26
「やはり無駄でござったか」
音も無く納刀した蒼雲が、残念そうに呟く。もとより妖刀“大天狗鬼一”は、妖怪以外には効果の無い刀である。切れ味でそこらの日本刀に引けを取るわけではないが、やはりアメーバはすぐに元に戻り、まるで効果が無かった。
「次! じゃんじゃん行け!」
続いて桜花、美波がそれぞれの能力でアメーバに一撃を加えたが、やはりすぐに回復してしまった。桜花は超振動させた右腕でアメーバの体組織を分子崩壊させ、美波は亜空間を開いて別の次元に削り取るという荒業まで駆使したのに、だ。
「いったいどういうことだ? 誰も該当しないだと?」
ひと通り全員が攻撃しても、アメーバにダメージを与えることはできなかった。ということは、この中にはこいつを倒せる奴がいないということになる。果たしてそんなことが本当にあるのだろうか。
専門家に助言を請いたいところだが、こういうときに限って、スズキがまだ目を覚まさない。桜花に言わせれば単に気を失っているだけらしいが、頭蓋骨陥没で即死してもおかしくない一撃を食らったのをこの目で見ているだけに、本当に起きるのかどうか、起きてもまともなのか不安になる。
スズキが起きるより先に、巨大アメーバに変化が起こった。ゲル状だった体の表面が、見る見る乾燥して白く固まっていき、やがて完全に白い塊になった。
「何だこりゃ……?」
用心しながら虎徹が指でひっかくと、チョークのように脆く削り取れた。指をこすり合わせると欠片はさらに崩れ、砂よりも細かくなって風に飛ばされていく。
「自滅? 勝手に死んだのかしら?」
石灰岩の塊と見間違えそうな元巨大アメーバを前に、楓もコンバットブーツの爪先で軽く蹴りを入れてみる。ほんのわずかな力だったが、いとも簡単に崩れた。
「桜花、何か分かる?」
崩れた破片を靴底で踏みにじりながら、楓は桜花に再スキャンを頼む。
「了解シマシタ」
桜花の両目から再び謎の光線が放たれ、固形化したアメーバの表面をスキャンしていく。
「ム……?」
「どうした?」
「コレハ――」
桜花が言い終わる前に、またもや巨大アメーバの表面に異変が起こった。
卵の殻が剥けるように、固まった巨大アメーバの外皮が勝手に崩れ落ちていく。
中から現れたのは、誰もが――虎徹ですら恐怖する悪魔の如き醜い姿だった。
「き……」
楓が悲鳴をあげようとするが、あまりのおぞましさに声にならない。火竜にすら怯え一つ見せない彼女の、この怖がりようはどうしたことか。
楓だけではない。蒼雲や美波、桜花も数歩下がっている。結果的に一番近くにいるのが虎徹になってしまっているが、彼だって本音を言えば今すぐ飛び退いてしまいたい。
何故なら、出てきたのは、体長二十メートルを超える巨大ゴキブリだったからだ。
「ぃいやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
とうとう耐え切れず、楓が女の子らしい悲鳴を上げる。事実女の子なのだが、これまでの勇ましい姿からはとても想像できない、絹を切り裂くような乙女の叫びであった。
「はははは早く、早く何とかしてしてしてして!」
「押すな押すな! って言うか落ち着け!」
錯乱状態の楓に背中をぐいぐい押される虎徹。しかし二百キロあるアペイロンと楓では体重差があり過ぎてぴくりとも動かない。それでも楓は必死になって虎徹を押す。
「いいから! 早くやっつけるなりどこかへやるなり何とかして! あんた男でしょ!」
「都合のいいときだけ男を頼るな! お前こそ魔法で何とかしろよ!」
「嫌よ! あんなのに攻撃してもし潰れたら、こっちに汁が飛んで来るかもしれないじゃない!」
「俺だって嫌だよ! それにこっちは素手なんだぞ! あんなデカいゴキブリ素手で叩くなんて、頼まれたってやなこった!」
普通のサイズならまだしも、体育館よりも大きいゴキブリの処理なんて、これはもう専門業者か自衛隊を呼ぶしかない。
二人が言い争っていると、巨大ゴキブリの触覚がこちらを向き、あわや当たりそうになる。
「ひぃ……っ!」
恐怖に錯乱した楓が、火炎放射器を向けるが、
「おいやめろ! 火はヤバい、火はやめとけ!」
慌てて虎徹が放射器を取り上げ、焼いたゴキブリの煙を吸い込む羽目になる事態は免れた。
だがそこで諦める楓ではない。すかさずいつものMー16っぽい魔法のステッキをどこからか取り出し、条件反射の域にまで達した流れるような動きで、セフティを外して構える。
「ば……」
馬鹿野郎、そう虎徹が叫ぶ前に、楓の構えた魔法のステッキから、三発ずつリズムを刻んで弾丸が発射される。
高速回転しながら飛ぶ弾丸は、残念ながら巨大ゴキブリの分厚い甲殻には通じなかった。ただでさえ表面が油ぎっていて摩擦係数が少なそうなのに、あの車格の低いデザインである。まるで最新鋭戦車の装甲のように、楓の撃った弾丸をすべて弾き返した。
しかもタチの悪いことに、楓の攻撃が巨大ゴキブリの興味を引いたようで、触覚で探りながらこちらに向かって前進してきた。
「いやあっ! こっち、こっちに来た……!」
「退却っ! たいきゃーく!」
いくらこれまで数々の修羅場をくぐった彼らでも、遺伝子レベルで刻み込まれた生理的嫌悪感には勝てなかった。いや、本来の大きさならいくらでも勝てただろうが、さすがにこれだけの大きさとなるとどうしようもない。
虎徹の退却命令とともに、全員で一旦校舎の中へと逃げ込む。巨大ゴキブリはその図体ゆえ、玄関や窓から入れないが、校舎にしがみつきながら触覚を窓から中に突っ込んで様子を探ってくる。傍から見たら校舎がジオラマのようで、何とも異様な光景だ。
一方、虎徹たちは、一度自分たちの教室に戻っていた。
女子たちは巨大ゴキブリの触覚が入って来ないように、手分けして窓にしっかり鍵をかけてカーテンも閉じる。虎徹はスズキをそっと床に寝かせると、一度変身を解いた。
「なんだありゃ……、いったいどうなってんだ?」
声に出してみるが、誰もその答えを知る者はいない。それ以前に女子たちは、巨大ゴキブリの見た目があまりにもショッキング過ぎて、未だ平常心を取り戻せないでいた。
「おい、お前らいつまで怖がってんだよ」
女子――楓や美波はまあいいだろう。見た目も中身も紛う方なき女子だ。人間だし。
それ以外――蒼雲もまあ、見た目は精悍な女子だ。むしろ美少女と言っても良い。妖怪だが。
ロボの桜花は論外として、さて――
「っつかさ、何でお前まで怖がってんだ……?」
女子どころかこの世界の人間にも当てはまらない魔王までもが、彼女らと一緒になって青い顔をして震えているのはどういうことだろう。少なくとも、虎徹は知らない。
「う、うるさいわね……、って言うか何よあの気色悪い生き物? あんなの、異世界にも居ないわよ。何この世界、怖い……」
どうやらゴキブリが見る者に生理的嫌悪感を与えるのは、次元や世界を超えて共通らしい。
「やれやれ……、面倒な話になってきやがったぜ」
これまで火竜や海坊主が相手だろうと、果敢に立ち向かってきた戦友たちが、少々大きさが異常だとは言え、たかがゴキブリ相手に完全に戦意を喪失している。女ってのはつくづく面倒くさいものだと、虎徹は頭をボリボリかきむしる。
「ん……う~ん……」
ここに来て、ようやくスズキが目を覚ました。とりあえず、無事に意識が戻って良かったと、一同胸を撫で下ろす。
「ここはどこだ? 俺はいったいどうして気を失ったんだ?」
まだ痛むのか、くっきりとピンヒールの跡が残る頭を押さえながら、スズキが状況の説明を求めてくる。
「ここは教室で、あんたはあのおば……じゃない、魔王に蹴っ飛ばされて気絶してたんだよ」
虎徹が顎で魔王を指すと、スズキは「ああっ!」と大声を上げ、彼らしくない動揺を見せた。
一方、魔王は「はぁい」とスズキに向けて軽くウィンクを投げてよこす。
「やっぱりあんたたち知り合いだったか」
虎徹の指摘に、一同の視線がスズキに集まる。スズキはしばらく『余計なこと言いやがって』みたいな顔で虎徹を睨みつけていたが、やがてこれ以上はぐらかし続けるのは無理だと観念したのか「ああ、そうだよ……」と認めた。
明日も更新します。




