the principal's office 分岐点
翌日、弟は“推薦書”とは別の用紙を記入して、あたしと校長室を訪れた。
テーブルを囲む黒革のソファに並んで座るあたしたちに対して、阿ノ田中校長は斜め向かいの一人掛けのソファに座った。
「おやおや【休学届】とは……受け取るのは初めてではないでしょうか。しかも入学して二日目に」
校長先生が金色の眼鏡を外して言った。
「校長先生、すみません」
「謝る必要はありませんよ。羅野井から話は聞いています。土々呂無為くん、あなたが羅野井の言う【宇宙人】だと。でなければ、私たちもあれだけの“ホール”を作りませんよ」
校長は柔らかく笑った。
トーカさんが教えてくれた通りだった。昨日の突然の戦闘は、学校が意図的にやったことだったんだ。
改めて分かって、複雑な気分になる。
「あの、昨日の一連の出来事は結局どういうことだったのでしょうか」
弟が尋ねると、校長は「さあ?」とでも言うように両手を上げた。
「“土々呂無為の力が本当かどうか確かめる目的”で羅野井が画策したことです。予定にない魔物召喚、ファンタジーホールの限界拡大、犠牲者が出ないように結界を張ったこと、これらが全て羅野井の指示です。その指示に学校は従ったまで」
「どうして羅野井さんは僕のことを……」
「昨日の入学式で羅野井を襲撃した男子生徒の魔法に、“二人分の魔力”がありました。誰かによって魔力を高められていたということです。襲撃後の男子生徒は疲労が大きく“本来の実力以上の魔力を使った”時の症状でした。そして、あなたは彼と会話をしていたと言っていた。だからです」
「……サポート強化された魔法かどうかってバレちゃうんですね」
「土々呂無為さん、私からも質問ですが、なぜあのようなことをしたのですか?」
あたしは無為の顔を見た。無為はあたしの方を見ずに、校長を見て言った。
「……咄嗟の判断です。入学式に突然、羅野井さんが現れて、パニックになりました。僕の姉は、過去の事故のせいで魔力を蓄積することができません。そんな姉をサポートするために、僕は普段、自分の魔力の70%ぐらいを姉に注いでいます。今まで誰にもバレたことはありませんが、羅野井さんには気付かれる可能性がありました。姉が羅野井さんを尊敬していて、その凄さはよく聞かされていたので……もし秘密がバレれば、姉はこの学校にいられなくなるかもしれない。だから羅野井さんの意識を他に向けたかった。偶然、隣の同級生が羅野井さんに恨みのある人間だったので、彼に“チャンスは今しかない”というような話をしました。」
「……細かい話はさておいて、あの羅野井に魔法を放つとは、なかなか軽率な行動でしたね。相手は世界一と言われる魔法使いですよ。殺されるとは思いませんでしたか?」
「そんなことをする人じゃないと分かっていたので」
「なるほど……」
阿ノ田中校長は食器棚を指差し、魔法の力でティーカップを三つ取り出す。ティーカップがガラスのテーブルに着地すると、今度はポットが宙を移動し、カップにお湯を注いだ。
「“休学届”は受け取りました。後は土々呂夢似さん」
「は、はいっ」
阿ノ田中校長は、角砂糖を四つ入れた紅茶を静かにすすってから言った。
「あなたはまだこの学校を続けるつもりですか?」
「……はい、できれば」
おずおずと答えると、阿ノ田中校長は「甘くない」とつぶやいて、更に角砂糖を二つ追加した。
「羅野井が言っていましたよ。事故にさえ遭わなければ、あなたも【宇宙人】だったと。ですが、そんなものは何の慰めにもなりません。あなたが失ったものは、魚のヒレであり、ライオンの牙であり、鳥の翼です。ヴァン・ゴッホは耳を切り落としましたが、筆を持つ手は失いませんでした。そしてここは弱き者に優しい安全基地ではなく、日々厳しい競争に晒されている弱肉強食の世界です。それを知ってもなお、ここに留まる覚悟がありますか?」
あたしは唾を飲み込んで言った。
「はい、大丈夫です」
「魔法が使えないからといって、あなたを優遇したりはしませんよ。他の生徒と同じように実践授業があり、個人戦も受けてもらいます。もちろん、合格できなければ進級できません。それでもよろしいですか?」
「はい、頑張ります」
自信いっぱいに、少なくともそう見えるようにあたしが微笑むと、阿ノ田中校長はやれやれという風に首を振り、背もたれに身体を埋めた。
「……実戦練習は明日からはじまります。誰かが魔力を貸してくれるなんて期待しないように。例え優しい者がいたとしても、あなたの弟さんよりもはるかに少ない量でしょうし、それも使い過ぎればすぐに戦闘不能になります」
「あの、」その時、弟が口を挟んだ。「何かいい方法はないのでしょうか?」
「残念ながら、ありません。本校の教育方針は天才教育ではなく実戦教育。本校の最大の特徴は、校内が“ファンタジーホール”の最多発地帯に建てられているということ。24時間、魔物が現れる環境の中で魔法使いとしての修業ができる。これが本校の特徴であり、逆に言えば、毎日魔物と戦えないのなら、ここにいるメリットもないのです」
校長先生はあたしに辞めて欲しいんだろうな、話を聞きながらそう思う。
無為もまたそのことに気付いているのだろう。膝の上でこぶしを強く握っている。
でも校長の言うことは間違っていない。
「……フーッ」
三人、同時にため息を吐いた。
その溜め息に、校長は言葉をつなげた。
「まあ、とにかく、羅野井に聞いてごらんなさい。彼女はあなたに興味を持っている。確信は持てませんが、あなたが魔法使いとして生きていける方法を何か知っているかもしれません」




