69.思い至りました
「冴香ちゃん、エスプレッソとブレンド入ったよ。……冴香ちゃん?」
「あっ、はいっ! すみません、すぐお持ちします!」
マスターに声を掛けられてハッとした私は、慌ててマスターからコーヒーを受け取り、テーブル席へと運んだ。
いけない、仕事中なのにぼーっとしていた。ちゃんと集中しなきゃ。
だが私の頭はちょっとした拍子に、すぐに大河さんの事を考えてしまう。何で大河さんはキスしたんだろう。本当に私の事が好きなんだろうか。いやいやそれは有り得ない。じゃあ何でキスしてきたんだろう、の無限ループだ。本当に性質が悪い。
頬を叩いて気合を入れ直し、出来る限り考えないようにしながら仕事をこなす。
「冴香ちゃん、今日はどうかしたの? 顔色も良くないし、もし具合が悪いなら、無理しちゃ駄目よ?」
昼休憩から戻って来ると、翠さんに心配されてしまった。
「ご心配をおかけしてしまってすみません。ちょっと寝不足なだけで、体調の方は大丈夫です。」
「そう? それなら良いんだけど……。」
まだ心配そうに私を気遣ってくれる翠さん。これ以上余計な心配はかけられないと、私は懸命に仕事の事だけを考えるように努めた。
夕方になり、何とか今日も無事に終えられそうだと思った時、大樹さんが来店され、暫くすると、広大さんと雄大さんも顔を出された。
皆さんと友達になってからと言うもの、休日で私がアルバイトの日は、必ずと言って良い程来てくださって、私とお喋りをしてくださっている。本当に良い方々だ。
大樹さんは話題が豊富で、それに対する造詣も深い。私が知らなかった事も、とても分かりやすく教えてくださる。常にレディーファーストの上に、時々私を口説くような事を言ってきて当惑する事もあるけれど、最近は大樹さんにとっては挨拶代わりのようなものなのだろうと慣れてきた。きっと留学経験があるのか、外国人のお友達がいらっしゃるに違いないと勝手に思っている。
広大さんは何時でも明るく、いつも元気をもらっている。スポーツなら何でもお得意のようで、大学でもしょっちゅう色々なサークルから助っ人を頼まれるそうだ。今度試合を見に来て、と言われているので、アルバイトとの都合が付けば是非行ってみたい。
雄大さんはいつもにこにこと笑っていて、ゆったりした雰囲気を醸し出しているので、目にするだけで癒される。どちらかと言えば聞き役に回っている事の方が多いようだが、時折大樹さんの口説き文句に鋭い突っ込みをされたり、広大さんを揶揄ったりもされるのだ。お三方の掛け合いは何時も面白く、皆さん仲が良いんだな、と私もほっこりさせてもらっている。
いつものように仕事の合間に他愛無い雑談を交わしていると、すぐに午後六時になり、私は先に上がらせてもらった。お店の裏口から出ると、自転車の横にお三方が立っておられて、私は目を丸くした。
「冴香さん、少し話があるんだけど、良いかな?」
「俺も話があるんだ。」
「僕も。」
「はい。良いですけど……。」
お三方が私に話って、一体何だろう。しかも心なしか、お互いに睨み合っている気がするんだけど、気のせいかな?
皆さんの後に付いて、近くの公園へと向かう。
「冴香さん、俺は冴香さんの事が好きなんだ。俺と付き合ってもらえないかな?」
「えっ?」
思わぬ大樹さんの告白に、私は耳を疑った。
「俺も冴香ちゃんの事が好きだ。だから俺と付き合って欲しい。」
「僕も冴香ちゃんの事が好きだよ。僕を選んでくれないかな。」
「え? ええ?」
広大さんと雄大さんまで、一体何を言っているんだろう。
私は全く現実感が湧かず、呆然としてお三方を見つめていた。
「急に言われても困るよね。今はまだ返事は良いよ。でも俺の事、ちゃんと考えてみて欲しい。」
「俺の事も。」
「僕の事もね。」
微笑みを浮かべ、あくまでも真摯な眼差しで見つめてくる皆さん。
え、いやいや有り得ない。何で天宮財閥の御曹司の方々が、揃いも揃って私なんかを……。
その時、ハッとある事に思い至った私の頭から、スーッと血の気が引いていった。
「また天宮会長が、何か仰ったのですか?」
動揺のあまり、震える声で尋ねると、皆さんは目を丸くした。
「天宮財閥の御曹司の方々が、一斉に私に告白してくるなんて、どう考えても有り得ません。また天宮会長が、何か突拍子もない事を仰って、皆さんそれに従われているだけなんじゃないんですか?」
そう考えれば、全てに説明が付く。昨夜の大河さんの告白も、今の皆さんの告白も。こんなにイケメンで女性にモテる方々が、この私に本当に告白してくるなんて、どう考えても有り得ない。
私を養女にして、私が決めた結婚相手と共に、天宮財閥を継がせるだなんて、訳の分からない事を仰る天宮会長の事だ。きっと大河さん達に何か条件を出して、心ならずも従わざるを得なくなった皆さんが、一斉に私に告白してきたという事態になったのだろう。
……いくら何でも、それって酷くない? 皆で私の気持ちを無視して、弄んで。大河さんなんか、キスまでしてきて。ファーストキスに、別段夢なんて見ていなかったけど、こんな形で奪われるなんて、本当に最悪だ。
「皆さんの事、本当に良い方々だって……信じていたのに……。」
本当に友達なら、いくら会長の指示と言えども、従わないで欲しかった。そんな事をされたらどう思うか、少しくらいは私の気持ちも考えて欲しかった。
結局、私にはやっぱり、本当の友達なんて出来っこなかったんだ。皆さんが友達申請をしてきてくださったのだって、会長の命があってこそ。それがなければ、きっと私の事なんて、誰も見向きもしなかったに違いない。そんな人達の言葉をうっかり真に受けて、念願の友人が出来たと浮かれて喜んでいた私は、本当に救いようのない馬鹿だ。
視界が滲んで、涙が溢れそうになる。惨めな泣き顔を見られたくなくて、私は身を翻して走り出した。




