ROCKな彼女とロクでもない僕
ステージの上に立つ人間と僕。
この差は一体何なのだろうか。と、考える必要もないだろうに僕はどうしても考えてしまう。ステージに立ち、マイクを前にギターを弾く。その姿が余りに眩しいから――羨ましいと、妬ましいと勘違いをしてしまうのだろうか。
僕にそんな資格はないというのに。
そんな愚かな勘違いをしている僕がいる場所は、小さなライブ会場の中。
いや、こういう場合はクラブというのだろうか。
どちらとしても、殆ど行ったことがない僕に、その区別は尽きないが一つだけ言えることがある。それは、僕が日頃から聞き込んでいるアーティスト、『IFI』のライブに来ているということだった。
ドラムを叩くたびに会場が震える。
まるで心の殻を壊すような振動だ。
現にその音楽に自我が緩んだのだろうか、僕の周囲にいる人々――いや、この会場にいるすべての観客たちが、ドラムのリズムに合わせ、右手を上に突き出しながら跳ねていた。
初めてライブに来た僕は、混乱するとともに、心の殻が厚くなっていくのを感じる。
(ああ、今、跳ねている人間たちは、上に立つ人間に支配されていることを受け入れているのか)
と。
いや、この会場に来ている時点で、僕もその人々と何も変わらない。『IFI』の観客だ。だが、それでも、そうやって周囲を卑下していないとこの場にいるのすら辛くなる。
僕は人としては終わっているのだろう。
だから、周囲が熱を持てば持つほど、僕の心は冷めていく。
周囲の人間から、「こいつ、なにしにきてるんだ」と思われるほどに。
……。
それもそうか。
ステージの最前列のほぼ中心にいる僕が、一人だけ、何もせずに腕を組んで聞いているのだ。周りから見たらノリの悪い、場を白けさせる観客だろう。
だとしても、僕は別に周囲の観客に合わせるためにここにいるのではない。
あくまでも、『IFI』の音楽を聴くためにここにいるのだ。
むしろ、周りの人間達のせいで、純粋に楽しめないと文句を言いたいくらいである。音楽は聴くためにあるのだ。それをお前らが雑音で塞ぐなと更に僕の心の温度は低くなる。
そんな時だった。
何曲目かを歌い終えたボーカルが、
『お前らー、もっとかかって来いよ!』
観客たちを煽るようにシャウトした。当然、支配されることを望んでいる彼らは、彼女の言葉に応えるべく、一糸乱れぬ声で「イェーイ」と叫んだ。
異様だ。
異常だ。
人に煽られたからといって「イェーイ」などど、そんな如何にも自分は何も考えていない馬鹿ですという言葉を叫ぶことなんて僕にはできない。
思わず苦笑いを浮かべる僕。
ああ、やはり僕みたいな根暗が、場違いに来るべきではなかったのだ。
大人しく家で音楽だけ聴いていれば良かったんだ。
近くの会場に来るという情報を偶々見つけ、試しに申し込ん見たら運の良いことに入場番号が早いチケットが送られてきたのだ。
入場が早いのだから、最前列ではなく後ろの方を確保すれば良かったのだが、折角だから近くで見たいと、呑気に最前列の中央を僕は選んでしまったのだ。
ライブが始まってすぐに後悔することを、初体験の僕が知る由もなかった。
『おら! 元気が残ってんならもっと、私らにぶつけてみろよ!』
彼女が再び会場を煽る。
その言葉に会場の跳躍は速度を増し、誰に当たるでもお構いなしに腕を振り回す。
僕の後頭部にも誰かの伸ばす手か当たる。
思わず、後ろを振り向いて何をしているのかと確認をする。後ろにいたのは中学生くらいの少女たった。少女は、ただ、『IFI』のボーカル、鵜厚 小唄――ファンの間ではウタさんとして親しまれている――の期待に応えようとしているだけだった。
前にいる僕など眼中にない。
ステージの上にしか興味がない。
そうだ。
ここはステージの上で楽器を演奏する『IFI』の世界で、その下にいる僕は景色の一部でしかない。どれだけ斜に構えようとも、正面を見ようが背を向けようが、そもそも見られていないのだから、同じことである。
だから、そもそもに、「こいつ、なにしにてきいるんだ」なんて思われる心配もなかったんだ。
だが――ただ一人、そんな世界の中でも、僕を見ている人間がいた。
いな。
この場においては人間ではない。
世界を作っている『神』とでもいうべき存在だった。
『あん? なんだなんだ。中心にいるあんちゃんは楽しめてないのかよ?』
と、どこぞのチンピラのような言葉を吐くボーカリスト。
彼女の言葉使いが悪いのは知っていたが、彼女は一般人ではない。
ROCKERなのだ。
僕なんかの物差しで測れる人間ではない。
僕の前に、すとんとステージから降りた彼女が、僕の前にマイクを持って現れた。存在の大きさは測れなくとも、彼女の身長くらいならば僕でも測れる。
僕と同じくらいの背丈。
僕が男としてはそこまで背の高い方ではないのだけれど、それでも平均だと言えるだろう。そんな僕よりわずかに高い所に彼女の顔が合った。
『なんだよ。私が言ってるんだから、答えてくれよ、あんちゃん』
「……」
僕の隣にいる男女は、急接近した鵜厚 小唄に興奮してるのか、口元に手を当て涙ぐむ。
なるほど。
そんな反応をすればいいのか。
しかし、今更、大仰に感動してみるのは少し違う気がするな。
僕はそう思ってニッコリと微笑んで見せた。
話しかけて貰えて光栄ですと笑顔で伝えようとしたのだ。
『誰も気持ちの悪い笑顔を返せなんて言ってないだろうが。あほか、お前は』
結果、暴言を吐かれて終わった。
マイクを握ったまま話すので、その声は会場にいる人間是認に聞こえている事だろう。つまり、全員が僕を責める視線を送っているのだ。
鵜厚 小唄の機嫌を損ねるなんて何て奴なのだと。
周囲の人間の空気を察してか、
『皆が私らの音楽を楽しめるのは分かる、でもな、その場に、一人でも盛り上がってない人間がいたら、私は楽しめないんだ。私もさ、皆と一つになるのが楽しいんだよ』
観客達に向かって言う。
今の言葉のどこに感動する部分があったのだろうか、「最高ー!」「可愛いー!」などと良く分からない声があちこちから聞こえてくる。
それどころか、それを煽るように『IFI』のギターが弦を弾いた。
いや、ノリノリで煽ってる場合じゃないだろ。
中断してるのだから、鵜厚 小唄をステージに戻すべきだろうと思うが、残りの面々も楽しそうに僕に絡んでくる彼女を眺めているだけだった。
この会場は、『神』によって支配されているのだ。
狂っている。
そして『神』が僕に告げる。
『なあ、私らの音楽は、あんたに届いてないのか?』
「あ、いえ……。僕、凄いファンではあるんですけど、そのこういった場所初めてですし、そもそもはしゃいだりするのは、キャラじゃないって言うか……」
『はぁ。それが届いてないって言うんだよな』
「へ?」
『私はさ、始まる前に言っただろ? 『IFI』ってさ』
「あ……」
僕はこのライブが始まる前に、彼女が言ったことを思い出す。
『私たちは『IFI』。ここでは違う自分になる場所だ』と。
普段は仕事ばかりで真面目な人間も、羽目を外して狂ったように叫べ。
失敗ばかりで落ち込んでる人間も、ここに失敗はない。好きに騒げ。
そう言ってこのライブは始まったのだった。
『キャラじゃないとか、そういうのは関係ないんだよ。馬鹿になって楽しめよ』
普通ならば、ただの人見知りで恥ずかしがり屋ならば、彼女のこの言葉に、感涙し、狂った群衆の一員になれるだろうが、僕はそこまで素直ではない。
鵜厚 小唄に対して、生意気にも反抗的な口をきいてしまった。
「……僕はあなた達『IFI』の音楽を聴きに来たんですよ。ノリに来たわけじゃない。音楽を聴く。その普通の楽しみを求めているだけ。それなのに、こんな風に強要するなんて、おかしくないですか?」
楽しみ方は人それぞれ。
例えそれが作り手だろうと、強要することはできない。むしろ、強要しなければ行けない程度の物なんて――一流ではない。
そんなことをただの消費者である僕が言わなくても、彼女は分かっているだろう。
それに、僕は別に楽しくない訳じゃない。表に出さないだけで、内心はかなり興奮している。
『訳分かんないこと言ってないで、恥ずかしがってないで、周りに溶け込めよ。誰もお前なんか気にしてないからよ』
いや、だから僕はそれが嫌なのだ。
周囲に溶け込み馬鹿になる。
それはつまり、個性を捨てるという事と同義であるのではないか。その癖に、そういう奴らに限って自分は個性が強いのだと言い張る。
そんな簡単な矛盾も気付けないくせに、デカい顔をして自分たちが正しいと声を張り上げる。その一員に僕はなりたくない。
流石に10分近く、音楽が止まれば観客達も怒りを覚えるころだろう。
ステージの上にいるドラム(確か『IFI』のリーダー)が、鵜厚 小唄にステージに戻れと呼び戻す。
『でも……!』
それでも、僕の前から退かないボーカルに対して諦めたのか、スティックとスティックをぶつけてリズムを取る。
それはまるで、曲の入りのような――。
僕の予想通りに、ボーカルがステージを下りたままで次の曲に入ったのだ。
ニヤリと鵜厚 小唄は強気に笑うと、僕と視線を合わせたまま歌い始める。人を挑発するようなシャウトに、冷めかけたステージが一気に頂点まで連れていかれる。
今歌っている曲が、『IFI』として一番最初に生み出した曲と言うこともあるだろう。
異様な盛り上がりの中、それでも僕は腕を組み、静かに音を聞いていた。
自分を変えるためには動き出さなければ行けない。
自分だけの世界なんて、交わらない世界なんて一つもない。
そんな言葉が激しく僕に向けられる。
やはり、僕は綺麗事をまっすぐ力強く歌う『IFI』が好きだ。綺麗事なんて普通に言われれば耳も貸さないだろうが、何故か彼女たちの音楽は素直に受け入れらる。
歌詞の一つ一つが僕の心に染みわたる。
ほら、無理にノらなくても、こうやって伝わるんだ。
『この曲は、私が引き籠っていた時に感じていた思いを歌にした物なんだ』
曲を終えた彼女が、ステージに戻り、静かにそう言った。
彼女は中学時代に不登校だった。
それファンの間では有名であり、その時の気持ちから歌が出来ているという事も知られている。
『そんな時に、私はあるバンドにあった。最初は音楽を聴いているだけで満足だったけど、ふと、近くの会場に来るってことで、生で演奏を聞こうと行ったんだ』
……。
なんだろう。
それはまる――僕と同じようではないか。
『でも、やっぱり、最初は会場の空気に呑まれて、途中退席した。そして家に帰って膝を抱えて泣いたんだ。私は好きな音楽にも正直に慣れない小心者なんだって』
彼女は当時の悔しさを思い出しているのか、眼に涙を浮かべながら語る。それにつられるようにして、会場のあちこちから、涙を啜る音が聞こえる。
『それで、何度も何度も生で音楽を聴いた。そして、周囲に馴染むように私も音にノれた。それは楽しかった。最高だった。だから、恥ずかしかったり、心になにか抱えている人も、私の音楽の前では捨てて欲しい。違う自分になって欲しい。それが私が演奏を始めるきっかけだった』
自分がそうだったからって人に押し付けているだけじゃないか。
大体、自分が今、ステージの上に立てているから、特別に思えるだけで、もしもそうなれなかったら、他の人間ともどもその他の一人になっていただけではないか。
強者の言葉は届くが弱者は言葉を発することも許されない。
許されないからと言って、支配されるだけの馬鹿になるのは御免だ。
『だから――もう面倒くせぇ。全員まとめてノれ!』
自分語りを始めていたことに気付き、恥ずかしくなったのか鵜厚 小唄は突如、そう叫んだ。
全員、支配されろという命令。
しんみりと私は可哀そうなシンデレラですと同情を引こうとしてたくせに、結局は自分の言う事を聞く召使いたちが手に入って嬉しいだけなのだ。
こんなことなら生で聴きたいなんて思わなければよかった。
そうすれば、『IFI』のことも嫌いにならなくて済んだだろうに。
僕はもう、この場にはいない方が良いんだなと、帰ろうとする。
が、『IFI』が歌う音を聴き、僕はその足を止めた。
こんな楽曲、有っただろうか?
リズムは取れているが、メンバーそれぞれが、好きなように音を奏でているだけのように思える。
稚拙な演奏。
それに合わせて歌う鵜厚 小唄。
支配された観客達も一瞬、何が起こっているのか互いに顔を見合わせるが、直ぐに激しいテンポに合わせて体を揺らし始める。
「……これは?」
どうやら『IFI』は即興で歌を作り上げているようだ。
メンバー全員が、僕に向けて音を作っているのだ。
そんなわけないと思いながらも、そう感じざるを得ない。鵜厚 小唄の紡ぐ言葉は僕に対して『好きにやれ。嘘を付くな』とただ、語り掛けてくる。
その音楽に僕は自然と指でリズムを刻んでいることに気付いた。
そうか。
僕は「支配されたくない」「馬鹿になりたくない」と偉そうに見下したようにしていたが、ただ恥ずかしかっただけ。
自分を曝け出せなかっただけ。
自分だけが特別なんだと信じ込みたかった、愚かな愚かな重症患者だったという訳だ。
そのことに気付いた僕は――その会場から逃げ出した。
そして――自分の小さな部屋の中で膝を抱えて泣くのだった。
底辺にいたのは自分だった。
観客たちは支配されているのではない。
自分たちが「好きなもの」を必死に求めていたのだ。
自分の立つべきステージを把握し、消費者として最大限楽しんでいたのだ。
それに比べて僕は、ステージに上がる気もない癖に、消費者を馬鹿にし、荒んでいた。枠から外れて粋がっていた。
なんて恥ずかしい人間なのだろう。
涙を流す僕の頭に、一つの音楽が流れてくる。
それは、『IFI』の曲だった。
膝を抱えて泣いても、一時の楽しさしか味わえなくても、それが人間だし、好きなことを好きにやれというメッセージに、僕は救われるのだった。
もしも、今度、『IFI』のライブがあるのであれば、場所がどこだろうと行こう。
そして、命一杯楽しもうと――僕は決意した。