42.幼馴染達と俺とあいつ
大河視点です。
「よう、敬吾。邪魔するぜ。」
日曜日の昼下がり、俺は敬吾の家に上がり込んだ。俺と同様、敬吾はマンションで一人暮らしをしている。てっきり敬吾一人だと思っていた部屋には先客が居て、俺は目を丸くした。
「何だよ、凛も来ていたのか。」
「そーよ。居ちゃ悪い?」
テーブルに着いた俺に、コーヒーを差し出しながら生意気な口を利いてきたのは、祖父さんの執事の二階堂の娘で、俺達の幼馴染であり、敬吾の彼女でもある二階堂凛だ。涼しげな目元をしていて、いつも黒のセミロングの髪をポニーテールに束ねている。背が高くてスタイルも良く、十分美人の範疇に分類される容姿をしているが、昔から気が強く、顔を合わせれば何かと説教じみた事を言ってくるので俺は苦手だ。こいつと付き合っている敬吾の気が知れない。
「大河君の事だから、どうせ昨日会長の家に呼ばれた時の愚痴を零しに来たんでしょ? 仕方ないから、私も聞いてあげるわよ。」
「ちげーよ。半分は当たっているようなもんだが、今回は相談だ。」
「相談?」
確かに俺が敬吾の家を訪れる時は、大体愚痴を零しているが、今回はいつもとは違う。そうと分かったからか、テーブルに着いた敬吾も凛も身を乗り出して来た。俺は昨日の経緯を掻い摘んで話す。
「冴香ちゃんが、結婚相手兼、天宮財閥の後継者を決める……!?」
俺の話に、敬吾も凛も呆気に取られ、そして互いに顔を見合わせた。
「何でそんな事になってんだよ?」
「知るか。祖父さんに訊け。」
俺の返事に、二人は溜息をついた。
「それで、後継者の座から降ろされそうになって、愚痴と相談に来たって訳?」
「いや。」
凛の質問を、俺は即座に否定する。
「後継者の座なんか、俺は正直どうだって良いんだよ。確かにガキの頃から、跡取りなんだから、って理由で色々厳しくされてきたから、今更、ってむかっ腹は立つけどな。」
「おい大河、そりゃねえだろ。」
言葉を荒らげた敬吾に、俺はコーヒーを飲みながら顔を上げた。
「俺は天宮財閥の後継者は、お前以外認めねえからな。確かにお前には多少問題はあるけれど、ガキの頃から鍛えられてきただけの事はあって、天宮財閥を率いる実力は群を抜いているんだよ。他の奴らもそれなりに力はあるが、俺に言わせればまだまだ甘い。俺はそんな奴らに仕える為に、将来の天宮財閥の統率者を支える人材になれという、周囲の期待に応え続けてきた訳じゃねえぞ。」
思わぬ敬吾の言葉に、俺は胸が熱くなった。
敬吾は昔から俺のお目付け役、兼、ボディーガードのような立ち位置を期待されてきたが、祖父さんや親父に反抗しまくっていた俺とは違って、俺に振り回されても、色々な護身術の習得を強要されても、素直に従い、何時だって真面目に取り組んできた事を、俺は良く知っている。
「……そりゃどーも。嬉しい事言ってくれるじゃねーか。」
少し照れ臭さを感じながら礼を言うと。
「これまで散々お前に振り回され続けてきた、俺の血と汗と涙の日々を、無駄にはしないでくれよな。」
「知るかよそんな事!」
くそ、敬吾め。褒めてんのか貶してんのか、分かんねえじゃねーか!
「……それで? 大河君が、実はそこまで後継者の座に執着していない、って言うのなら、一体何を相談しに来たの?」
「ああ、そうそう。」
呆れ顔の凛が逸れた話を戻してくれ、俺は改めて二人に向き直る。
「相談ってのは冴香の事だ。あいつはそんな役割を祖父さんに勝手に押し付けられて困っている。何とかしてやりたいが、あいつが自分自身の幸せが何かってのが分かっていないんだ。おまけに昨日、帰ってから従弟達に電話して分かったんだが、祖父さんが先に根回ししていやがった。お蔭で昨日は全員静観を決め込んでいやがった挙句、祖父さんに言いたい事を言う冴香に、興味を持ってしまったみたいで、誰一人味方に出来なかった。このままじゃ、あいつは望みもしない、天宮家の跡取り問題に巻き込まれちまう。何とか祖父さんを説得して、解放してやりたいんだが……。何か良い案はないか?」
俺が尋ねると、二人共難しい顔をして考え込んでしまった。
「……難しいわね。冴香ちゃんの生い立ちを知って、『絶対に儂が何とかしてやる!』って、会長が相当意気込んでいたもの。」
凛がぽつりと漏らした言葉に、俺はギョッとした。
「生い立ちって、お前冴香の事知ってんのかよ?」
「勿論。だって冴香ちゃんの事調べ上げたの、私とお父さんだし。」
凛の返答に、俺は頭を抱えた。
マジかよ。まさかここにも冴香の過去を知っている奴がいたとは。
「あれはなかなかの無茶振りだったわよー。何しろ会長も奥様も、彼女の外見的特徴しか覚えていなかったんだもの。お父さんと手分けして、奥様を搬送した救急隊員を突き止めて話を聞いたり、デパートの店員に聞き込みしたり、目撃者を探したりで、漸く彼女に辿り着いたのは良いけれど、どうにも様子がおかしくて、今度は徹底的に彼女の身辺調査をする羽目になったし。まあ、そのお蔭で、彼女が今少しでも良い暮らしが出来ているなら、やった甲斐があったって思っていたけど……。そんな事になっているのなら、彼女にとって良かったのか悪かったのか、分からなくなっちゃうわね。」
凛が困惑したように溜息をついた。
「冴香ちゃんの生い立ちねえ……。気になるけど、訊かない方が良いか?」
ちらりと凛を見遣った敬吾を、鋭く睨み付ける凛。
「訊かない方が良いわ。これは彼女の個人情報の中でも取り分け極秘扱いの項目よ。きっと彼女、誰にも知られたくなかっただろうから。敬吾も記憶から抹消しなさい。良いわね。」
視線だけで殺気さえ感じさせる凛に、思わず背筋が寒くなる。おお怖え。
「……まあ、結論から言うと、冴香ちゃんが自分の幸せを早く見付けるしかないんじゃないかしら。会長を説得する材料を揃えるにしても、まずはそこからよね。」
三人がかりで考えても、結局元の結論に落ち着いてしまい、重い気持ちを引きずって俺は家に帰った。テレビを点けて適当にチャンネルを回し、結局ニュース番組にしてみるが、内容が今一つ頭に入ってこない。
「大河さん、今戻りました。すぐに夕食にしますね。」
暫くして冴香が帰って来た。鍋を温めたり、冷蔵庫からタッパーを出して器に盛ったりと手際良く動き、すぐに食事が用意される。
冴香と向かい合って夕食を摂りながら、俺は冴香の箸が止まりがちになっている事に気が付いた。
「冴香、もっとしっかり食えよ。どうかしたのか?」
「あ、はあ……。ちょっと考え事をしていまして。」
「考え事?」
「やっぱり大樹さん達に連絡しなきゃいけないかな、と。」
冴香の返答に、俺は箸を取り落としそうになった。
「連絡って、どういう事だよ!?」
「実は今日、ジュエルに皆さんがお見えになったんです。連絡先を書いたメモを渡されてしまったので、やっぱりラインでも送るべきかな、と。」
冴香の言葉に、俺は愕然とした。
何だよそれ!? あいつら、昨日の今日でもう行動に移したのかよ!? 何考えてんだ……? 遊びのつもりか? まさか本気じゃないだろうな……!?
そう思った途端、俺は腹の底に、何かどす黒いものが渦巻いていくのを感じた。
何だ? この感覚は?
腹の底に巣食う黒くて重い感覚に戸惑いながら、俺は顔を上げ、目の前の冴香を見つめる。視線を落としたまま、黙々と食事を口に運ぶ冴香。あいつらの事を考えているのか、俺がじっと見ている事に気付く様子はない。
冴香はどうするんだろう。このまま従弟達と交流を深めるつもりなんだろうか。だがあいつらは冴香がどんな目に遭ってきたのか知らない筈だ。冴香は今まで色々傷付いてきたんだ。もし揶揄いや遊び半分や後継者目的で、あいつらが冴香に手を出そうとするのなら、俺は絶対に許さねえ!
……だが、もし本気なら? あいつらがもし本気なら……、そして冴香があいつらの中の誰かを選べば、冴香はこの家から居なくなる……!?
そう考えた途端、俺は冷水を浴びせられたように、頭から血の気が引いた。
「……大河さん、どうかされたんですか?」
冴香の心配そうな声に、俺は我に返る。
「あ……いや、何でもない。……お前、大樹達の事、どうするつもりなんだよ?」
冴香に尋ねる声が裏返りそうになる。喉がやけに乾いて、言葉が張り付いて出て来ないのを、無理矢理声にした。
「どうしたら良いのか分からない、というのが正直な所ですが……。取り敢えずこのまま無視する訳にもいかないでしょうし、食事を終えたらラインくらいは送った方が良いんだろうな、とは思っています。」
憂鬱そうに溜息をつく冴香。あまり乗り気ではなさそうな様子に、少しだけ肩の力が抜けた。取り敢えず、今の所はすぐにどうこう、と言う訳ではなさそうだ。だがラインを送る、という言葉には良い気分がしない。だからと言って、俺にそれを止めさせる権利などないのだが。
……と言うか、俺は何だってこんなに気にして、悶々としているんだよ? 冴香が誰を選ぼうと冴香の自由だし、誰が跡取りになろうと俺自身に別に異論はねえ。その結果、冴香がこの家を出て行く事になっても、俺は前の生活に戻るだけの筈だ。
……なのに、それを想像しただけで、どうしようもなく胸が痛む気がするのは……何故だ?




