97.紹介して良かったのでしょうか
「ええー!? じゃあ冴香ちゃん、本当に大河君と婚約しちゃったの!?」
翌日の日曜日、ジュエルの店内に、広大さんの大声が響いた。居た堪れなくなった私は、思わずカウンター内に隠れて頭を抱え込む。
報告するだけでも恥ずかしいのに、本当勘弁してくださいよ。
「そう……。冴香ちゃんがそう決めたのなら、仕方がないね。」
困惑したような表情を浮かべながらも、微笑んでくれた雄大さんの言葉に、カウンターから顔を出した私は、少しだけ救われた気持ちになった。
「すみません、雄大さん。大樹さんと広大さんも、申し訳ありません。」
「あーあ、残念だなあ……。でもまあ、冴香ちゃんがそれで幸せなら、良いや。」
私の正面のカウンター席に座る広大さんは、あっけらかんとしたように笑ってくれた。ほっとして、ちらりと隣の大樹さんに目を遣ると。
「許せないな……。冴香さんと同棲という特権を最初から得ていた挙句、一度は家を出た冴香さんを、再び連れ戻すなんて……しかも婚約……。」
小声で何やらブツブツと呟いている大樹さん。
うわ、何か物凄く怒っていらっしゃる。怖くて話し掛けられないよ。
「あー、許せないのは僕も賛成。大樹君、二人を別れさせるなら僕も協力するよ。」
「止めろよ二人共。振られた男がみっともないぞ。それに、俺達は元々は当て馬だったんだから、仕方ないだろ。」
「当て馬?」
広大さんの台詞が気になってオウム返しに尋ねると、苦笑した広大さんが教えてくれた。
「最初の頃、大河君が冴香ちゃんとの婚約をかなり嫌がっていたから、祖父ちゃんが心配してさ。俺達を当て馬にすれば、二人の仲も少しは進展するかなって考えたみたいなんだ。それに、冴香ちゃんの心を掴めるのなら、別に大河君じゃなくても構わなかったみたい。だから、俺達も最初は大河君を焚き付けてやろう程度に思っていた筈なんだけど、冴香ちゃん予想外に面白いし、良い子だから、何時の間にか皆して好きになっちゃっててさ。本気で頑張って口説き落とそうとしたけど、やっぱ大河君には敵わなかったって話だよ。」
私は少し複雑だった。裏でそんな事になっていたんだ。だから皆さんは、会長のあの宣言に、異を唱えなかったのか。
だけど、どんな形であれ、最終的には皆さんに好意を持って頂きながらも、それに応えられないのが事実で。
面白くなさそうに溜息をつかれるお三方に、重く沈んだこの空気をどうしようかと頭を悩ませる。
その時、カランカランと音が鳴り、入り口を振り返った私は、思わず顔を綻ばせた。
「いらっしゃいませ、谷岡さん。」
「聞いたわよー冴香ちゃん! 大河と婚約し直したんだって!? おめでとう!」
「あ、ありがとうございます。」
耳が早い谷岡さんに驚きつつ、再び顔が熱くなるのを感じながら、出迎えてお礼を言う。
皆様、声が大きいです……。店内には他のお客様もいらっしゃるので、そろそろ勘弁してもらえませんかね。
「冴香ちゃん、知り合いなの?」
「あ、はい。大河さんの同僚の谷岡梨沙さんです。」
雄大さんに訊かれたので、皆さんに紹介する。
「とても良い方なんですよ。私の事を心配してくださったり、親身になって話を聞いてくださって、元気付けたりしてくださったんです。あ、谷岡さん、こちらの方々は皆さん大河さんの従弟なんです。手前から、天宮大樹さん、広大さん、雄大さんです。」
「天宮大樹です。従兄がいつもお世話になっております。」
「広大です。宜しく。」
「雄大です。大河君にこんな美人の同僚がいたなんてねー。」
「あ、ど、どうも……。」
お三方は愛想良く微笑んでいらっしゃるのに、谷岡さんは何処か引き攣った笑顔を浮かべている。
どうしたんだろう? 大河さん並みのイケメンが三人も揃っていれば、普通は少し離れたテーブル席にいる主婦の方々みたいに、顔を赤くして目を輝かせると思うのに、何故こんな表情をしているのかな?
「谷岡さん、どうかされましたか?」
不思議に思い、声を潜めて内緒話をする。
「大河達から聞いた事あるのよ。頭脳明晰で口達者な性悪イケメンと、スポーツ万能ムードメーカーのチャラ男イケメンと、人畜無害な癒し系の皮を被った腹黒イケメンの従弟達がいるってね。」
私は絶句した。
それって、大樹さん、広大さん、雄大さんの事なのだろうか? 私が知る限りでは、性悪と腹黒の部分が今一良く分からないんだけど。チャラ男の所は……何となく、分からないでもないな、うん。
谷岡さんは、お三方と少しだけ離れたカウンター席に腰を下ろした。お三方は、興味深そうに谷岡さんを見ている。
「それにしても、二人が元鞘に収まってくれてほっとしたわ。冴香ちゃんが出て行っていた間の大河ったら、憔悴しまくっていて見ていられなかったもの。」
「そうなんですか?」
「そうよ。出張から帰って来た時、あまりにも生気がなくてギョッとしたもの。慌てて本城君に問い質したら、冴香ちゃんが出て行ったんだって教えられて。金曜日に話し合うって言っていたから、どうなったのか心配で、月曜日まで待てなくて電話してみたら、吃驚するくらいの上機嫌で『冴香と婚約し直した』なんて言うんだもの。何かもう心配して損したって本気で後悔したわね。」
「それは……何ともすみません。」
「冴香ちゃんったら愛されちゃってるわよねー。」
「いや……別にそんな事は……。」
マスターが淹れたカフェラテに口をつけながら、楽しそうに私を揶揄う谷岡さん。私の知らない大河さんの事を教えてもらえて、嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気がするが、どちらにせよ、精神がガリガリと削られていく音が聞こえるようだ。そろそろ誰か、このネタから解放してくれないかな……。
「失礼ですが、谷岡さんは、従兄とはどのようなご関係なのですか? 名前で呼んでいる所を見ると、ただの同僚ではなさそうですが。」
声を掛けてきた大樹さんに、谷岡さんはあっさりと答えた。
「ああ、私、元カノです。付き合って数日で大河に振られましたけど。」
谷岡さんの答えに、お三方は目を丸くした。
「さ……冴香ちゃん、大河君の元カノと仲良いの?」
「はい。とても良い方ですよ。さっきも言いましたけど。」
何故かギョッとしている様子の広大さんに、私は首を傾げながら返答した。
「へえ……。意外ですね。元カレの婚約者と仲良くされているなんて。」
笑顔を作った大樹さんが谷岡さんに視線を向けると、谷岡さんはちらりと大樹さんを横目で窺い、おもむろに口を開いた。
「そうですね。以前は二人に嫉妬してしまった頃もありましたけれど、今は二人の事を心から応援しています。ですから、下手に腹を探ろうとしなくても結構ですよ。」
谷岡さんが優雅に微笑むと、大樹さんは目を丸くして、取り繕うかのように口角を上げた。
「俺は別にそんな事は思っていませんよ。ですが、何故そう思われるのか、聞かせてもらえませんか?」
「あら、でしたら失礼。大河から、皆さんが冴香ちゃんを狙っていると聞いた事がありましたし、貴方の笑顔も目が笑っていなくて、何となく胡散臭かったので。てっきり私を牽制しているのかと思ってしまったんです。」
谷岡さんが答えると、ぽかんとしていた大樹さんは、次第に不敵な笑みを浮かべていった。
「成程。貴女は面白い方ですね。何だか興味が湧いてきました。」
「え……ご冗談を。私は別に面白くも何ともありませんよ?」
口元を引き攣らせた谷岡さんは、私にお会計を頼んで席を立つ。
「谷岡さん、もう帰られてしまうんですか?」
「いくらイケメンでも性悪男はお断りなのよ。それに何だか、嫌な予感がしてね。」
「冴香さん、俺の分の会計も、一緒にお願いします。」
「「え!?」」
背後から聞こえた声に驚き、二人同時に声を上げてしまった。私達の後ろには、何時の間にか良い笑顔を浮かべた大樹さんが立っていたのだ。
「谷岡さん、また今度、貴女とゆっくり話をしてみたいです。連絡先を教えてもらえませんか?」
「あらごめんなさい。生憎今日お会いしたばかりの男の人に、お教えする気はありませんので。」
「そうですか。では今度、一緒に食事でもどうです? 連絡先を教えて頂けないのならば、会社に直接お迎えに上がりますよ。」
「え!? ちょっとそれは……っ!」
会計を済ませた大樹さんの言葉に、慌て始める谷岡さん。お二人はそのままお店の外に出て行ってしまった。
「あーあ。彼女、やっちゃったな。」
「そうだね。大丈夫だと良いけど。」
「あの……どういう事ですか?」
振り返って広大さんと雄大さんに尋ねると、お二人は揃って苦笑した。
「彼女、下手に大樹君のプライドを刺激しちゃったんだと思うぜ。面と向かって、笑顔が胡散臭い、だなんてさ。」
「それに彼女、僕達に興味も示さずに、ずっと冴香ちゃんとしか話していなかったしね。僕もちょっと面白そうな女性だとは思ったな。兄さん、あの二人どうなると思う?」
「俺は躍起になった大樹君が、じわじわと追い込んで逃げ道を無くして、気付いたら囲い込んでいた、に一票。」
「うーん、やっぱりそうか。彼女は一筋縄ではいかなさそうだったけど、まあ大樹君なら時間の問題だよね。」
まるで新たな玩具を見付けたかのように、面白そうな顔をしているお二人の、物騒な会話に顔を引き攣らせながら、私はお店の扉を見つめた。
谷岡さんは大丈夫なんだろうか。大樹さんが何を考えているのか、今一良く分からなくて、心配は増すばかりだ。紹介したのは私だから、何だか責任を感じてしまう。後で大河さんに谷岡さんの力になってもらえるよう、お願いしてみよう……。




