80.実家を潰します
「冴香が襲われた!?」
その日の夜、帰宅した大河さん達に凛さんが報告すると、大河さん達は血相を変えた。
「ええ。階段の上から突き落とされそうになったのよ。実行犯の男の身柄は既に確保してあるわ。堀下舞衣に依頼されたんですって。」
「堀下舞衣だと!? まさか……。」
「冴香ちゃんの異母姉よ。」
「何だと!!」
憤怒の形相の大河さんに、凛さんが詳細を説明する。私もそれを聞きながら、少し前、映画館で感じた視線の事を思い出していた。
きっとあれは、異母姉のものだったに違いない。私が以前よりも恵まれた環境にいると知って、手を出してきたのだろう。私があの家から逃げ出したら、何処に隠れても必ず探し出して、制裁を加えると分かっていたからこそ、正当な理由が出来るのを待って、堂々と家を出たというのに、それでもまだ追いかけて来るのか、あの女は!
「それだけじゃないわ。冴香ちゃんが一人になった所を狙って、複数の男達に襲わせようともしていたみたい。」
「え!?」
それまで黙って怒りを堪えていた私は、驚いて顔を上げた。
「この前、走り去ってしまった冴香ちゃんを私が見付けた時、三人組の男に絡まれていたでしょ? 連中の捨て台詞がどうにも気になって、探し出して問い詰めたのよ。そうしたら、こっちも堀下舞衣が裏で糸を引いていたの。」
ゾッと背筋が冷えた。確かあの時、男の人達は……。
『畜生、話が違うじゃねーか!』
確かに、誰かに前もって話をされていなければ、あの台詞は出て来ない。あの人達は、あの女に唆されて私に声を掛けていたんだ。あの時、もし凛さんが助けに来てくれていなかったら、私はどうなっていたんだろう。
今更ながら恐怖を感じて、自分で自分を抱き締める。
「大丈夫だ、冴香。もうあいつらに手出しはさせない。安心して良いぞ。」
私を落ち着かせるように、肩を抱いてきた大河さんを見上げると、大河さんは完全に目が据わっていた。相当頭に血が上っているようで、見ているこっちが逆に冷静になってしまった。
「じゃあ凛は、冴香ちゃんを守る為に、大河達と同居する事にしたのか?」
敬吾さんの問いに、凛さんは苦笑した。
「まあね。あの時点では何の証拠も掴んでいなかったし、私の杞憂かも知れないから、余計な心配は掛けさせたくなくて黙っていたのよ。一応調べてみて、何も無ければすぐ帰るつもりだったんだけど、調べれば調べる程、どうにも雲行きが怪しくなってきちゃってね。今日も密かに冴香ちゃんを護衛していて正解だったわ。」
言いながら、凛さんの表情は苦虫を噛み潰したようになっていった。
そうだったのか。
思い返してみれば、あの日以降、アルバイトの行き帰りや買い物は常に凛さんと一緒だった。あれは偶々じゃなくて、私を護衛してくれていたんだ。階段から落ちかけた時だって、間一髪で助けてもらえたのは、警戒していた凛さんが近くに居てくれていたから。だから犯行の一部始終を凛さんが目撃していて、しかも動画という証拠まで用意する事が出来た訳だ。
何度も助けてくれた凛さんは、本当に命の恩人だ。感謝してもし切れない。
「凛さん、本当に、ありがとうございました。」
「どういたしまして。冴香ちゃんが無事で何よりよ。」
優しく微笑んでくれる凛さんの横で、厳しい顔付きの敬吾さんが大河さんを見遣った。
「大河、今後はどうするんだ?」
「当然、奴らに思い知らせる。」
大河さんの宣言に、敬吾さんと、真顔になった凛さんが向き直った。一気に空気が張り詰める。
「奴らが冴香をどう思っているのかは知らないが、俺と婚約させた時点で、冴香の立場は『堀下家の娘』じゃなく、『この俺の婚約者』だ。婚約者を襲撃されて、俺が黙っている訳がないだろう。天宮財閥としても、虚仮にされたも同然だ。遠慮なく、使えるものは全て使わせてもらうぞ。凛。お前、冴香の身辺調査をしていたな。その時に、何か使えそうな情報を掴んでいないか?」
「当然。調査の途中報告の段階で、腹に据えかねた会長からも指示があったからね。必要な情報や証拠は全て取り揃えてあるわ。冴香ちゃんが復讐を望まなかったからお蔵入りになっていただけで、何なら今すぐにでも使えるわよ。」
「よし、すぐにそれを見せろ。それから敬吾、堀下工業の現状を再度調べて報告しろ。」
「了解。」
「冴香。」
「はひっ!?」
いつもとはまるで違う、肌がピリピリするくらいの緊張感を醸し出している大河さんに息を呑んでいると、急に名前を呼ばれて、声が裏返ってしまった。
「お前の実家は、俺が叩き潰す。構わないな?」
「……いいえ。」
私の返答に、三人が驚いたように私を見つめる。
「何でだよ!? これまで散々酷い目に遭わされてきた上に、尚も手を出してこようとする奴らを、野放しにしておくつもりか!?」
「そんなつもりはありませんよ。」
声を荒らげた大河さんに即答する。目を閉じた私は、一度深呼吸した。
放置、しておくつもりだった。家を出て、この先一生関わる事が無ければ、それで良いと思っていた。いずれ、勝手に自爆していくのを、ただ傍観してやるつもりだった。
だけど。
これからも私に手を出してくるのならば、私だって泣き寝入りはしない。私一人手を汚さずに、全てを大河さん達に任せて放っておくつもりなんてない。自分の事は、自分でする。これは私の問題だ。手は貸してもらうけれど、あくまで主体は私でなければならない。
私は目を開けて、宣言した。
「私の実家は、私が叩き潰します。」




