♥それは少女が願った世界
♥?年(YE?年)春
♥場所不明
暗闇――
そこからゆっくりと視界が広がり、ガラス戸をたたく風の音が聞こえ始める。
太ももから尻にかけては、布地の柔らかな感触。
驚いたことに澄んだ空気がおいしく感じ、でも少し寒くて、肌が粟立つ。
ゲームを開始すると、俺は自分の部屋と同じくらいの広さの一室で、学生服を着てベッドに腰掛けていた。
右手が南側らしい。部屋の短辺、ガラス戸の向こうにはベランダと手すりらしきものがあり、さらに外には木々に覆われた山々が見える。
まずはこの部屋を物色してみるか。
そう立ち上がろうとすると、視界の彩度が落とされ――
『「Re-birth」ノ世界ヘ、ヨウコソ、ナノデス!』
いかにもコンピューターの声のようなわざとらしい音声、それとともに視界下方に字幕が表示される。
人気ゲームと聞いたが地味な演出、字幕も鬱陶しい……
『字幕ハ、最小限ニスルノデス。音声ハ、変更シナイノデス』
また音声メッセージが流れる。
VRシステムにゲームコントローラは無い。ヘッドギアから思考を読み取られ、反応が返ってきた、というところだろう。
……で、今、サラッと『シナイノデス』って言ったよな?
『アナタハ、松本士道高等学校ノ1年生ナノデス。今日ハ、始業式ナノデス』
俺のつっこみはスルーされ、次の音声メッセージが。
松本士道って、実在する高校だ。俺とは無縁の世界、のはず…… 異世界ファンタジーじゃないのか。現実世界もの?
にしてもこのフルダイブVR、リアルなだけに、誰もいない部屋で声だけ聞こえてくるのは、けっこう不気味……
『仕方ガ、ナイノデス。実体化シテ、アゲルノデス。惚レテハ、ダメナノデス』
今度は俺の思考に反応して、マスコット、らしきものが現れた。
ロッカーのような縦長の灰色の直方体が、宙に浮かんでいる。
あちこちでランプが光って、ケーブルが配線されている。
『私がサポートAIなのです。気軽に「マイ・ハニー」と呼ぶのです』
……つっこむ気にもならねえ。
女の声。
違和感は無くなったけど、色気の無いマスコットだ。
これ、本当に人気のゲームなのか?
『早速、好色な性癖を発露しているのです。コンピューターをモチーフにして、正解なのです。さあ、さっさと学校にでかけるのです』
随分と酷い言われよう。そして、馴れ馴れしい。
『おいまて、普通、RPGはキャラクターメイクがあるだろ? ……ああ、分かった。新学期の自己紹介イベントで、キャラメイクが始まるパターンか?』
文句をつけようと思ったが、自己解決。学園モノなら、典型的なゲーム導入だ。
『いいえ、あなたさまは滝沢秋、男、15歳なのです。身体設定もそのままなのです。あなたさまのパーソナルデータは登録済みなのです。変更はできないのです』
……なんだ、それは? 名前が付けられないどころか、本名を使用するRPGって、なんなんだよ!?
てか、どうやって俺のデータを入手した? 坂上さんが病院からもらって、登録したのか?
『そんな細かいことを気にするのは、あなたさまらしくないのです。さあ、話を進めるのです。ポーズを解除するのです』
『ま、待てよ!』
俺の鋭い指摘は無視され、視界に色彩が戻る。どこからか、鳥のさえずりが聞こえてくる。
そんなこと言われても、学校の場所なんて、分からないだろうが。
……と思ったら、部屋の北側に、「こっち~」と書かれた矢印が浮いていた。
廊下に出て階段を降り、運動靴をはいて玄関をくぐる。その横には「松本士道高等学校 男子寮」と、大きな表札が掲げられていた。
寮の前の緩い坂を下りると、広めの歩道に合流。良く手入れされた木々や花々に囲まれている。ポツポツとほかの男子学生も登校している。
要所要所に浮かぶ矢印に誘導され、歩くことしばらく。
今度は十字路。
矢印は直進を案内しているが、なにやら「右側に注意」という看板も浮いている。
何があるんだ?
右側の歩道に目を向けると――
ぽよ~ん
左側から、何かぷにっとした物体がぶつかり、俺は地面にしりもちをついて倒れる。
(から~ん♪ から~ん♪)
どこからか教会の鐘の音が、荘厳に鳴り渡る。
背中は硬くてひんやりとしたアスファルト。
しかし顔、胸、腹は何か柔らかくて、暖かいものに押しつぶされている。特に俺の顔を覆い、視界を奪っている部位は、ことさらに弾力性に富み、そして、いい匂い。
「いたい、のです……」
俺に乗っかっている柔らか物体が、甘い女の声を漏らして震え、俺の体にも響いてくる。
とても気持ちは良いが、ずっとこうしてはいられない。息も苦しい。
「重い……」
率直に、俺の窮状を訴えてみる。
「失礼なのです!」
効果はてきめん。俺に覆いかぶさっていた柔らか物体がばっと立ち上がり、スカートをパタパタとはたき始める。
「高1女子の平均体重は53キログラムなのです。私は52.5キロなのです。500グラムも軽いのですっ!」
何やら力説しているが、俺の耳には入らない。
俺は未だ路上で仰向け。
その真横で、膝上推定15センチのスカートがヒラヒラ。
ゆえに白と水色の縞々が俺の目を奪うのは、不可抗力である。
……おっと、ゲームだと思って、ガン見してしまった。
視線をずらすと、そんな俺を、セーラーブレザーを着て顔を真っ赤にさせた女子が見下ろしている。
ふむ、普通にかわいいし、制服越しでも分かる、高1女子とは思えぬバディ。上着のおなかまわりが、そのバディの余波で浮いている。
「……見たのです。責任を取るのですっ!」
俺はゆっくり、ゆっくりと、心を落ち着かせる時間を稼ぎながら、立ち上がる。
いかにして「これくらいでは、子どもはできない」ということを、この女に説いたものか。
意外に難題だよ、これ。
セクハラを回避して説明する論法を、思いつかない。
――と、またもや視界の色彩が落ち、時間が静止する。
そして空間にメッセージ表示。
『結婚するのです? [OK][承諾][アクセプト]』
……なんだ、このふざけた設問は!?
『おい! サポート! 出てこい!』
『はわ~ 何でしょう? 私も忙しいのです~』
あくびをしながら、サポートAIが空間に現れた。
『お前、注意の看板、わざと方向を間違えただろう?』
『(ひゅ~♪) さて、なんのことなのです?』
なにこいつ? 口笛うまいな、腹が立つ。
『じゃあ、この選択肢はなんだ?』
『ご安心ください、なのです。あなたさまはどの選択肢を選ぶか、念じるだけなのです。こちらで思考を読み取って、ゲームを進行するのです』
『……選べるか、こんなもん! どれも同じじゃねぇか!』
『でもあなたさま、「このヒロイン、可愛い。性格も良いし、スタイルも抜群」って思ったのです』
『勝手に性格を付け足すな! まあ、ほかは認めてやるが…… ともかく雑なイベント1つで、結婚なんかできるか!』
だいたいヒロインってなんだよ、フリーシナリオじゃないのか? 誘導には乗らん。
『ちっ!』
こいつ、舌打ちしやがった。
『いいからさっさと、選択肢を消せ!』
『やれやれ、今回は見逃すのです。こんなにトロトロとプレイされては、いつまで経っても話が進まないのです。ポーズ解除っ、なのです』
またしても一方的な、話の打ち切り。
視界に色彩が戻る。
――おっと、柔らか物体が俺を睨みつけている。「責任取れ」とか言ってたっけか。
「あー、なんだ、頭打って意識が朦朧としていた。ぶつかって悪かったな。俺も新入生の滝沢秋。そっちは怪我は無かったか?」
「あなたさまが緩衝の役割を果たしてくれたので、怪我はないのです。……そして衝突したことについては、私にも非があるのです。過失割合は5対5なのです。示談に応じるのです」
……この女には関わらないほうが良い。
「じゃあ、これで」
外見はヒロイン級だが、中身がただ者でなさ過ぎる。ここは話を切り上げて、学校に向かうの一択。
――と歩き出したら、左袖を引っ張られた。
「私は老良京なのです。京と呼ぶのです。目的地は同一なのです。あなたさまに同行するのです」
むう。学校まではどうみても一本道。ここで別れるのは無理があるか……
「それもそうだな。俺も秋でいいぜ」
ゲームだし。俺は爽やかな奴を装って、老良さんと学校に向かう。
老良さんによると、さきほどの十字路の左は女子寮で、右は運動場につながっているらしい。
そうしてまっすぐ進んだすぐ先には、鉄筋の校舎が建っていた。
2019/09/21 表現を修正しました。
前 結婚しますか?
↓
後 結婚するのです?