飲み会の景品と冴香と俺
大河視点です。
「大河さん、そのお荷物は何ですか?」
会社の飲み会の帰りに、プレゼントした新車の軽乗用車で迎えに来てくれた冴香に尋ねられ、俺は思わず固まった。
「ビ、ビンゴゲームで当たった景品だけど……。」
「そうなんですか。流石ですね。」
ふわりと笑顔を見せる冴香に、引き攣った笑みを見せながら、通勤鞄と景品が入った紙袋を、後部座席に置いて助手席に乗り込む。俺がシートベルトを締めるのを待って、冴香はハンドルを握って運転を始めた。
もっと座席が広くて乗り心地の良い車にしたかったな、と思うものの、新車の高級車を主張する俺と、頑として中古の軽乗用車を主張する冴香との交渉の結果がこれなのだから仕方がない。それでも最初の頃はガチガチに緊張していたが、今は運転にも多少慣れたようなので良しとしよう。
そんな事よりも今は、あの荷物をどうするか、だ。考えるだけで、額から冷や汗が滲み出てくる。
くそ、谷岡の奴、余計な事してくれやがって。
家に着いた俺は、意を決して冴香に紙袋を手渡した。
「冴香、これ……良かったら、やる。」
「私にですか? ありがとうございます。」
多少不思議そうな顔をしながらも、口角を上げて紙袋を受け取り、中を確認していく冴香。景品を紙袋から出し、包装紙を開ける様子を、俺は緊張しながら見守っていた。
「……何ですか、これ。」
景品が出てきた所で手を止めた冴香に、案の定冷たい視線を向けられてしまった。リビングのテーブルの上に冴香が黙々と並べていくのは、黒い猫耳が付いたカチューシャ、黒のノースリーブのタートルネック、黒猫の尻尾付きミニスカート、肉球の付いた黒のグローブとルームシューズ。
そう、黒猫コスプレ用グッズである。
「ね、念の為にもう一度言っておくが、これは本当に今日の飲み会のビンゴゲームの景品だ。決して俺の趣味や嗜好が反映されている訳ではない。」
「そうですか。非常に疑わしいですが、大河さんの意思が反映されていない物なのであれば、不要物として処分してしまっても構いませんね。」
「なっ……!」
思わず声を上げてしまった俺を、冴香は容赦なく睨み付けた。
「何ですか、その不満げな声は!」
「え、いや、だって、折角なんだから、一回くらい着て見せて欲しいって言うか……。」
「嫌ですよ! 何でこんな物着なくちゃいけないんですか! 恥ずかしい以外の何ものでもありません! 大河さんの変態!」
「へ、変態って言うな!」
案の定怒ってしまった冴香は、自分の部屋に入り、勢い良くドアを閉めて鍵を掛けてしまった。一人リビングに残された俺は、盛大に溜息をつく。
やっぱ、こうなるよな……。冴香がもしこれを着てくれたら、絶対可愛いって分かっているんだけどな……。
暗澹とした気分で風呂に入った俺は、リビングに戻ってソファーに腰を下ろす。
どうやって冴香に機嫌を直してもらおうか、と頭を抱えていたが、昨夜良く眠れなかった事もあってか、何時の間にか寝入ってしまったようだった。
「……さん……大河さん、起きてください。風邪引きますよ。」
「……ん……。」
冴香の声に、ゆっくりと瞼を開ける。ぼんやりと冴香を認識した次の瞬間、俺は完全に眠気が吹っ飛び、大きく目を見開いていた。
「目、覚めましたか……?」
恥ずかしそうに顔を赤らめ、上目遣いで俺を見上げる冴香の頭には大きな猫耳。黒のノースリーブに尻尾付きのミニスカートを身に着け、手と足には肉球付きのグローブとルームシューズが嵌められている。
や、やっぱり滅茶苦茶可愛い!!
何も言う事が出来ずに見惚れていると、無言に耐えかねたのか、やがて冴香が口を開いた。
「き、気は進みませんでしたけど、あまりにも大河さんが着て欲しそうだったから、着てみました。……どうですか……にゃ?」
もじもじしながら恥ずかしそうに尋ねてくる冴香に、完全に理性が吹っ飛んだ。
「すげー可愛い……可愛過ぎる。」
辛うじてそれだけ口にし、冴香をきつく抱き締めて唇を奪う。
あんなに嫌がっていたのに、俺の為に着てくれた、と思うと、感激もひとしおだ。冴香が愛おしくて仕方がない。
舌を口内に侵入させ、暫くの間夢中になって貪った。キスしたまま冴香を抱き上げてソファーに押し倒し、服の上から胸を触り、今度は首筋に吸い付き……。
「な、何するんですかぁっ!?」
耳元で響いた悲鳴に近い冴香の叫び声に、我に返って慌てて身を起こすと、冴香は素早く俺の身体の下から抜け出し、涙目で着ていたパジャマの胸元を両手で握り締めた。
「え? あれ? パジャマ? お前、黒猫の衣装はどうしたんだ?」
訳が分からないまま尋ねると、冴香は一瞬目を見開いた後、ギロリと俺を睨み付けた。
「黒猫の衣装? 何ですかそれは。」
「何って、俺が飲み会の景品で貰ってきたやつ……。」
「知りませんよそんなの! 夢でも見ていたんじゃないですか? 私はお風呂から上がったら、大河さんがソファーでうたた寝していたから声を掛けただけですよ。どんな夢を見ていたのか知りませんけれど、寝惚けて襲うなんて酷いです!」
そう言うが早いか、冴香は身を翻して自分の部屋に駆け込み、バタン! とドアを閉めてしまった。
「あ、言っておきますけど大河さん。」
寝起きの頭でまだ混乱していると、ドアから冴香が顔だけを覗かせた。
「今日はまだ木曜日で、仰っていた金曜日の飲み会とやらは明日ですからね。分かったらさっさとご自分の部屋に戻って寝てください。明日起きられなくても知りませんよ!」
再び音を立ててドアが閉められ、今度は鍵も掛けられてしまった。
え? 今のは夢……? 一体何処からが夢だったんだ!?
動揺しつつ、スマホで今日の日付を確認した俺は、一気に青褪める。
「冴香、俺が悪かった! 頼むから機嫌を直してくれよ!」
「知りません! 私はもう寝ますから、言い訳なら明日にしてください!」
ドア越しに何を言っても、聞く耳を持たずにすっかり臍を曲げてしまった冴香。これ以上は何を言っても無駄だと悟った俺は、肩を落としてすごすごと自分の部屋に戻った。
当然の事ながら、碌に眠れずに朝を迎える羽目になった。
翌朝一番に冴香に謝ると、一晩寝て頭も冷めたのか、頬を膨らませながらも許してもらえて、心の底から安堵した。どんな夢を見ていたのか、と訊かれ、正直に『冴香が俺の為に嫌々ながらも黒猫のコスプレをしてくれた夢』と答えると、白い目で見られてしまったが。
そして、その晩の飲み会。ビンゴゲームで三位になった俺は、景品を手に硬直していた。
「黒猫の衣装は大河かぁ。ねえ、それ冴香ちゃんに着てもらってよ! フリーサイズだから小柄な冴香ちゃんでも大丈夫だし、きっと似合うからさ~! 絶対に写メ撮って送ってね!!」
「谷岡……お前、何でこんな物を景品にしたんだよ……。」
俺の気も知らずに、満面の笑顔で頼んでくる、幹事の谷岡。もう一人の幹事である敬吾は、俺が昼休みに昨夜の出来事を愚痴ったせいか、声を出さずに抱腹絶倒するという、器用な芸を披露している。
ああ、お前に言われなくても分かっているさ。これを着た冴香は超絶可愛い!! 何てったって、やけにリアルな夢で見たからな!!
だけど、そのせいで昨夜は冴香の機嫌を損ね、今朝何とか許してもらったばかりなんだ。それなのに、その日の夜に黒猫の衣装なんか持って帰ったら、冴香は怒るに決まっている!
だらだらと冷や汗をかきながら、俺は真剣に葛藤する。
もしかしたら夢みたいに、気が向いて着てくれないかな? いやでも絶対に怒る方が先だろう。下手をすれば今度こそ完全に変態扱いされちまうんじゃねーか? だけど一回で良いから着てみて欲しい……。でも昨日の今日でどうやったら着てもらえるんだよ? きっと見た瞬間に怒るに決まって……。
頭の中を似たような考えばかりが、エンドレスでぐるぐると巡っている。
ちょっと悪いが、誰か教えてくれないか? 一体俺はどうすれば良い?
そして冒頭に戻る。




