異世界における他殺死ガイド72
プレアムの結界を抜けた後、スコット率いる集団を待つのは危険な山道である。瘴気溜りが近く、強力な魔物達が多数潜む山を抜けなくては、グロツにはたどり着けない。
集団の中には腕に自信があるものも居たが、瘴気溜り近くに生息するような強力な魔物にはかなうはずもない。スコットは魔物に遭遇しないよう祈った。
だが集団を待ち受けていたのは魔物ではなく、鎧に身を包んだ兵士達であった。
「罠だ」
兵士達の気配に気づいた一人が声を上げた時には既に遅く、スコット達は兵士に囲まれてしまっていた。
ザッ
木の影から兵士たちが姿を現した。
「どうしてバレたんだ…」
兵士たちは全員武装しており、絶望するスコット達に剣を向けていた。
スタスタ
「面倒なことです」
兵士達の中から、他の兵士達より上等な鎧を着た男が歩み出た。男の顔にはカールした髭が揺れている。
「おとなしく我々に管理されていればいいものを、何故逃げようとするのか」
「ボクシンスキー!」
スコットは男を睨みつけ、名前を叫んだ。
カール髭の男の名はボクシンスキー。プレアムから逃げる者が出ないように見張る者、監視者である。おかしな髭を生やしているが、剣の腕はプレアムでは随一。そして、この男が見せしめと称する狂気の行いは、新たな脱走者を生まないための強い抑止力となっていた。
「私の名前を呼ぶ時は様をつけなさい。これからあなたたちは炭鉱に送られるのです。そこでの生活のためにも、私の心証を害するのはオススメしませんよ」
ボクシンスキーの言葉に、スコットが言い返す。
「媚びようが逆らおうが、いずれ全員炭鉱送りで、動けなくなった者から死ぬんだろ!」
「その通り」
ボクシンスキーが目を見開いて集団を見回した。その狂気をはらんだ目に、集団は引いた。
「ですが人生なんてそんなものでしょう?」
ボクシンスキーはカールした髭をいじりながら言う。
「上の者から搾取され、下手を打てば炭鉱送り、最後は動けなくなって死ぬ」
「それのどこが人生だ!」
「ようは慣れの問題です」
ザッザッ
ボクシンスキーは集団の前をうろつき始めた。
「確かに、現在のプレアムの労働環境は良いとは言えないかもしれません。ですが、強く抵抗さえしなければ無下に殺されたりはしない」
ボクシンスキーはスコット率いる集団の中、恋人同士なのか抱き合う男女を見た。
「人生とはなんですか?食べることですか?眠ることですか?それとも誰かと愛し合う事ですか?」
ボクシンスキーに怯える男女を守るように、スコットが前に出る。
「全て人生の一部だ。そして、その全てが今のプレアムではまともに行えない」
ボクシンスキーは髭をつまみながらスコットを見た。
「まともに、とは?食事と睡眠を取る暇はある。これは炭鉱で働く者達も同様」
ボクシンスキーは髭をいじりながら続ける。
「では愛はどうか?禁止などしてはいません。どうにか時間を作って、存分に愛し合えば良い」
ピン
ボクシンスキーは髭をつまんだ指を放した。カール髭がビヨビヨ揺れる。
「慣れですよ。慣れ。慣れてしまえばそれが普通になる。」
ボクシンスキーは後ろを向き兵士達を見た。
「それに、過酷な環境の中でこそ、愛というものは輝くのかもしれません。どうぞ勝手に燃え上って、我々のための労働力を増やして下さい」
「貴様!!」
スコットがボクシンスキーに掴みかかろうとしたが、兵士に殴られて倒れた。
「ぐはっ!」
「はははは」
倒れたスコットを見ながらボクシンスキーが笑う。
「ははははは」
スコット達の周りを囲む兵士達も笑う。
「…ううう!」
ピノは唸った。
状況は絶望的である。このままではゼペットの自己犠牲は無駄となる。だがどうしようもない。ピノは体が大きいが、大して強くは無い。それに、下手に暴れれば集団の中の弱い者に犠牲が出る可能性がある。ボクシンスキーの言う通り、抵抗しなければ殺されることは無いのだ。ピノは何もできない自分に憤った。
「さて、お話はこのくらいにして、連行と行きましょうか。おっと、その前に」
ボクシンスキーの目つきが変わった。胡散臭そうな笑った目から、捕らえた獲物を絞め殺すかのような冷徹な目に。
「見せしめが要りますね」
ボクシンスキーはその冷徹な目で、抱き合う男女の女性の顔を見た。
「ひっ!」
女性が怯えて小さく叫んだ。
罠を張り、脱走方法の確認。これ以上南側に脱走しようとするものが出ないように見せしめ。今回のボクシンスキーの目的は達成されようとしていた。
「大丈夫です、殺しはしませんよ。大事な労働力ですし、先程言った通り、新たな労働力を生んでもらうという大事な仕事もある」
スタスタ
ボクシンスキーが女性へと近づいていく。
「おい、やめろ!」
殴られた腹を抑え、倒れたままスコットが叫ぶ。
「殺しはしませんが、働くのに支障のない部位であれば、少々切り取っても問題ないでしょう」
「い、嫌…」
「ソマリには手を出すな!何かするなら俺にしろ!」
抱き合っていた男女の男性が女性を後ろに隠してボクシンスキーと向き合った。
「あなたに用はありません」
ボクシンスキーが目配せすると、兵士達が男を押さえつけた。
「うぐっ!放せ!」
「ロイド!」
ソマリは押さえつけられている男、ロイドに駆け寄ろうとした。
「ソマリさんというのですか」
「ひっ!」
ボクシンスキーがソマリの体を舐めまわすように見た。
「脱走者は例外なく炭鉱送りですが、女性の場合は炭鉱夫たちの身の回りの世話が主な仕事になります。編み物をするので手の指は駄目、ならば足の指か」
「う…」
「そういえば足の指が一本無くなるだけでまともに立てなくなると聞いた事があります。立ち仕事もあるでしょうし、足の指は却下。ならば耳?目?鼻?舌?」
ボクシンスキーがソマリの目を覗き込んだ。
「耳と目は、二つありますね」
「そんな…嫌…」
チャキ
ボクシンスキーは小さなナイフを取り出した。
「ああ…」
「待てえ!」
ドドド
ピノがボクシンスキーに向かって突進した。
ドカ!
「ぬ」
ピノの大きな体の突進を受けたにもかかわらず、ボクシンスキーの体は動かない。
「強く抵抗しなければ殺しはしないと言ったでしょうに」
スラァ
ボクシンスキーは腰から剣を抜き、ピノに向けた。
トプリ
水に何かが沈むような音。
「うお!?」「なんだあ!?」
兵士達がざわついているのを聞き、ピノに切りかかろうとしていたボクシンスキーの動きが止まった。
「なんです?魔物でも出ましたか?」
少し前、ここプレアム南の結界の監視を行っていた者が脱走者を取り逃がし炭鉱送りとなったが、その時脱走者たちを追っていった者達は恐ろしく強い魔物に追い払われたのだという。ボクシンスキーはそれを嘘だと思っている。炭鉱送りになるのが嫌でそんな嘘をついたのだと。
ここはまだ瘴気溜りから遠い、弱い魔物しかいないはずである。だが例え強い魔物が居たとしても問題ない。とある理由から、今のボクシンスキーにはそれを撃退できる自信があった。
トプ トプリ
水に何かが沈むような音が続く。兵士達のざわつきは止まらない。
ボクシンスキーは兵士の数が減ったように感じた。
「おおお!?」
ボクシンスキーがすぐ傍で騒んだ兵士の方を見ると、その兵士の足が土の中に沈んでいた。兵士はもがくが、水のようになった土には手をかけられずどんどん沈んでいく。
「土が!?」
ボクシンスキーは咄嗟に土の上から飛びのき、大きな岩の上に避難した。
「うわあああ!」「ぐぶぇ!」
兵士達が次々と土に飲み込まれていく。だが何故か兵士以外、スコット達は土に飲み込まれていないようである。スコット達は土に飲み込まれていく兵士達を不思議そうな顔をして見ている。
ドポ
波打つ地面から、大きな八つの目が覗いた。
「泥蜘蛛!?」
ボクシンスキーは驚愕した。泥蜘蛛と言えば、かのマルー山に生息すると言われる強力な魔物である。そんな魔物が何故こんなところにいるのか。
だが驚いてはいられない。こうしている間にも兵士達が土の中に飲み込まれていっているのだ。
「化け物め!」
そう叫ぶとボクシンスキーは剣を逆手に持って下に向け、泥蜘蛛の目に向かって跳躍した。
ドガ!
「ぐほぉ!」
飛んだボクシンスキーを何者かが横から蹴り飛ばした。
ボテ トプリ
地面に落ちたボクシンスキーの体は土に飲み込まれていく。
「ぬぐ!このままでは!ニクス様から授かったこの力で!」
ボクシンスキーが何かをしようともがく。
ボカ
「キュウ」
ボクシンスキーは何者かに殴られて気絶した。
「んごー!」「んごごご!」
ボクシンスキー他、兵士達は全員鼻だけ出した状態で土に埋まっていた。
それらを見下ろすのは、フードを深く被り、顔の見えない男二人。
「ポンキチ、腹減ったか」
白いフードの男が地面から顔を出す泥蜘蛛に話しかけている。
「なあ」
「ブロォ?」
白フードに話しかけられた藍色のフードの男は首を傾げる。
「出来るだけ殺すなとか言われたけどよ、臨機応変に行動しろとも言われただろ」
「ルロルロロ」
藍色フードがうなずく。
「ならこいつら餌にしても問題ないよな?」
「ブロロォ…」
藍色フードはどうかなあ、という感じである。
「あ、あんたたちは…」
倒れていたスコットが立ち上がり、フードの二人に話しかけた。
「お?そうだった、こいつらも何とかしなきゃな。おい」
ザッ
突然、木の影から青白い顔をしたコートの男が現れた。
「な、なんだ?」
「こいつについてきな。グロツまで送ってくれるぜ」
「え…は、はあ…」
スコット達は有無を言わさぬ様子の白フードに気圧され、言うことに従うことにした。
***
プレアム南 -結界監視塔-
監視塔内にいるのは結界の維持を任されている兵士二人。
「おい、結界に異常ありの印が出てる。見に行くぞ」
「わかった」
茨の結界は分厚く、温度変化にも強く、切ってもすぐに周りの茨が集まって再生される。下手すれば切った茨の再生に巻き込まれ、傷だらけにされてしまう。プレアムはこの高性能な結界を魔物からの防衛ではなく、内から人を逃がさぬために使用している。
ザッザッ
異常ありの印が出た辺りに兵士二人が到着した。
「これは…」
兵士二人が見たものは、茨の結界にあいた綺麗な長方形の穴であった。




