけている間に、片方が切りつける、という戦いを繰り返す。
程なく念食獣が弱り、「滝沢くん、そろそろいけるんじゃないの」と丸山さん。
俺は「おりゃ」と念食獣に潜り込み、喉をかききって、とどめを刺す。
念食獣の姿が消え、その念を、また俺自身ではなく、念体のほうに吸わせる。どちらを優先させるかは本来は重要な考えどころなのだが、今の俺には「念体を成長させる」の一択。
なお、校長からは「念食獣は動物じゃない。動物とは弱点が異なるから、懐に飛び込むようなマネはするな」と怒られた。
――♠――♠――♠――
そうして、2日目、3日目が過ぎ。
この3回目の演習を引き上げようか、というところ。
「よし、やるぞ!」
校長と丸山さんが見守る中で、俺は新たな従魔の創造に挑む。
事前に丸山さんの希望は聴取済みだ。校長がぼそっと、「丸山も遠慮ないな……」と呟いていたのは気にかかる。
……もったいぶるつもりは無いのだが、なかなか形にならない。虫と鳥とでは、校長が言う通りに難度が段違い。しかし……
愛は勝つ!
俺の中の念体に、イメージを叩き込む。
すると……
「わあ、わあ、滝沢くん、すごいー!」
前回と違って、子供のように心底喜んで見える丸山さん。
何度俺のハートを撃ち抜けば気が済むのだろう。『ちっ』という効果音付きだ。
一羽の鳩が、空を舞う。
どぶ色だけど。
白色にできないかなあ……
ドSオバサンも「ほー」と感嘆の声。初日の俺よ、仇は取ったぞ!
しかし本番はここから。心臓が激しく脈打つのを表に出さないようにして、鳩を丸山さんの胸元に飛ばす。
ラブレター渡し、再び。
今回は大切そうに、鳩を両手に抱きかかえる丸山さん。
丸山さんの胸に、沈み込む鳩。
ああ、どうして俺は、あの鳩ではないのか……
【丸山さん、俺の声、聞こえる?】
鳩が吸い込まれたのを確認して。俺は恐る恐る、心の中で呼びかける。
【ええ、滝沢くん、聞こえるわ…… でも……】
すぐに返答があり安堵するものの、その感慨は必死に抑える。丸山さんにだだ漏れになるからだ。
そして丸山さんが戸惑いの様子を表したが、念信に慣れた俺もそうだった。
俺には、丸山さんの声とともに、テンパった様子の俺の姿も見えた。たぶん、丸山さんには、キュートな自分の姿が見えているのだろう。
「どうした、2人とも?」
怪訝に思ったのであろう、小松校長が俺と丸山さんに問いただす。
俺のほうが、「俺の念信」と「校長の念信」の違いを説明すると。
「視覚共有、だな、それは……」
そう言いながら校長は、俺と丸山さんの肩に手をかけ、
「丸山も大概だが…… 滝沢、お前も相当に桁外れだぞ!」
と、嬉しそうに声を上げた。