泉 あたしを救いあげる悪魔
透花さんのパーティーと別れた後、あたしは適当な枝を杖替わりにして、校舎へと向かった。
(いけない、意識が朦朧としてる。早くしないと……)
雨が激しさを増している。森に点在している電灯の光を頼りにして帰るつもりだったのに、まるでどこも初めて来る場所のように思える。
身体は冷え切り、感覚がほぼ消失している。まるで巨大な痛みが杖を突いて歩いているみたいだ。
「……あたしは一体、何をやってるんだろう」
周囲に誰もいないから、つい弱音を吐いてしまう。すると押し込めていた悲しみが一気に込み上げてきた。
「もういやッ……」
その時、樹木の根に足を取られた。受け身を取る余力もなく、崩れ落ちるように倒れる。
ズザザッ。
「……無為、どうして助けに来てくれないの」
いつもなら、すぐにあたしの手を取ってくれるはずの弟が、来ない。
『本当は、アメリカなんか行きたくない。お姉ちゃんと一緒にトマギガで勉強したい』――別れる前夜の、弟の言葉を思い出す。
嘘付き。だったら行かなくて良かったじゃない。何で羅野井景子さんに付いていってしまったの。あたし、今こんなに苦しんでるのに……
「何でよ……」
やるせない思いに胸がはちきれそうになる。
こんなことになった原因――それは分かり切っている。
あたしは、あたしの運命を180度変えてしまった原因である、二人のことを思った。
一人は、景子様。
魔力を溜めることができないMPゼロの魔法使い。そんなあたしが一流の魔法使いになるために、最後にくれた指示。
「半年後、グレイと魔法で戦って勝てなかったら魔法使いをあきらめること」
そして、それに付け加えて、景子様はこう言った。
「そのために、ある人に弟子入りすること。その人の名前は――」
――ザッ、ザッ。
立ち上がらないでその場にじっとしていると、魔力の気配がした。
雨のせいで分かりにくいが、おそらく前方からだ。
あたしはうつ伏せに倒れた今の状態のまま、顎を挙げた。
前を見ると、ゆっくりと近づいてくる巨大な黒い影。
音がしないのは、宙に浮いた状態で移動しているからだ。
そして、特徴的な鳥カゴ型スカートのシルエット。
(……あれは、)
あんな恰好をしている人間は学校内に、いや国内を探しても一人しかいない。
景子様が弟子入りを薦めた、あたしの“師匠”――――
「ドゥドゥーン、土々呂夢似、アウト―♪」
ボロボロのあたしを前に、それが愉快でたまらないというように彼女は笑っていた。
――――トマギガ外国人教師、ダダダヂダ・ガノー・トランペッド。
「うふふふ♪ 罰ゲームはネェ……じゃあ泥で全身をガチガチに固めて、ウンコちゃんゲームぅ♪」
ダダダヂダ先生はでっぷりと太った身体から短い腕を伸ばした。するとあたしの身体が宙に浮き上がり、泥の塊がいくつもあたしに飛んでくる。
あっという間に、指一本動かせない状態になり、あたしの姿はまるでミノムシのようだった。
「あらアナタ。前より美人よ~♪ 大きな方のレバーで流しちゃいたいぐらいダワ~♪」
ダダダヂダ先生の先生が、あたしの真正面に来た。化粧を厚く塗ったニキビだらけの肌、口から吐いた息は異臭がする。
「おいコラ」と突然、トーンが低い男性のような声に一変した。「褒められたらありがとうございますだろーガッ!!」
そう言って先生は唯一露出していたあたしの顔面に泥をぶつけた。それでも飽き足らず、強い力でグリグリと塗りたくる。抵抗する術がない。目と口を強く閉じて、耐えるしかなかった。
しかしその直後、頬に固い金属を押しつけられた。
その感触からナイフだと気付く。
「魔法使いがこーんな刃物使ってどーすんだボケ。修行の意味がね・え・だ・ろ・う・がっ!! んなことするぐらいなら、さっさと噛み殺されちまえってんだクソがっ!!」
その時、ドスッと音がした。泥の中に衝撃が伝わったかと思うと、横腹にチクリと針を刺したような痛みを感じる。
信じられないことだけど、ダダダヂダ先生が、あたしの腹部をナイフで刺したのだった。泥の厚さが幸いして、刃の先っぽが皮膚に触れる程度だったけれど、刺した時の力は本気だった。
「次、こんなもん使ったらブッ殺すからな!!」
脅迫めいた先生の声が、泥で栓をされた耳に不思議な響き方をした。かと思うと突然、先生の声が遠くなって、同時に視界が明るくなって――
(あっ……)




