34.こんな事がありました
あれは確か、去年の八月半ばの猛暑日の事だったと思う。
デパートで開催される北海道展の広告を見ていた継母が、今回の目玉商品である、数量限定販売のアイスクリームを目にして、異母姉と一緒になって食べてみたいとか言い出した。だが、このくそ暑い中、アイスだけの為に出掛けるのは面倒だ、行列に並ぶのも嫌だ、と文句を並べ始め、その結果、当然の如く私が買いに行かされた。
家を出た瞬間に汗が吹き出る熱気の中、嫌気が差しながらも電車に乗ってデパートまで足を運び、お店の前に出来ていた長蛇の列にげんなりしながらも並び、飛ぶように売れていく商品を見ながら、継母と異母姉の分は何とか残っていて欲しい、と胃を痛める。
え? 私の分? あの二人がそんな慈愛の心を持ち合わせている訳が無かろうが。
時間はかかったけれども、首尾良く目的は果たす事が出来、さあ急いで帰ろうと思った時、近くの休憩所が急に騒がしくなった。
「おい、大丈夫か!? しっかりしろ!!」
何事かと覗いてみると、誰か救急車を!! と慌てた声で叫んでいるお爺さんが、喉を抑えて真っ青な顔をしているお婆さんの背中を擦っている光景が目に入った。テーブルの上には餡蜜らしき物が見える。もしかして、何かを喉に詰まらせた? だったらすぐに取り除かないと!!
「すみません、ちょっと通して!」
集まって来た人だかりを潜り抜けながら、空いていたテーブルに荷物を放り投げてお婆さんに駆け寄った。
「何かを喉に詰まらせたんですか?」
ヒュ、ヒュ、と掠れた呼吸を繰り返すお婆さんの様子を見ながら、念の為にお爺さんに尋ねる。どうやら餡蜜に入っていた白玉を喉に詰まらせたらしい。こういう場合、自力で咳き込ませるのが一番なのだが、お婆さんの呼吸音が徐々に小さくなっていく現状では無理そうだ。
「取り除けるかやってみますね。ちょっと苦しいですけど我慢してください。」
お婆さんに声を掛け、救急車が来るまでハイムリック法を試す事にした。
ハイムリック法とは、異物を喉に詰まらせた人の背後に回り、その人を抱きかかえるようにして両腕を腹部に回し、片手で作った拳にもう片方の手の平を重ねて、鳩尾とおへその間を上向きに圧迫して異物を吐き出させる応急処置方法だ。因みにこの方法は、内臓を痛めてしまう恐れがある上、詰まらせた人の反応がない場合や、一歳未満の子供、妊婦には絶対に実施してはいけない。勿論人で練習するのも危険である。
何故私がこんな事を知っているのかと言うと、実際に看護師だったお母さんにされた事があるからだ。
子供の頃、家でお母さんと一緒に苺大福を食べていて、喉に詰まらせてしまった私は完全に息が出来なくなった。すぐにお母さんがハイムリック法を施してくれて、私は一発で勢い良く大福を吐き出す事が出来たのだが、あの時の呼吸が出来ない苦しさと、腹部を圧迫された時の胃がひっくり返るかと思うような衝撃は、そうそう忘れられるものではなかった。
そしてその後病院に行く道すがら、お母さんは応急手当について色々と教えてくれ、その必要性を痛感したばかりの私にとって、今でもしっかりと記憶に残る出来事になっている。そのお蔭で、あの二人に暴力を振るわれた時でも、自分で手当てしてこれたのだ。
だけどいくら知識だけはあるとはいえ、実際に行うのは初めてだからか、現実はそう上手くは行かなかった。私のやり方が拙いのか、それとも力が足りないのか、お婆さんはなかなか白玉を吐き出してくれない。効果は弱くなるけれども、背中を叩いて吐き出させる背部叩打法に切り替えた方が良いか、と焦っていると、何回目かの圧迫で、お婆さんが漸く白玉を吐き出してくれた。
良かった、取り敢えず一安心だ。
ゲホゲホと咳き込むお婆さんの背中を擦っていると、救急隊員の方が駆け付けて来てくれたので、簡単な事情の説明だけをして、後はプロに任せる事にする。ほっとして肩の力が抜けた瞬間に、当初の目的を思い出した。
ヤバい、こんな所で油を売っていないで、アイスが溶けてしまう前に急いで家に戻らないと、折角買えたのにまたあの二人に殴られてしまう!!
私はそそくさとその場を立ち去り、放り出していた荷物を回収して、急いで家に帰ったのだった。
ハイムリック法については、作者なりに調べてはいますが、医療関係者ではありませんので、間違い等ありましたら、ご教授頂けると助かります。




