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5.一体どうしてこうなったのでしょう

 「……い……おい!」

 耳元で声がして、私の意識は一気に急浮上した。


 しまった、寝過ごした!?


 「すみません! すぐに朝食を作りますっ!」


 飛び起きた私は条件反射で口にしてから、目の前の光景に気が付いた。見慣れないソファーに見慣れない部屋。おまけに外は夜のようだ。寝起きで混乱しながらも、私はすぐに思い出した。そうだ、私は大河さんの家に引っ越して、そのまま寝てしまったんだった。


 「……大丈夫かお前。」


 後ろで呆れたような声がして、振り返った私は固まった。ソファーの横に、見た事もないようなイケメンが跪いていたのだ。

 短めに整えられた爽やかな印象の黒髪、凛々しい眉に涼しげな二重の切れ長の目。スッと通った鼻筋に薄い唇。高そうなスーツの上からでも分かる、鍛えられた身体。ゆっくりと立ち上がった彼は背が高く、おそらく百八十を越しているだろう。何処からどう見ても、完璧なイケメンだった。不快げに私を見下ろしていなければ尚良かったんだけどな。

 兎に角、このイケメンが私の婚約者、天宮大河さんに違いない。成程な、と私は内心で感心しつつ、ソファーから身を起こして立ち上がった。天宮財閥の御曹司でこの容姿とくれば、女性の方が彼を放っておかないだろう。毎日のように美女を取っ替え引っ替えしている、と言う彼の噂も真実味を帯びてくる。何で私がそんな人の婚約者になっているのか、未だに理解出来ないわ。


 「勝手にご自宅に上がり込んで、しかも図々しく眠り込んでしまって、大変申し訳ありません。改めまして、初めまして。堀下冴香と申します。」

 丁寧に一礼し、相手の様子を窺う。すると彼の形の良い眉が酷く顰められた。


 「俺はお前を婚約者だと認めた覚えはない。今すぐ出て行ってくれ。」

 廊下へと続く扉を指差しながら、イケメンが忌々しげに吐き捨てた。


 うん、ある程度は予測していた。お見合いの時も、天宮会長の事があったとは言え、当の本人は来なかったし、婚約と同棲が決まっても、何の連絡も無かったし。今日の引っ越しだって、金曜で平日だからとは言え、迎えにも来なければ手伝ってくれた訳でもないので、周囲はどうだか知らないが、本人には確実に歓迎されていないであろう事には薄々気付いていた。

 だけど、困る。ここを追い出されたら、家に帰れない私はもう行く所が無い。


 「出て行けと言われましても、困ります。それに、私はお見合いの席で、天宮社長に頼まれて、こちらに伺ったのですが。」

 天宮社長、という免罪符を持ち出してみたが、イケメンはますます機嫌を損ねたように私を睨み付ける。


 「お前、俺の祖父さんや親父とはどんな関係なんだ?」

 「は?」


 思わず素っ頓狂な声を出してしまった私は悪くないと思う。だって天宮財閥の方々なんて、一般人からしたら雲の上の人のような存在だ。そんな方々と面識なんて、ある訳ないじゃないか。


 「天宮会長とは、お会いした事もございません。天宮社長とは、先週の日曜日にお見合いの席で、初めてお目にかかっただけですが。」

 そう答えると、彼の眉間に皺が寄った。


 「何でかは知らないけど、祖父さんがやたらとお前の事を気にしてんだよ。折角来てもらったんだから、大事にしないと許さない、ってな。しかも親父まで感化されたみたいで、祖父さんが入院して色々と忙しいってのに、お前が来るのに家に居なくて良いのかだの、早く帰れだの煩くて仕方ねえ。冗談じゃねえぞ! 婚約も同棲も祖父さん達が勝手に決めた事で、俺はお前を婚約者だなんて認めねえからな!」

 「はい。私も貴方に婚約者だと認められた覚えはございません。」


 言われた台詞をそのまま返しただけなのに、彼は呆気に取られた様子で私を見つめた。

 うん、初めて知ったよ。イケメンは間抜け面になっても、イケメンのままなのね。


 「ですが、このまま追い出されるのは困ります。それに、そんなにお嫌でしたら、何故このお話をお断りなさらなかったのですか?」

 「当然抗議はしたさ。けど無視されて、勝手に進められたんだよ。婚約も同棲も引っ越しも全部事後報告だ! お前の方こそ何で断らなかった? 父親の会社への援助と引き換えに身売りなんて、普通は嫌に決まっているだろうが。それとも財産目当ての玉の輿狙いか?」

 「とんでもない。私は、あの家をどうしても出たかったんです。」


 私は俯いて唇を噛み締めた。

 もうあんな家には絶対に戻りたくない。でもこのままだと、大河さんの家にも置いてもらえなくなりかねない。そうなったら行く所が無い私は、遅かれ早かれ何処かで野垂れ死にだ。どうすれば良いのか必死で頭を働かせる。


 「家を出たいってだけで俺と婚約したってのかよ? ふざけるな! さっさと出て行けよ!」

 「痛っ!!」


 怒声を浴びせられながら腕を掴まれ、私は思わず悲鳴を上げた。あまりの痛さに彼の手を払い除け、掴まれた腕をもう片方の手で押さえる。運悪く、今朝異母姉に酷く蹴られた所を強く掴まれてしまったのだ。


 「悪い……大丈夫か? 見せてみろ。」

 「え? あっ!」

 私の痛がる様子に尋常じゃないと思ったのか、彼は止める間もなく、私の手を除けて服の袖を捲り上げてしまった。


 「……おい、何だよこれ。」

 震えた彼の声色に、見られてしまったか、と私は溜息をつく。


 「お見苦しいものをお見せしてしまってすみません。」

 見てしまったのは貴方のせいだけどね、と思いながら、私はすぐに捲り上げられた袖を直そうと手をかけた。だがその手は彼に掴まれて止められる。


 「これは何だって訊いてんだよ。」


 狼狽えている彼の視線の先にあるのは、痣だらけの腕。出来たばかりの赤や、紫に青等、無数の痣が斑模様を描いていて、元の肌色の部分の方が少ないくらいだ。


 「転びました。」


 常用している台詞を反射的に口にする。万が一、他人に見られて尋ねられるような事があればそう言うように、あの二人にずっと脅されてきた。だけど、それがなくても私自身が、虐待されているだなんて事を、今日会ったばかりの人に知られたくない。


 「そんなんでこんなになる訳ないだろ。」

 イケメンから鋭い指摘と厳しい視線が飛んできた。


 あー、やっぱ誤魔化せないか。……仕方ない。こうなったら正直に言うしかない。


 「……継母と異母姉に付けられたものです。」

 ギリ、と奥歯を噛み締め、嫌々ながらも呟くと、彼が目を見開いて私を見つめてきた。


 「お前……虐待、されていたのか?」

 「ええ。だから私はあの家をどうしても出たかったんです。……この婚約は貴方にとって、大変不本意である事は良く分かりました。でも私にとっては天の助け。あの家を出れるなら手段は何でも良かったんです。だからお願いします。私をこの家に置いてください。家事は一通り出来ますので、住み込みの家政婦だとでも思って頂けないでしょうか。最低限の衣食住さえ保障して頂ければ、後は貴方が今まで通り、誰と何処で何をしていようと、私は一切関知しませんから。」


 頭を下げ、縋る思いで一気に言葉を吐き出す。恐る恐る顔を上げて窺うと、目を見開いたままだった彼は、ゆっくりと目を細めていき、最後には睨んできた。

 やっぱり駄目なんだろうか。野垂れ死に確定かな。


 「もう一度訊く。お前は衣食住さえ保障されれば、俺が誰と何処で何をしようが関係ないと?」

 「はい。私如きが貴方に釣り合わない事くらい重々承知しています。貴方の女性関係に口出しするつもりなどありません。ですからこの家に置いてください。」


 私との婚約は嫌だろうけど、それを隠れ蓑にして女遊びを続けられるなら、彼にとっても好都合の筈。そう思ったのに、何故か思いっ切り睨み付けられた。


 「良いだろう。同棲は認めてやる。だがお前のその態度が気に入らない! いずれ必ず俺に惚れさせてやるから覚悟しておけ!」


 ……この人、今何て言った?


 私は耳を疑った。基本表情筋が死んでいる私だが、きっとこの時ばかりは、間抜け面を晒していたと思うんだ。

 うん。ちょっと待て落ち着け私。何が何だかさっぱり訳が分からないぞ。一体どうしてこうなった?

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