72.俺達の恐怖の幼馴染
68話~大河視点です。
翌朝の日曜日、朝一番に冴香に声を掛けると、冴香は俺の方を見もせずに挨拶を返してきた。頬を染め、ぎくしゃくとした動きをしていて、俺の事を意識してくれているのだろうな、と嬉しくなる反面、以前はきちんと目を合わせて挨拶をしてくれていたのに、という寂しさも感じる。
早く恋人同士の関係に慣れてもらおうと、冴香の頬にキスすると、冴香は叫び声を上げながら後退って尻餅をついてしまった。何もそこまで過剰反応しなくても、と不満に思いつつも、顔を真っ赤にして、涙目で頬を押さえている冴香が可愛くて、自然と顔がにやけてしまう。
朝食の最中も、冴香はずっと下を向いてしまっていたが、顔を赤らめていて可愛いので、ついついじっと見つめてしまった。冴香にしては珍しくベーコンに焦げ味が付いていたが、きっと俺が動揺させてしまったせいだろう。出来るだけ早く、もっと冴香と恋人らしい関係になりたい俺は、暫くの間、必要以上に冴香を構い倒す事に決めた。
家事をする冴香の後を付いて回っていたが、それだけでは能がないので、手伝うと申し出てみる。折角洗濯乾燥機があるのにわざわざ手で干すなんて面倒だと思ったが、冴香と一緒にしていると、不思議と苦にならなかった。だが冴香の下着を干そうとした所で、完全拒否されてしまった。
別に良いじゃねーか。邪な気持ちなんてこれっぽっちも……無かった筈なのに、冴香があまりにも恥ずかしがるせいで、ちょっとだけ想像を掻き立てられてしまった。言っておくが、これは不可抗力だ。変に意識させた冴香が悪い。
家事も終わったようなので、少し頭を冷やそうかと新聞を読んでいると、冴香がアルバイトに行く時間になったようだった。玄関先まで見送りに行き、冴香の頬に再びキスをする。相変わらず動揺しまくりで飛び出して行く冴香。帰って来たらまた構い倒してやろうと、俺は笑いながらリビングに戻った。
まさか、あんな事になるなんて、この時の俺は知る由もなかった。
夕方、週末の出張の報告書を書き上げた俺は、大きく伸びをして時計を見た。時刻は午後六時半を過ぎた所だ。冴香は今頃アルバイト後に買い物をしていて、そろそろ戻って来る頃だろうか、と思った所で、スマホが鳴った。大樹からだ。どうせ碌な用件じゃないだろう、と顔を顰めながら電話に出る。
『大河君、冴香さんはそっちに帰って来ていない!?』
大樹の声は切羽詰まっていた。ただ事じゃないかも知れない、と直感した俺はすぐさま問い返す。
「まだ帰って来ていない。冴香に何かあったのか!?」
大樹から事の次第を聞かされ、俺は思わず舌打ちした。従弟達三人から告白された冴香は、祖父さんの差し金だと邪推し、今にも泣きそうな表情でその場から走り去ったらしい。
最悪のタイミングだ。下手したら俺の告白も、同様に曲解されてしまったかも知れない。折角両想いになれたと思ったのに、何て事をしてくれやがる。
苛立ちながらも家を飛び出した俺は、マンションの廊下を走りながら冴香に電話を掛けた。だが冴香のスマホはどうやら電源が入っていないらしい。冴香の行き先に心当たりはない。一刻も早く冴香を見付けて誤解を解かなきゃという焦りを、落ちかけている夜のとばりが加速させる。
俺は敬吾と凛にも電話し、協力を仰ぐ事にした。あの二人には迷惑をかけっ放しだが、今はそれどころではない。文句は後でいくらでも聞こう。今は冴香の身の安全が最優先だ。
従弟達とも連絡を取り合い、手分けして捜していると、凛から冴香を見付けたという連絡が入った。ほっと胸を撫で下ろし、すぐに迎えに行くと告げる。他の連中にも連絡していたら、再び凛から電話が掛かってきて、迎えは一時間後にしろと言われた。こっちは今すぐ冴香の無事を確認したいし、誤解をしているなら解きたいのに、と食い下がったが、一蹴された上に電話を切られてしまった。
凛の都合など知った事か。俺は冴香と話をしなきゃならないんだっつの!
敬吾や従弟達と途中で合流し、険悪な空気になりつつも、凛の家へと急ぐ。チャイムを押して呼び掛け、応答がなければ強行突破してやろうか、と考えていたら、急にドアを開けた凛に、いきなり腹パンされてしまった。
「カハッ!? 痛えな……! いきなり何すんだよ、凛!!」
痛みで涙目になりながらも、凛に抗議すると。
「それはこっちの台詞よ!! 皆も!! いくら会長が命じたからって、冴香ちゃんの気持ちも考えずに、ほいほい告白するとか有り得ない!!」
「「「「はあ!?」」」」
素っ頓狂な声を上げながら、俺は凛の言い分に苛立ちを覚えた。やはり冴香は俺の告白まで曲解してしまっていたらしい。
冗談じゃねえ。祖父さんの命令なんて知るかよ! 俺は自分の意思で冴香に告ったんだってーの!
「祖父さんの命令って何の事だよ!? 俺はそんなの知らねーし!! 他の奴らはどうだか知らねーが、俺は純粋に冴香が好きだから告白しただけだ!!」
「俺もだ!! 告白したのは冴香さんが好きだからで、お祖父さんの命令なんて聞いていない!!」
「俺も祖父ちゃんの命なんて知らねーよ!! 冴香ちゃんが好きだから告ったんだ!!」
「僕だって本気だよ!! お祖父ちゃんなんて関係ない!!」
俺達は異口同音に叫んだが、凛は相変わらず俺達を睨み付けている。
「どうだか。だったら何で同時期に一斉に告白したのよ?」
「知らねーよ。強いて言うなら、俺はこいつらが本気になったとか言うから、危機感を覚えてだな。」
「麗奈を懸命に応援する冴香さんを見て、心が決まったからね。横から攫われてしまう前に、先手を打ちたかったんだ。」
「俺も似たようなもんだ。皆と一緒になっちまったのは、予想外だったけどな。」
「僕もだよ。だけどまあ、見事に皆考える事は同じだったようだけどね。」
どうでも良いが、何でこいつらまで凛の質問に答えてんだよ。鬱陶しくなってきたんだが。
「……じゃあ本当に皆、冴香ちゃんの事が本気で好きな訳?」
「俺は本気だ。」
「俺も。」
「俺もだ。」
「僕もだよ。」
俺達が答えると、凛は後ろを振り返った。
「だってさ、冴香ちゃん。会長からは何の指令も出ていない事は私も保証するわ。どうする? 皆の気持ちはどうやら本当みたいだと私は思うけど、冴香ちゃんは信じる?」
凛の視線の先を辿り、俺は初めて、冴香が玄関に続く廊下の奥から、顔を覗かせていた事に気付いた。顔を真っ赤にして、狼狽えたように視線をあちこちに彷徨わせている。その様子から察するに、どうやら誤解は解けたようだ。
凛が一役買ってくれたんだな、と内心で感謝する。だが俺だけ腹パンされたのはどうにも解せんがな!
「……っす、すみませんでしたぁっ!!」
冴香はそう叫ぶと、奥へと引っ込んでしまった。上がり込んで後を追い、声を掛けたかったが、凛が玄関を通してくれない。
「ちょっと。私の許可なく、家に上がらないでくれる?」
「凛、頼むからどいてくれ。冴香と話がしたいんだ。」
「俺も冴香さんと話をする必要がある。このまま引き下がる訳にはいかない。」
「俺もだ。ちゃんと冴香ちゃんに俺の気持ち、分かってもらわねーと。」
「僕だって。冴香ちゃんに、もう一度ちゃんと気持ちを伝えさせてよ。」
「黙りなさいこのポンコツ大馬鹿御曹司共!!」
凛に叱責され、俺達は思わず首を竦めた。ガキの頃から、何かあると凛に怒られ、強烈な拳骨を食らってきた経験は、大人になっても恐怖体験として、全員の記憶に残ってしまっているらしい。
「自分達の都合しか考えないから、冴香ちゃんが混乱して、挙句の果てには逃げ出しちゃったんでしょうが!! 本当に冴香ちゃんの事が好きなら、ちゃんと彼女の気持ちを考えてあげなさい!! 冴香ちゃんが落ち着くまでは面会禁止よ!! 今日はこれで解散! 以上!!」
凛は一方的に言うだけ言うと、バタン!! と音を立てて、扉を閉めてしまった。食い下がりたかったが、こうなってしまった凛は梃子でも動かない事は周知の事実だ。おまけに凛の叱責は正論だし、俺だって痛い程心当たりがあり過ぎる。
確かに、冴香が俺を好きだと分かって、調子に乗ってしまった俺は、冴香と早く恋人らしい事がしたいと、あいつの気持ちを考えずに、揶揄い混じりにあいつを構い倒してしまった。今はそれが悔やまれる。
何でもっと冴香の意思を聞いて、尊重しようとしなかった? 何故あいつの気持ちを、もっと考えてやらなかった?
従弟達も思う所があったらしく、一人、また一人と扉の前から去って行く。俺は最後まで残っていたが、敬吾に無駄だと促され、渋々凛のマンションを後にした。




