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7.勝手に決められた俺の婚約者

6話まで、大河視点です。

 その日、俺の機嫌は最悪だった。


 祖父さんが勝手に決めてきた見合い話。祖父さんの入院を口実に見合い自体をすっぽかしてやったというのに、何故か親父が婚約、そして同棲にまで話を進めてきて、相手は今日俺の家に引っ越して来ると言う。


 「天宮係長。ちょっと良いっすか。」


 パソコンのキーボードに八つ当たりしていると、俺の幼馴染で同期の本城敬吾ほんじょうけいごが、ミーティングルームに誘って来た。


 「大河……お前その不機嫌オーラ撒き散らすの、何とかならないのか。いくら勝手に婚約者決められたからって、職場ではちょっとは感情を抑えろよな。」

 缶コーヒーを差し入れてくれながら、敬吾が呆れたように言った。


 本城家は代々何かしらの形で天宮家に仕えてくれているので、敬吾も内部事情には詳しい。この職場では、家族を除けば今の俺の境遇を知る唯一の相手だ。


 「悪いがかなり抑えてこれだ。あのクソジジイとクソ親父が今この場にいたらブン殴っている。」

 貰った缶コーヒーを早速飲みながらぶっきらぼうに答えると、敬吾はやれやれ、と溜息をついた。


 「お前の気持ちも分からないではないけどな、お前にも非があるんだぞ。何度も注意されているってのに、一向に女遊びを止める気配すら見せないんだからな。婚約者を宛てがってでも何とか矯正しようという会長達の思惑が透けて見えて、ちょっと同情しちまうぜ。」

 「女遊びってのは心外だな。向こうが勝手に寄って来るだけだし、試しに付き合ってみたら、所詮俺の顔と金目当てだと分かってすぐに別れているだけだ。それに、どうせ婚約者とやらも同じ類の女なんじゃないのか。父親の会社の資金援助と引き換えに身を売る女なんか、金目当て以外の何者でもないだろうが。」

 そう吐き捨てると、敬吾はうーん、と首を捻りながら、自分の分のコーヒーを飲む。


 「まあそう決め付けるのは早いだろ。会長は何だかんだで人を見る目は一級だぞ。会長が持って来た話なら、そう悪くないだろうと俺は思うけどな。」

 「そうか。ならお前が代わりに婚約しろ。」

 「冗談きついぜ。俺にはちゃんとりんって彼女がいる事くらい、お前も知っているだろ。」


 苦笑しながら惚気る敬吾に、苛立ちが募る。

 何だよ。結局こいつ、説教垂れに来ただけじゃねえか。


 「ああそうそう、お前の親父さんから伝言だ。今日は残業せずに、定時で切り上げて早く帰れってな。評判の悪いお前の所に来てくれた貴重な婚約者殿を、大事にしろって言っていたぜ。」


 敬吾はそう告げると、さっさと部屋から出て行った。ムカついた俺は、時間など気にせずに残業してから家に帰る。


 家の中は真っ暗で、人の気配も感じなかった。もしかして来ていないのか? と訝しみながら電気を付けた俺は、ソファーに横たわってのうのうと寝ている女を見付け、苛立ちを感じて近寄った。

 女は小柄で痩せぎすで、一見子供のようだった。不揃いに切られた短めの髪、小さな顔、こけた頬、細い身体に合わない大きめの古い服。確か俺の七歳下、高校を卒業したばかりの十八歳って聞いていたが、とても年相応には見えない。随分とみすぼらしいが、こいつ本当に社長令嬢なのか?


 毒気を抜かれつつも女を起こすと、朝食がどうとか言いながら飛び起きた。まだ寝惚けているのかと呆れていると、立ち上がって非を詫び、自己紹介をして丁寧に礼をしてくる。

 成程、立ち居振る舞いは悪くない。だがどうやって祖父さんに取り入ったのかは知らねえが、俺は婚約者だなんて認めねえからな!


 「俺はお前を婚約者だと認めた覚えはない。今すぐ出て行ってくれ。」


 そう告げると、女は親父に頼まれて来たと口にした。祖父さんも親父も、やけにこいつを担ぐから、面識でもあるのかと思ったが、無いと言う。だがもうそんな事はどうでも良い。兎に角俺は、こんな婚約など認めない!


 家を出たいから婚約したと言う女など、どうせ碌な奴じゃない。さっさと追い出してやろうと腕を掴むと、女は悲鳴を上げて腕を押さえた。女の細過ぎる腕の感触に驚きつつも、つい力が入って怪我でもさせてしまったかと、焦って服の袖を捲り上げた俺は、信じられないものを目にして息を呑んだ。

 女の腕は、無数の痣ですっかり変色してしまっていた。問い質せば、継母と異母姉から虐待されていたと言う。そこで俺は漸く理解した。この婚約が、この女にとって、唯一の虐待からの脱出手段だった事を。

 衝撃を受けて固まる俺に、女は家に置いてくれと頼んできた。そんな事情を知ってしまった以上、断るなんて事は出来ない。それに家事が一通り出来るのならば、俺も助かる。家事は苦手だし、自炊も一切出来ないが、外食にも飽きて手料理に飢えていた所だ。だが女が最後に言った言葉は聞き捨てならなかった。

 俺が誰と何処で何をしようと、一切関知しない、だと?


 「もう一度訊く。お前は衣食住さえ保障されれば、俺が誰と何処で何をしようが関係ないと?」

 「はい。私如きが貴方に釣り合わない事くらい重々承知しています。貴方の女性関係に口出しするつもりなどありません。ですからこの家に置いてください。」


 同じ答えを返す女に、妙にイラっとした。女にいつも持てはやされてきたこの俺が、ここまで袖にされるなど初めての事だ。

 仮にも婚約者だってのに、俺の事に一切興味がないだと!? 俺の事など眼中にないって事か!?


 「良いだろう。同棲は認めてやる。だがお前のその態度が気に入らない! いずれ必ず俺に惚れさせてやるから覚悟しておけ!」


 頭に血が上っていた俺は、ぐぎゅるるるーという凄い音で我に返った。音の発信源は冴香の腹。訊けば、朝から水しか口にしていないと言う。本城は何をしていたんだよ!?

 ……まあ祖父さんの入院で色々忙しくなっているし、まさか社長令嬢が無一文だなんて普通は思わないか。


 兎に角こいつに何か食わせないと、と思い、急いで出掛けようとしたら蹲ってしまった。貧血気味だが、休めば治ると言うので、ソファーに寝かせてすぐに最寄りのコンビニに向かう。マンションのエレベーターの中で、俺はあいつの軽過ぎる身体の感触を思い出して拳を握り締めた。

 きっとあいつは暴行だけじゃなく、食事も抜かれていたんだろう。そうでなければあそこまで痩せ細る訳がない。おそらく貧血もそのせいだ。俺がちゃんと食わせてやらないと。


 コンビニに着いた俺は、目に付いた物を片っ端から籠に放り込んだ。腹が減っているだろうとかなり多めに買い込んで帰ったと言うのに、冴香に好きに選ばせると、おにぎりを二つ手に取っただけだった。

 駄目だこいつ。俺が無理矢理にでも食わせねーと。


 「そんなんじゃ精が付かねーだろ。お前痩せ過ぎなんだからもっとしっかり食えよな。ほらこれでも食ってろ。」


 おにぎりを取り上げて大盛りの焼き肉弁当を押し付け、向かい合って食事を摂る。訊きたい事は色々あったが、口を開けば真っ先に虐待について尋ねてしまいそうで、黙ったまま弁当を頬張った。こいつにとっても、虐待の事はあまり訊かれたくないかも知れないしな。

 そんな事を思いながら見つめていると、不意に冴香と目が合った。きまりが悪くて咄嗟に牽制してしまったものの、そこから少しだけ会話が出来た。折角心配してやっているのに口答えされたのには腹が立ったが、正論なので反論出来ない。


 食事を終えて風呂に入り、ソファーに凭れてビールを飲む。テレビを点けたが、内容が全く頭に入って来なかった。

 あいつの痣だらけの腕が脳裏から離れない。あいつがあの小さな体で、今までどれだけの苦痛に耐えてきたのかと思うと、身を切られるような思いがした。財産目当ての玉の輿狙いかと勝手に決め付けていた自分に腹が立つ。いくらビールを飲んでも、全然酔いが回らない。


 やがて風呂から上がった冴香が部屋に戻って行った。その後ろ姿を見送りながら、俺は冴香の不揃いの髪やだぼついた部屋着が気になった。

 俺の勝手な思い込みで嫌な思いをさせてしまったお詫びを兼ねて、明日はあいつの身なりを整えてやろう。そうしたら、あいつも多少は俺の事を見直すだろうか。祖父さん達の思惑通りに事が運ぶようで癪に障るが、どうせ一緒に住まなければならないのなら、少しは良い関係を築きたいしな。

 そう決めた俺は、すっかり温くなってしまったビールを一気に飲み干した。

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