52.冷笑を浮かべた女
大河視点です。
「大河、昨日はどうだったんだ?」
翌日の水曜日、食堂に向かう途中で、敬吾が待ち切れない様子で尋ねてきた。
従弟達に友達申請され、嬉しそうな笑顔を見せた冴香を思い出して、俺は思わず眉間に皺を寄せ、拳を握り締める。
「冴香が従弟達と仲良くなった。」
抑揚のない声で答えると、隣から呆れたような溜息が聞こえた。
「良いのかよ。このままお前が手をこまねいている間に、他の連中に冴香ちゃんを取られちまっても知らねーぞ。」
言いたい事だけ言い捨てて、定食を頼みに行く敬吾の背中を睨んでから、席を取りに向かう。今日は少し来るのが遅れたからか、奥の席は埋まっていたので、仕方なく長机の端の席を確保した。苛立ちを抑えながら、椅子に座る。
俺だって、冴香を失いたくない。このまま黙って、従弟達や他の誰かに渡してやる気などさらさらない。だけど、あいつは漸く心を開いてくれるようになったばかりだ。俺を好きになってもらうにはどうすれば良いのか、有効な方法がまだ思い浮かばなくて、行き詰まっている。
「……そんな顔をしているって事は、多少は自分の気持ちを自覚出来たみたいだな。」
急に降って来た声に、席に座ったまま視線だけを上げる。少しばかり安心したように、穏やかな苦笑を浮かべた敬吾が、向かい側の席に座った。
「人を揶揄う暇があるなら、あいつを振り向かせる方法を一緒に考えてもらおうか。」
俺がぶっきらぼうに言うと、敬吾は目を丸くした。
「何だ? 女性なんて選り取り見取り、百戦錬磨の天宮大河が言う台詞とは思えないな。」
「何だそれは。今までの奴らは向こうから勝手に寄って来ていただけで、俺が自ら手を伸ばして、振り向かせたいと思った女はあいつが初めてだ。」
「ほう。随分と遅い初恋ですなぁ、大河君。」
「……てめえ茶化すだけならブン殴るぞ。」
「暴力反対。」
涼しい顔で言いながら定食を食べる敬吾。こいつに相談してみようかと思った俺が馬鹿だった、と後悔しつつ、冴香が作ってくれた弁当を口に放り込む。相変わらず美味くて、苛立っていた心が少し和らいだ。今は契約があるから、俺の為に作ってくれているけれど、何時かそんな物がなくても、冴香自身の意思で俺に作りたいと思ってもらえるような関係になりたいと、切実に願いながら口に運ぶ。
「……振り向かせる方法って言ったって、お前なら、ちょっと優しくして笑い掛けてやれば、大抵の女はイチコロだろうが。」
敬吾が不思議そうに尋ねてきた。一応は考えてくれていたのか。
「大抵じゃねーのがあいつなんだよ。以前笑って見せたら、イケメンの笑顔には人を誑かす効果があるんだなー、なんて感想を寄越してきたような奴だからな。」
「ブハッ!!」
食事中だと言うのに、敬吾が腹を抱えて笑い出した。食堂に豪快な笑い声が響く。
気楽で良いなお前は。こっちは笑い事じゃねーんだよ。
「あー腹痛い。ハハ、やっぱ面白いな、あの子。」
笑い過ぎて涙目になっている敬吾をじとりと睨め付ける。
「完全に他人事だと思って楽しんでいるだろ、お前。」
「そんな事ないさ。俺だってちゃんと、冴香ちゃんとお前の事、応援しているんだからよ。大丈夫、お前なら本気出して口説けば、すぐに冴香ちゃんも好きになってくれるって。」
敬吾は随分と楽天的だ。本気出して口説いた所で、後継者狙いだと誤解されて、折角手に入れた信用まで失っちまうのが落ちなんだよ。そう抗議しようとした時。
「ククッ。」
突然聞こえた小さな笑い声に、俺達は顔を上げた。食べ終えた食器を持って、俺達の横を通ったのは、見覚えのある女。通りすがりに、冷笑を浮かべて一瞥してきたのは、金目当てに俺に擦り寄って来ていた、谷岡だった。
「敬吾。」
「ああ。」
名前を呼んだだけで、敬吾は俺の意図を的確に察知してくれた。
流石だ。やはりこういう時、こいつは頼りになる。
手早く定食を食べ終えて席を立ち、食器を返しに行きながら、何食わぬ顔で女性社員に声を掛けている敬吾を尻目に、弁当を食べ終えた俺も、谷岡と仲の良い同僚を探し出し、笑顔を作って声を掛けた。




