16.可愛い……やっぱ可愛くないあいつ
15話~大河視点です。
仕事が終わり、敬吾を連れて家に帰る。玄関のドアを開けると、何時も真っ暗で無機質な家には、明かりが点いていた上に、揚げ物か何かの良い匂いが漂っていた。
「大河さん、お帰りなさい。」
冴香が小走りで玄関までやって来た。わざわざ出迎えなくても良いのに、と思う一方で、こういうのも悪くないな、と思わず口元が緩めてしまった自分がいる。
敬吾が自己紹介すると、冴香も挨拶を返し、そして微笑んで見せた。
……何で敬吾には微笑むんだよ。俺といる時はずっと無表情のくせに。
何故だか動けなくて固まっていると、元々形式張ったのが苦手な敬吾は、あっと言う間に冴香と名前で呼び合うようになってしまった。冴香も心なしか親し気にしている。誰とでもすぐ仲良くなれるのが敬吾の長所だが、何故か今日は不快に感じた。話している二人を遮って、リビングへと向かう。
何となくイライラするのは空腹のせいだろうか、と思ったものの、食事をしていても気は晴れなかった。だが、敬吾の質問に答えた冴香の言葉が、そんな苛立ちを吹き飛ばしてくれた。
「はい。大河さんには良くしてもらっています。一昨日と昨日で、必要な物を色々揃えてくださいました。幸い私が作る料理もお口に合ったみたいなので、私は多分大丈夫だと思っています。」
敬吾の目を見て、はっきりと言い切った冴香。そっか。こいつ、そんな風に思ってくれていたのか。何だか少し気持ちが軽くなった。
だが心が凪いだのは一瞬で、不満がどうのとか敬吾が言うもんだから、俺はまた喧嘩腰になる。
「足りない物も、不満も今は特にありませんが……。あ、でも、敬吾さんがもし良かったら、ラインの練習相手になって頂けないでしょうか? 大河さんは付き合わされたくないようですので。」
冴香の言葉に、俺は愕然とした。
ちょっと待て、俺は付き合わされたくないなんて一言も言ってねーぞ! 何でそうなってんだよ!?
「おい、俺はそんな事、一言も言ってねーだろうが。」
「あれ、お嫌だったんじゃないんですか? お願いした時、顔を顰めて嫌そうにされていたので、てっきりそうかと。」
「あれはお前がっ、……いや、何でもない。兎に角俺は、別に嫌って訳じゃねえ。そいつで練習するくらいなら、俺でしとけ。いいな!」
「……はあ。」
顔を顰めたのは、お前が友達がいないとか言っていたから、堀下家の奴らにムカついただけで、と説明しようかと思ったが、敬吾の前でそれを口にするのはどうかと思って口を噤んだ。それなのに、敬吾が勝手に冴香のスマホを取り上げて登録を済ませてしまい、俺は更に苛立ちを覚える。
確かに、何かあった時の為に、敬吾に連絡出来るようにしておくのは良い事の筈だ、と自分に言い聞かせるものの、冴香が何となく嬉しそうに見えるのが、どうにも気に食わない。
「敬吾に用なんか何もねえだろ。お前も飯食ったらとっとと帰れよな。」
八つ当たりだと分かっていながらも口にすると、冴香が敬吾に色々と訊きたい事があると言い出した。その内容に俺はギョッとする。こいつ、敬吾から俺の弱みを聞き出すつもりかよ!
慌てて敬吾に口止めするが、効果の程は期待出来ない。敬吾と口喧嘩する中で、ふと視界に入った冴香は、涼しい顔で食事を続けていた。くっそ、本当にこいつ可愛くねえ!
「しっかし、あの子面白いな、大河。」
食事が終わり、冴香が後片付けをしてくれている中、ソファーで寛いでいる俺に敬吾が笑いながら言った。
「顔立ちは一見普通で、表情は乏しいけど、ちょっと笑うだけで一気に可愛くなるし。礼儀正しくて控えめで、料理も上手い典型的なお嬢様かと思えば、多少の事には動じずに、しれっとお前の弱点訊いてくる気の強い面もあるし。お前も実は満更でもないみたいだし、ちょっと安心したわ。」
敬吾の言葉に、俺は目を見開いた。
「な!? 俺の何処が満更でもないってんだよ!」
「あ? わざわざ冴香ちゃんが出迎えてくれたの密かに喜んでいたり、俺と冴香ちゃんが仲良くしていたら不機嫌になったり、ラインの練習相手だって譲る気ないって公言しておいて何を言う。」
「そんなんじゃねえ! 帰って来たら良い匂いがしていたってだけだし、お前らが結託して何か変な事を祖父さんや親父に吹き込むかも知れねーだろうが! 妙な勘繰りすんじゃねーよ!」
「そうか? まあそう言う事にしておいてやるか。じゃ、用も済んだし、俺帰るわ。」
「ああ帰れ帰れ!」
敬吾が帰って台風一過。ああ、何だかどっと疲れた。
「敬吾さんて良い方ですね。お話しやすくて楽しかったです。あんな方が幼馴染だなんて、大河さんが羨ましいです。」
玄関先で敬吾を見送り、振り返った冴香の楽しそうな口調に、俺は無性に腹が立った。
こいつ、敬吾の事が気に入ったんだろうか。お前の婚約者はこの俺だろうが!
「言っておくが、あいつには長年付き合っている彼女がいるぞ。」
何だかみっともないな俺、と思いながらも、そう言わずにはいられなかった。そう、後々こいつがその事を知って、変に傷付いたりしない為だ。妙な期待は持たせない方が良い。
「そうでしょうね。いない方が不思議です。敬吾さんモテそうですし。」
顔色一つ変えず、平然と返す冴香に、俺は拍子抜けした。
「……お前、敬吾に気があるんじゃないのか?」
気付けば心の声がそのまま口に出ていた。冴香は不思議そうに俺を見上げる。
「いいえ? 仲良くして頂けるなら嬉しいなとは思いますが、気がある、と言うのは違います。」
「でも、連絡先登録されて嬉しそうにしていたし、それにあいつには笑いかけていたじゃねえか。」
俺がそう口にしたら、冴香の表情が急に明るくなった。
「私、ちゃんと笑えてました?」
「え? 何の事だよ?」
「大河さんに指摘されてから、表情筋を動かす練習をしていたんです。まだぎこちなくて、精々口元を動かせるようになったくらいですけど。そっか、ちゃんと笑えていたんですね。良かったぁ。」
ほっとしたようにまた微笑んだ冴香。思わずその表情に見惚れた。
……可愛い。
「ああ、連絡先の件は素直に嬉しかったですよ? 色々お話が出来る人なんて、大河さんに次いで二人目ですから。」
冴香の言葉に、俺は我に返る。
そっか。こいつは話せる人が増えたから嬉しかったのか。今まで友達もいなかったんだもんな。
そうと分かると、自然に顔が綻んでいくのが分かった。
「いつもそうやって笑っていろよ。そうしていると、結構可愛く見えるぞ?」
折角言ってやったのに、冴香は少しの間固まった後、胡散臭げな視線を寄越してきやがった。
「大河さんの可愛いと言う言葉は信用出来ません。笑顔で仰った場合は尚更です。」
「何だと?」
「だって前科がありますから。人の事可愛くないと散々言っておいて、今更そんな歯の浮くような台詞を信じろと? あ、さては敬吾さんに弱点を訊かれたくないんですね? では早速ラインを入れておきます。」
「てんめえぇぇ! やっぱマジで可愛くねえぇ!」




