62.修羅場です
今日は大河さん達のお祖母さんである、和子さんの誕生日だ。今年は古稀になる為、皆でお祝いをするとの事で、私達は今、天宮会長のご自宅にお邪魔している。
「冴香さんようこそ! 来てくれて嬉しいわ!」
「お誕生日おめでとうございます、和子さん。あの、これ……つまらない物ですが。」
「まあ、ありがとう!! 開けても良いかしら?」
「はい、どうぞ。」
和子さんは嬉しそうに包み紙を開けていく。
どうぞ、とは言ったものの、私は緊張で汗が出てきた。
「まあ、可愛いハンカチ。こちらはクッキーね。美味しそう! これ、冴香さんが作ったの?」
「はい。お口に合うかどうか、分かりませんが。」
「とても嬉しいわ! ありがとう! 後で頂くわね!」
天宮財閥の会長夫人のプレゼントなんて、何を用意すれば良いのか分からないし、資金もないに等しい私は、せめて心を込めた物を送りたいと思って、あっても邪魔にならないであろうハンカチと、手作りのクッキーを用意した。クッキーは大河さんに試食してもらって太鼓判を貰えたので、出来は良いとは思うけれども、きっと和子さんはお口も肥えていらっしゃるだろうから、果たしてお口に合うのか不安だ。おまけに、皆さんからのプレゼントには、包装の上からでもそれと分かる、ブランド物の高級バッグや服ばかりで、こんな物で良いのかと内心で冷や汗をかきまくっていたが、和子さんが凄く喜んでくれたようなので、そっと胸を撫で下ろした。
「貴大、麗奈はまだか?」
「少しだけ用があると、私達より先に出ましたよ。もう少しで来ると思うのですが……。ああ、来たようですね。」
バタバタ、と廊下を走る音に、天宮会長と話していた貴大さんが眉間に皺を寄せた。音が大きくなってくると共に、これから何が起こるのかを知る私も、再び緊張に襲われてくる。
「遅くなってごめんなさい! お祖母ちゃん、お誕生日おめでとう。」
客間の障子がガラッと勢い良く開いて、麗奈さんが姿を現した。
「ありがとう、麗奈。」
「麗奈、廊下を走るな。はしたない。」
「ご、ごめんなさい、お父さん。」
急いで来たのであろう麗奈さんは、その場で息を整えてから、思い切ったように口を開いた。
「あのね、お祖母ちゃん! 紹介したい人がいる、って言っていたでしょう。わ、私の彼氏も、お誕生日を祝いたいって、来てくれているんだけど……っ!」
「何!?」
麗奈さんの爆弾発言に、大声を上げたのは貴大さんだ。血相を変えて麗奈さんに大股で歩み寄る。
「麗奈!! お前、まさかまだあの男と付き合っていたのかっ!?」
「そ、そのまさかよ。私、直也の事本当に好きだもんっ!!」
「あれ程別れろと言っただろう!!」
「絶対に嫌よ!!」
怒鳴り合いを始めてしまった貴大さんと麗奈さん。それまでほのぼのとしていた客間が、一瞬にして修羅場と化した。他の方々も突然の出来事に戸惑っているようだ。そんな中、そっとその場を抜け出していた大河さんが、新庄さんを連れて戻って来た。
「ご家族水入らずの団欒に、お邪魔してしまって申し訳ありません。私、麗奈さんとお付き合いさせて頂いている、新庄直也と申します。」
「貴様!! よくもぬけぬけと!!」
「貴大。落ち着きなさい。」
廊下で土下座する新庄さんに掴み掛かりかねない勢いの貴大さんを制したのは、和子さんだった。
「新庄さん、と仰いましたね。本日は私の為にわざわざお越し頂き恐縮です。」
「とんでもない。こちらこそ、折角のお誕生日にお騒がせしてしまって申し訳ありません。」
「麗奈、この方が貴女の言っていた、紹介したい人、なのかしら?」
和子さんは柔和な笑顔を作って、新庄さんから麗奈さんに視線を移した。
「うん。直也は私達と同じ、東王大学の医学部四年生なの。私達、高校の時から付き合っていて、今日はお祖母ちゃんのお誕生日を一緒にお祝いして、彼の事を知ってもらって、私達の事を認めてもらいたいなって思って。」
「勝手な事を! 君、場を弁えてもらおうか。この場は親族だけで母の誕生日を祝う場だ。関係のない者にはお引き取り願おう。」
「そうですか。では残念ですが、和子さん。私はこれでお暇させて頂きます。」
その場で一礼した私に、発言した貴大さんだけでなく、会長や和子さん達も目を丸くした。
「待って、冴香さん! どうして貴女が帰ってしまうの?」
「今し方、貴大さんが、親族だけで、お誕生日をお祝いする場だと仰いましたので。親族ではない私は遠慮させて頂きます。」
和子さんに答えて退出しかけた私を、貴大さんが慌てて引き止める。
「い、いや! 冴香さんはその必要はない。貴方は大河君の婚約者でもあるし、それに貴女が来るのを、父も母も楽しみにしていたんだ。是非一緒に、母の誕生日を祝って頂きたい。」
「では、私と同じ、親族ではない新庄さんも、和子さんのお誕生日を一緒にお祝いしても良いのでは?」
「それとこれとは話が別だ! 招かれてもいない者を同席させるなどいい迷惑だ!」
「新庄君は、俺と麗奈と冴香が招いたんですよ。それに、紹介したい人がいると、皆には予め連絡してある。彼を同席させても、何の問題もないと思いますが。」
しれっと発言した大河さんに、皆の視線が集まった。貴大さんは苦々しげに大河さんを睨み付ける。
「大河君。君がこの男を招いただと?」
「ええ。麗奈に家族が彼との仲を認めてくれないと相談を受けましてね。凛に調べさせたら、なかなかの好青年で、俺は麗奈には勿体ない程の相手だと思いましたけど、一体彼の何処が問題なんです?」
大河さんが泰然として尋ねると、貴大さんは一瞬言葉に詰まったように見えた。
「確か、彼の家は小さな診療所を経営していて、彼はいずれその後を継ぐという話じゃないか。しかも麗奈は家を出て、その経営に携わりたいと言う。冗談じゃない! そんな男との交際など認められない!」
「良いじゃありませんか。それで麗奈が幸せなら。麗奈の将来性を考えれば、天宮財閥にとっては多少痛手にはなるでしょうが、そんなもの何とでもなりますよ。無理矢理天宮財閥に縛り付けて、麗奈の幸せを奪う方が、俺はどうかと思いますがね。」
「だがその男との交際を認めたからと言って、麗奈が幸せになる保証も無いじゃないか!」
「絶対に幸せになるわよ! 直也はちゃんと将来の事も考えてくれているもの! 少なくとも、直也との事を認められていないこの状態こそが、私にとって不幸だわ!」
「俺は絶対に麗奈さんを幸せにします! ですからお願いです、麗奈さんとの交際を認めてください!」
「黙れ! 君のような青二才の考える将来なんて、たかが知れている! 麗奈、一時の感情に流されず、父さんの言う事を聞きなさい! その方がお前の幸せになるんだ!」
「何よ! 私の幸せを、お父さんが勝手に決め付けないでよ!!」
麗奈さんの腕を掴んで新庄さんから引き離そうとする貴大さんを、大河さんが横から制する。麗奈さんはいよいよ頭に来たのか、貴大さんを思い切り睨み付けた。
「もうお父さんなんて大っ嫌い!! 今後一切、口も利いてあげないんだから!!」
出た! 大河さんの言う、奥の手! 理詰めの貴大さんに対して、百パーセント感情論!
本当に効果があるのだろうかと、貴大さんを見ると……、あれ? ついさっきまで興奮で顔を赤くしていたのに、今は青くなっている。
「そうね……。娘の幸せをきちんと考えられないなんて、父親失格ね、貴方。」
今まで沈黙を貫いていた麗子さんが立ち上がり、貴大さんに冷たい眼差しを送る。貴大さんは更にショックを受けたようで、青くなった顔をますます青くし、錆び付いた機械のように、ぎこちなく麗子さんを振り返った。
「これ以上皆さんの前で醜態を晒すようなら……、私、離婚しちゃおうかしら?」
あ。
今、貴大さんの残りライフが、ゼロになった音が聞こえた気がした。




