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44.ご忠告を頂きました

 アルバイトの帰りに買い物をし、家に帰って夕食の支度をしていると、チャイムの音が鳴った。

 来客? こんな時間に? 珍しいな。


 インターホンに出てみると、マンションのエントランスに数人の女の人達がいる画像が映っていた。何でも大河さんの同僚で、大河さんの忘れ物を届けに来てくれたらしい。会社帰りでお疲れだろうに、わざわざ足を運んでくださるなんて恐縮だ。家に上がってもらった方が良いかと思ったが、大河さんがまだ会社から帰って来ていないので良く分からない。留守中に人を家に上げると、大河さんが嫌がるかも知れないと考えた私は、取り敢えず忘れ物を受け取りに、一階まで下りる事にした。


 お姉さん達を待たせてはいけないと、急いで部屋を出て、エレベーターに乗りながら、私はふと疑問に思った。

 大河さんはまだ帰って来ていないんだから、お姉さん達が会社を出る頃には、まだ会社にいたのでは? ならば忘れ物は会社で渡せば良いのに、何故わざわざ家まで届けに来てくれたんだろう。それとも、今日は大河さんが取引先の所とかに行っていて、そこから直帰する事にでもなっているんだろうか。明日の朝に会社で渡すのでは間に合わない程、重大な忘れ物なのかな?


 不思議に思いながらもエントランスに行ってみると、何故か女の人達から睨むような鋭い視線を浴びせられてしまった。嫌でも継母や異母姉、そして中学、高校の同級生の冷たい眼差しを連想させられてしまって、身体が勝手に竦んでしまう。何だか嫌な予感しかしない。


 「こんばんは。貴女が冴香ちゃん、よね?」


 一人が硬い表情で私を見下ろしながら口を開いた。私の頭の天辺から足の爪先まで、人を小馬鹿にしたような視線がいくつも突き刺さってくるのを感じる。


 「はい。そうですが。」


 萎縮しそうになるのを堪えて返事をしながら、何故私の名前を知っているのだろう、と考えて、私はすぐに思い出した。そう言えば、以前大河さんに仕事用のスマホを届けに行った時に、会社内で大声で名前を呼ばれていたんだった。顔と名前を憶えられていても不思議じゃない。


 「単刀直入に訊くわ。貴女、天宮係長と一体どういう関係なの?」


 親に勝手に決められた仮の婚約者です……なんて馬鹿正直に答えたら、このお姉様方がお怒りになるのは目に見えている。無駄な争いを避けたい私は、無難な答えを選択した。


 「大河さんに家政婦として雇って頂いている関係ですが。」


 嘘は言っていないよ。報酬を貰う代わりに家に置いてもらっているだけだもの。

 その答えに意表を突かれたのか、お姉様方は目を丸くして呆気に取られた表情を見せた。


 「……本当に? 恋愛関係、とかはないの?」

 「そんな訳ないじゃないですか。皆さんのように綺麗で大人な女性なら兎も角、私みたいな女に、大河さんが振り向くとでも?」

 私が即答すると、お姉様方は漸く表情を緩めてくれた。


 「ほら言ったじゃない! どうせ大した関係じゃないって!」

 「そうだよね! あの天宮係長が、こんな子を好きになる訳ないよね!」

 「そうそう! 本人も否定していたんだから、気にする事なんてないって! やっぱり本城主任の勘違いだったんだよ~!」

 「何よもう~! 昼休みからの緊張を返して欲しいわよね~!」

 先程までとは打って変わって、キャッキャとはしゃぎ出すお姉様方。


 大河さん、敬吾さん、お二人共会社で一体どんな話をしているんですか。私の方こそ、この無駄な緊張を返して頂きたい。

 何を分かり切った事を、と内心で呆れ返りながらも、胸がちくりと痛む。お姉様方は皆綺麗な容姿でスタイルも良く、誰が大河さんの隣に立っても釣り合いそうだ。少なくともちゃんと恋人同士には見えるに違いない。手を繋いで歩いていても、精々兄妹程度にしか見えない私とは違って。


 「ねえ、念の為に訊くけれど、貴女、天宮係長の事が好き、なんて事は無いわよね?」

 また別のお姉様が尋ねてきた。この人はまだ冷ややかな視線を私に送ってきている。


 「まさか。私は自分の立場は、十分理解しているつもりです。振り向いてくださる筈もない人を、思い続けるような無駄な事はしない性分なので。」

 私が答えると、冷ややかな目をしていたお姉様も、満足げな笑みを浮かべた。


 「そう、なら良いのよ。そうよね、貴女はただの家政婦だものね。」

 「ふふ、安心したわ。ごめんね、急に押し掛けちゃって。」

 「忘れ物って言うのは嘘で、少し貴女とお話ししてみたかったんだ。」


 人を見下すような笑みを見せたお姉様方は、じゃあね~、と呑気な声を出して帰って行く。

 何だったんだ、あの方々は。

 安心したらお腹すいちゃったね~、なんて会話を耳にしながら、何だか遣る瀬無い気持ちを溜息と共に吐き出して、私も戻ろうとした時、まだ一人残っていらっしゃる事に気が付いた。


 「……貴女、本当に大河には、恋愛感情を持っていないの?」


 静かに尋ねてきたお姉さんには見覚えがあった。確かあの日、会社に入った私に声を掛けて応対してくれた……谷岡さん、だっけ。


 「はい。私では大河さんに釣り合わない事くらい、良く分かっています。無駄に傷付きたくありませんので、大河さんには恋愛感情は抱かないと決めています。」

 探るような視線で見つめてくる谷岡さんに、意識的にはっきりと答えると、谷岡さんは私に微笑みを向けた。


 「そう。安心したわ。少なくとも貴女は、私の二の舞にはならなさそうね。」

 「どういう事ですか?」

 私が尋ねると、谷岡さんは寂しそうな表情を浮かべた。


 「私ね、大河と付き合っていたの。だけど、大河は私を数日で捨てた挙句、金輪際纏わり付くなとか、迷惑だとか、酷い言葉を投げ付けたのよ。」

 口元を抑えて瞳を潤ませた谷岡さんの言葉を、私はすぐには理解出来なかった。


 大河さんは何だかんだ言っても優しくて、私にはいつも良くしてくれている。その大河さんが、酷い言葉を投げ付けて女の人を捨てた……? すぐには信じられないけれど……。ああ、でも、有り得るかも知れない。初対面の時の大河さんは、私の事を財産目当て呼ばわりして、ぞんざいに扱おうとしていたし。

 谷岡さんの言葉が、重く伸し掛かってくる。そうか、大河さんは、こんなに綺麗な美女でも、簡単に捨ててしまうんだ。大河さんの女癖の悪さは、噂には聞いていたけれど、今まで実感した事はなかった。


 「凄くショックだったわ。暫く失意のどん底にいたの。今は漸く、あんな酷い人なんか忘れて、もっと素敵な人を見付けてやる、って思えるようになったけどね。」

 谷岡さんはそう言って自嘲するような薄笑いを浮かべると、膝を屈めて私と目線を合わせた。


 「せめて貴女には、私みたいに傷付いて欲しくないの。良い? 大河の事、絶対に好きになっちゃ駄目よ? たとえ付き合える事になったとしても、最終的には手酷く振られて捨てられて、貴女が傷付くだけだから。」


 私の肩に両手を置き、心配そうな表情で顔を覗き込んでくる谷岡さん。だけど、何でだろう。言っている事は正論なのに、その目には悪意が宿っているように感じられる。

 私は得体の知れない恐怖に怖気付きながらも、無理矢理表情筋を動かして、アルバイトで培った営業スマイルを作った。


 「ありがとうございます。でもご心配には及びません。私は大河さんに、恋愛感情は抱きませんから。」


 私がそう言った途端、谷岡さんの口元が、一瞬、ニヤリと悪意ある笑みを形作ったように見えた。でも次の瞬間には、もう跡形も無く消えていて、一安心したような柔らかい笑みに変わっていたのだけれど。


 「そう。それなら良いの。」


 にこりと笑って立ち上がり、じゃあね、と踵を返して立ち去る谷岡さん。私は暫くの間、呆然とその場に立ち尽くしたまま、その後ろ姿を見つめていた。

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