35.経緯を教えてもらいました
「あの時のお婆さんが、和子さんだったんですか!?」
私が驚きながら尋ねると、和子さんは嬉しそうに、笑顔を浮かべて握手していた私の右手を両手で包み込んだ。
「ええ。あの時は主人も私も気が動転してしまっていて、病院に運ばれて落ち着いてから、漸く命の恩人である貴女の名前を訊くどころか、碌にお礼さえ言っていない事に気付いたの。」
「そんな、命の恩人だなんて大袈裟ですよ。それに、そんなに大した事はしていません。」
「とんでもない。貴女が助けてくれていなかったら、私はあのまま窒息死していたかも知れないんだもの。遅くなってしまったけれど、あの時は本当にありがとう。」
「私からも是非お礼を言わせて欲しい。妻を助けてくれた事、心から感謝しているよ。ありがとう。」
和子さんと天宮会長のお二人に、揃って頭を下げられてしまい、私はすっかり恐縮してしまって、どうしたら良いのか分からなくなってしまった。
「取り敢えず立ち話していないで座れば。どうせ長い話になるんだろ。」
何時の間にか空いていた座椅子に座っていた大河さんがぶっきらぼうに言い、私は会長に勧められて、大河さんの隣に腰を下ろした。紹介がまだ途中だったと、天宮社長が奥様の恵美さんを紹介してくださって、ご挨拶をする。
こうして見ると、大河さんの顔立ちは美人のお母さん似だと思う。でも目元はお父さん似だな。
「じゃあ早速、冴香が祖母さんを助けてから俺の婚約者にさせられるまでの経緯を教えてもらおうか。」
大河さんが会長を鋭く睨み付ける。何時にも増して機嫌が悪そうだ。
そりゃそうか。天宮会長達によってお膳立てされたこの婚約は、大河さんにとって相当不本意なものなんだもの。いくら私がお祖母さんの恩人だと分かっても、こんな貧相な小娘を無理矢理押し付けられて、嫌じゃない訳がない。
頭では分かっている筈なのに、胸の奥の方に、少しだけ鋭い痛みを覚えた。
「そうだな。私達は大恩ある彼女に、どうしてもお礼を言いたくて捜索したんだ。あの時妻を助けてくれたお嬢さんが、堀下工業の社長のご令嬢の冴香さんだという事は程なくして判明したんだが、それにしてはどうにも様子がおかしいと、二階堂から報告を受けてな。詳しく調べさせたら、冴香さんは堀下家ではお世辞にも良い待遇を受けているとは言えない事が分かってきたんだ。」
会長の言葉に、私はギョッとした。
会長は、私が継母と異母姉に奴隷扱いされ、暴力を振るわれていた事をご存じなのだろうか?
「それは……どうしてそう思われたのですか?」
私は思わず会長に探りを入れる。
あの二人は、父を含む他の人に虐待している事がばれないようにと、暴力を振るう時は必ず家で、父が居ない時を見計らって、絶対に服で隠れる場所に、病院に行かせる必要がない程度に行っていた。それに、傍から見る限りでは、私達はそれなりに仲が良い家族として認識されるよう、ずっと演じさせられてきた。学校での異母姉だって、私に直接手を下す事はなく、取り巻き連中を上手く利用して嫌がらせをするという徹底振りだった。あの二人は狡猾だから、誰かに悟られるようなヘマはしていない筈なのに、会長は何処まで掴んでいるんだろう。
「最初におかしいと勘付いたのは、貴女の身なりと行動パターンだったそうだよ。」
会長はそう答えると、少し言い辛そうに視線を外した。
「失礼ながら、社長令嬢で、年頃の高校生であるにもかかわらず、貴女は身なりにまるで気を遣っている様子ではなかった。表情も暗く、親しくしている友人達もいないようで、高校から真っ直ぐ家に帰ったかと思うと、すぐに制服のまま買い物に出掛けていたとか。お姉さんは対照的で、多くの友人達と遅くまで気ままに遊んでいるし、お母さんも専業主婦なのに何故だろうと注視していると、僅かながらだけど、常に何処かを庇うようにぎこちない歩き方をしていたそうだ。それで日々の様子を観察させてもらっていたら、朝早くから洗濯、掃除、高校から帰ったらすぐに買い物と、家事の殆どを貴女がしている上に、毎日のように体の庇う部分が変わっていた、と。これは何かある、と詳しく調べさせてもらって、貴女の生い立ちと堀下家に引き取られた経緯、それからどのような目に遭ってきたかは、大体把握させてもらっているつもりだよ。……冴香さんは、あの家で相当酷い扱いをされていた。違うかね?」
「……違いません。」
俯いた私は、呟くように答えた。
そうか、会長は、ここにいる人達は、全てをご存じなんだ。私があの家でどんな扱いを受けていたのかも含めて。
あの日、大河さんに知られてしまったのは仕方ないとしても、自分が惨めに思えるし、そう思われるのも嫌なので、これ以上知る人を増やすつもりなどなかった。それなのに、自分の知らない所で、知っている人達が他にも居て、恥ずかしくて居た堪れないような、でも少しだけ肩の力が抜けたような、そんな複雑な感じがした。
「私達は何とかして、貴女をそんな生活から一刻も早く抜け出させてあげたいと考えた。だが、一見普通に見せている家庭に、第三者が口出しした所でどうなるものでもないし、下手に継母達に勘付かれてしまえば、貴女の立場をより悪くしかねない。将大達も巻き込んで出した答えが、貴女のお父さんの会社、堀下工業と我々の関係を利用して、貴女を大河の婚約者として、私達の身内にしてしまう事だったんだ。」
私は漸く合点がいった。
そうか、それでお見合いの時、会長の緊急入院にもかかわらず、天宮社長は婚約と同棲のお話を纏めに来てくださったんだ。私を早急にあの家から脱出させる為に。
皆様のお心遣いが有り難くて、胸が一杯になっていく。
……あれ? でも確か……。
「お見合いのお話を頂いた時、父は最初、異母姉に持って行きました。運良く異母姉が断ったので、お話は私に回って来たのですが、もし異母姉がお話を受けていたら、どうなっていたのでしょう?」
私の質問に、答えてくれたのは天宮社長だった。
「彼女がこの話を受ける事はない、と思っていましたよ。お恥ずかしい話ですが、大河は女癖の悪さで有名でしたから、プライドの高い彼女なら、如何に天宮財閥の跡取りと言えども、結婚相手として容認出来ないだろうとね。それでも万が一、彼女が受けた場合は、お見合いの時点で彼女の生活力の無さや夜遊び等、天宮財閥後継者の妻になる者として相応しくない言動を指摘して、破談の方向に話を持って行き、改めて貴女を指名するつもりでした。最初から貴女を指名していたのでは、何か意図があると疑われてしまうでしょうからね。」
成程。お見合いの主導権は、天宮財閥にあるのだから、これなら異母姉もどうする事も出来ない。後はただ時間の問題だったという訳だ。だけど……。
「だったらその話、何で俺には教えてくれなかったんだよ。」
私の疑問は大河さんが代弁してくれた。そう、このお見合い話の当事者となってしまう大河さんには、せめて説明があっても良さそうだったのに。
「最初から説明していたんじゃ、お前への戒めにならんだろうが。何時までも特定の相手を作らず、次から次へと浮名を流しおって。これ以上恥晒しな真似をさせて、天宮財閥の信用を揺るがす事は出来ん! お前が冴香さんを大切に出来ないのならば、冴香さんを儂の養女にして、最高の相手を見繕って天宮財閥を継がせるからそう思え!!」
会長の怒声が部屋中に響いた。
ちょっと待て。今突っ込み所満載だったんだけど。養女とか継がせるとかって一体何なんですか? 一般人の、ついこの間まで高校生だった、社会経験ほぼ皆無な私に、そんな大役が勤まるとでも?
助けて頂けたのは大変有り難いし、感謝してもし切れませんが、私の人生、勝手に決めないでもらえませんかね。




