泉 二つの死
……お願い、もう少しだからなんとか耐えてください――――
仮に瀞井があたしの両親を殺していたとしたとしても、あたしは彼に死んで欲しいとは思わない。
憎悪の感情から解放された今だから、そう思える。
その願いが全くの無意味だとしても。
だってこの魔法は例えるなら太陽の上に立たせるようなものだ。
どんな魔法使いだって、この環境においては赤ちゃん同様、無力にならざるを得ない。
彼が現在、辛うじて命を繋ぎとめているのは、彼の能力じゃなく、ダダダヂダ先生の……
そうだ。先生のよだれが完全に蒸発したら、きっと彼は周辺の樹木と同じように塵と化して消滅する。
その前に、どうか―――――
『与えようとする者。それは人間を恨み、憎み、人類に殺意を持った存在として信頼され初めて、その黒い手を差し伸べてくれるんダ』
脳内に直接響くダダダヂダ先生の声。
『せいぜい上の大陸の上位級に気に入られれば御の字、そう思っていたがネ。景子の先見性は恐ろしいヨ。まさかこんな小娘が魔物の頂点に君臨する魔王族の……しかも兄の方に信頼されるとは』
なに……なにを言っているの?
『お前の体内に埋め込んだ【幻想石】は人工的に物質化したファンタジーホールのようなものなんだ。人間の感情を喰い、そのエネルギーを餌に魔物を釣り上げる。それが美味な感情であればあるほど上級の魔物が引っかかる。複雑な手続きを踏んだ甲斐は充分にあったネ、お前の感情には三つ星が与えられたんダ』
「どうしてそんなことを……あたし、そんな石を埋めこまれなくても魔法を使えていたのに」
『ああ、さっきのかい? あれはお前の怒りがそのまま魔力に変換されただけサ』
「……怒りが魔法に変換?」
『【負の開発】。普通の人間が魔力を使うための裏社会で生み出された方法だヨ。元々、お前のタガはゆるかったようだが、私の開発のお陰でお前は感情のエネルギーを常時100%魔力化できるようになった。といっても制御ができないから実戦には向かないがネ』
「でも……この手だってあたしの意志じゃ動かない」
『いや……釣りあげた相手のレベルが低ければうまく手なずけられたんダ。必要な時にだけ魔物の力を借りることが。だから私もその力を与えたんだが……まあ運がいいのか悪いのか、釣り上がった魚がでかすぎたネ』
「ゴポゴポゴポゴポゴポ」
――――やがて赤い手の魔法は収束していき、伸びていた腕も腹部に呑みこまれるように消えていった。謎の男の声もダダダヂダ先生の声も、もう聞こえない。
半径数十メートルの焼け野原に、ポツポツと雨が降りはじめる。
すぐに大雨になり、全身があっという間にびしょぬれになった。
――――森が泣いているんだ。
あたしは膝を折り、地面に転がっている黒い大きな塊を抱き上げた。
塊の内側から焦げた紐のように垂れ下がっているのはきっと彼の背骨なのだろう。
四肢が失われ、内臓も焼け焦げ、上半身だけになった瀞井を、あたしは赤ん坊のように抱いた。
――――ごめんね。
――――ごめんね。
心が締め付けられるように軋んだが、体内の幻想石がその感情を瞬時に奪い取っていく。
水に濡れ、瀞井の焦げた皮膚が擦り剥けてずるずると剥がれ落ちていくのに、あたしは何も感じない感じられない。
「ア―、」
あたしは叫んだ。
「アー、ウアー、ウア―ン」
声が枯れるほど、肺が破裂するほど、脳がぐちゃぐちゃになるぐらい狂ったように叫んだ。叫ぼうとした。
「ア――――――」
でもあたしの口から出てくるのは、まるで機械のように無機質な母音の連続だけだった。




