23.七年振り、です
夕食の支度を終え、リビングの掛け時計を見上げる。そろそろ大河さんが帰って来る頃かな、と思った途端、ガチャリと玄関の扉が開く音に続いて、ただいま、と言う大河さんの声が聞こえた。我ながらタイミングの良さに吃驚しながらも、大河さんを出迎えに玄関へと向かう。
「お帰りなさい、大河さん。お疲れ様です。」
「冴香、今日は悪かったな。スマホ、マジで助かった。ありがとう。」
大河さんはニコッと微笑んで、私の頭をポンポンと撫でてきた。
……ちょっと、そんな風に綺麗に微笑まないでくださいよ。もう忘れ物を届けるのはこりごりだと思っていたのに、決心が鈍るじゃないですか。ずるいです。
「そうそう、これ今日の礼な。」
大河さんが差し出して来たのは、ケーキの箱。私は目を見開いた。ケーキの箱を見つめてから、ゆっくりと大河さんを見上げる。
「……これ、私に、ですか?」
「他に誰がいるってんだよ。……あ、もしかしてケーキ嫌いか?」
しまった、と言うような顔をした大河さんに、慌ててブンブンと首を横に振る。
「いいえっ、とんでもない! 有り難く頂きますっ!」
ケーキの箱を受け取り、私はそれをじっと見つめた。
わぁ……ケーキなんて久し振りだ。堀下の家に引き取られてからは、一年に一度、クリスマスのお零れに与れれば良い方だった。父が居ればケーキに有り付けたけど、去年みたいに仕事で居なかった場合は、継母と異母姉が二人で食べてしまっていたし。それに父は、家族の誕生日なんて、一々覚えているような人じゃなかったから、私の誕生日も祝って貰った事がなかった。当然、誕生日ケーキなんて論外で。そっか、私にケーキを買って来てくれる人なんて、ええと、七年振り、かぁ……。
「どうした? 冴香?」
大河さんに声を掛けられ、私は我に返った。
「あ、いえ、何でもありません。それより夕食にしましょう。準備出来ていますから。」
感慨に浸っている場合じゃなかった。
込み上げてきた感情に蓋をしながらキッチンに戻り、ケーキの箱を冷蔵庫の中に入れる。だけど夕食の間中、大河さんの心配りが嬉しくて、気持ちはずっとふわふわしたままだった。
夕食を終え、お皿をシンクまで運んで、私は冷蔵庫からケーキの箱を取り出した。
「大河さん、有り難く頂きます。大河さんも召し上がりますか?」
「そうだな。俺も食うか。冴香、二個入っているから、好きな方取って良いぞ。」
大河さんの言葉に、私は舞い上がった。
わぁ、選べるんだ! 大河さんはどんなケーキを買って来てくれたんだろう?
折角なのでコーヒーを二人分淹れ、私はワクワクしながらケーキの箱を開けた。
「モンブランだ……!」
箱の中には苺のショートケーキとモンブランが入っていた。モンブランは私が一番好きなケーキだ。小さい時は、誕生日になるとお母さんがいつもモンブランを買って来てくれたっけ。看護師だったお母さんは、どんなに忙しくても、その日だけは必ず私と一緒にモンブランを食べる時間を作ってくれた。お母さんと一緒に食べるモンブランは、どんな時だってとても美味しかった。そっか、モンブランも七年振り……。
「おい、冴香? どうした!?」
大河さんの焦ったような声で、私は視界が歪んでいる事に気が付いた。頬を何かが伝っている感触がする。
これは……涙? え? 私泣いているの?
「すみません、すぐ止まりますから、気にしないでください。」
私は慌てて服の袖で涙を拭った。感情に蓋をするのはいつもの事で慣れているから、すぐ止まると思ったのに、何故か涙はなかなか止まらない。何度も拭いながら困り果てていると、大河さんの腕が私を引き寄せ、私は大河さんの胸に顔を埋める形になった。
「冴香、泣きたいなら泣けよ。胸くらい貸してやるから。」
大河さんの手が私の背中に添えられ、もう片方の手が優しく頭を撫でる。その静かな声が、その優しさが、胸に沁みた。そんな事言われたら、本当に涙が止まらなくなっちゃうじゃないか。
「……高そうなシャツなのに、濡れちゃいますよ。鼻水も付いちゃうかも知れないんですけど。」
「んな事一々気にすんな。こんな時にまでつべこべ言ってないで、良いから素直に泣きやがれ。」
何だそれは。泣くのに素直もへったくれもあるか。
だけど、もう、涙は堰を切ったように溢れ出てきて。
私は大河さんの腕の中で、遠慮無く声を上げて泣かせてもらった。




