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まだ呆然としている楓に、身長二メートルを超える全身鎧の騎士が、丸太のような腕を曲げて親指をびしっと自分に向けて指す。
「そういや自己紹介がまだだったな。俺の名は武藤虎徹。そしてまたの名をアペイロン。分類は、変身ヒーローだ」
虎の顔を模した仮面の口が、先ほどと同じく不敵に笑った。と同時に、呆然とした形で固まっていた楓の口から上ずった声が上がる。
「あ――」
危ない、そう楓が叫ぶ前に、虎徹は彼女の表情から察し、背後を振り返ることなく確認する。アペイロンとなった彼は、全身の細胞に同化したナノマシンの作用によって、全方位の視覚情報が得られるのだ。
上空を視る。そこには、空気をたんまり吸い込んで、喉袋をぱんぱんに張らせた竜の姿があった。アペイロンの強化された視力だと、竜の鼻の穴から炎が漏れるのがはっきりと見えた。考えるまでもなく、これは炎息を吐く予備動作。
「きゃっ……!」
虎徹は咄嗟に楓に抱きつき、己が背中で竜の炎から彼女をかばう。竜の吐く炎は、鉄さえも容易く溶かすという。いくら魔法少女でも、魔法の加護なしに炎の直撃を受ければ、普通の人間と同様一瞬で骨も残らず灰になるだろう。
だが虎徹は瞬時にそう判断し、彼女を守ろうとしたわけではない。ただ彼にとって、危機から誰かを守るのは当然の行動なのだ。何故なら、それがヒーローというものだからだ。
だが常識を超える高温を前に、虎徹――アペイロンは大丈夫なのか。
心配無用。アペイロンの装甲であるネオ・オリハルコンは、無敵の強度と無限の再生能力を誇る。試した事はないが、太陽に飛び込んでも無事生還できるはずだ。まあ仮に竜の炎で溶けても、溶けるはじから再生するので何も問題ない。たぶん。
虎徹が分厚い背中を向けると同時に、限界まで吸気した竜が、溜めに溜めた怒りを炎に込めて一気に吐き出した。
怒涛のような凄まじい炎が二人を襲う。虎徹が迫り来る膨大な熱量を背中に感じ、無意識に僧帽筋と後背筋を緊張させたその時、
二人の直前で、まるで見えない壁に遮られたように、炎がせき止められた。
「なに……!」
竜は炎を吐き続けるが、やはり二人には届かない。それどころか熱すら感じられない。
これはもしや、楓の魔法障壁――かと思いきや、彼女も虎徹と同じように、自分たちを避けて通り過ぎていく炎をぽかんと眺めている。
楓じゃない。ではこれは誰の仕業か。
「あいつか?」
見れば、虎徹と楓から少し離れたところで、ショートカットの小柄な少女が両手を開いてこちらに突き出していた。あたかも、彼女が見えない壁を創り出して、二人を炎から守っているかのようなポーズだ。
長い炎息が終わると同時に、少女も腕を下ろす。短い前髪から覗く額にほんのりかいた汗を、方舟学園の制服の袖で拭った。
虎徹の太い腕の間から、楓が顔を覗かせる。
「あの子はたしか……南海乃美波」
「知り合いか?」
「ンなわけないでしょ。分類が違うわよ」
髪の短い少女――南海乃美波は、無言のまま二人に向けて右手の親指を立てた。恐らく彼女が炎から守ってくれたのだろうが、まったく表情がないので確証はない。少年じみた体型や髪の長さ、感情の起伏の無さまで、何もかも楓とは対称的だった。
「分類?」
「彼女は超越者。いわゆる超能力者よ」
「なるほど……ジャンル的にはライバルだな」
「大きなお世話よ! それよりあんた、いつまで抱きついてんの。さっさと離れなさいよ、どスケベ!」
「おっと、スマンスマン」
コンバットブーツで足を力の限り踏みまくる楓の猛烈な抗議に、虎徹は慌てて彼女から離れた。
「サンキュー、助かったぜ!」
虎徹は美波に向かって、彼女と同じように親指を立てて返礼した。美波は無言で頷くが、相変わらず表情は一ミリも動かない。
先ほど虎徹たちを竜の炎から守ったのは、念動力というやつだろうか。炎だけでなく熱も遮断できるなんて、まるで魔法だと言いかけたが、目の前にいる本職をこれ以上不機嫌にするのは危険なので口に出すのはやめた。
それはさておき、問題は目の前の竜である。虎徹と楓は気を取り直し、空を見上げる。竜は相変わらず頭から湯気を立て、こちらを威嚇するように吼えている。
「さて、これからどうする?」
虎徹はとりあえず、竜退治の経験者に意見を求めてみる。
「まず飛んでいるのをどうにかしないと。こちらも飛ぶとなると、魔力を飛行と攻撃に分散しないといけないから、効率が落ちるのよね」
「たしかに、拳が届かない相手は厄介だな」
「ところであんた飛べるの?」
楓があからさまに胡散臭そうな顔で尋ねる。虎徹は虎の顔で器用に片方の眉だけ上げて、
「宇宙で飛んだことはあるが、大気中はほとんどないな。ぶっちゃけ、真っ直ぐ飛ぶくらいなら何とかってところか」
正直に答えると、楓はへえ、と意外そうな顔をした。
「どうした? 何か問題あるか?」
「いや、そうじゃなくて……。意外と素直だなあって」
「できないことはできないって言っただけさ。ま、どうしてもって言われれば、張り切ってみないこともないが」
「いいわよ別に。誰もあんたに期待してないから」
「そうだな。飛ぶのはあいつらに任せておくか」
「え?」
虎徹が上を向くのにつられて、楓も同じように顔を上げた。空に見えるのは、足の裏からジェット噴射を出して飛行するメカ少女っぽい影と、背中に生えた巨大なカラスの羽で飛翔する帯刀したサムライっぽい人影。どちらもよく見れば、楓や美波と同じ方舟学園女子の制服を着ている。見間違えるはずもない。クラスメイトの田中=ヘカトンケイル=桜花と、鞍馬蒼雲だ。
彼女らが何食わぬ顔で空を飛んでいたり、刀を腰に挿してたりスカートの下にスパッツを穿いていても、虎徹は突っ込みを入れようなどとは思わない。なにせ二人の肩書きは『古代超文明の守護者』と『妖怪忍者』なのだ。文句を言うだけ野暮だし、労力の無駄である。
桜花は甲高いジェットエンジンの音を響かせながら、蒼雲は漆黒の羽で巧みに風を捉えて、火竜の周りを軽快に飛ぶ。邪魔者のいない空で如何にして憎き楓を食い殺してやろうかと思案していた竜は、突如現れた小うるさい羽虫に興を削がれ怒る。
「田中びーむ」
抑揚のまるでない電子音声で桜花が言うと、彼女の懐中電灯みたいな目から青い光線が走る。
鋼よりも硬い竜の鱗にビームが直撃。鉄をこすり合わせるような耳をつんざく音とともに、ビームの当たった竜の横っ腹が派手に火花を散らす。
ビームの熱量が鱗の耐久性能を超え、中の肉を焼いた。熱さと痛みに堪らず悲鳴を上げる竜。ビームはそれだけでは飽き足らず、レーザーメスのように竜の腹を焼き切りながら背中へと進み羽の根元へ。遂には左の羽を切断した。
巨大な羽が校庭へと落ちる。高温のレーザーで焼き切られたため、血はほとんど出ていない。片方の羽だけでは飛行を維持できず、あえなく竜が吼えながら落下する。
轟音と土煙をまき散らして、校庭に竜が落ちた。もの凄い衝撃に地面が波打ち、虎徹と楓が跳ねる。
「すげえ、撃ち落とした!」
「無駄よ。あれくらいじゃ、あいつはびくともしないし、すぐに再生するわ。本当にあいつを倒せるのは、同じ世界の理――つまり魔法じゃないと」
怪獣映画みたいな光景に興奮する虎徹を、楓が冷静に制する。さすがに落ち着いている。経験者の余裕というところか。
楓の言う通り、今焼き切れたはずの傷が、もう再生し始めている。見ている間に焼け焦げた肉が健康なピンクの肉へと代わり、すぐさまぶ厚い皮膚と堅固な鱗が覆い隠す。ビデオの逆再生を見ているようで、この分だと数分で桜花の攻撃は無かったことになりそうだ。
「トドメを刺せるのは橘だけって事か……。あいつを仕留める魔法なんて持ってるのか?」
「あるけど、かなり魔力を溜めないといけないから……五分。五分くれれば何とかやってみせるわ」
「五分か。だったら――」
「ならばその役目、拙者に任せてもらおう!」
虎徹の言葉を遮り、もうもうと立ち込める土煙を切り裂くようにして、蒼雲が飛び出した。翼を畳んだまま大きく跳躍する。
「ニン!」
上空で一度トンボを切り、跳躍の頂点で翼を大きく広げてその場で制止する。後ろに引っ詰めた長い黒髪が、反動で馬の尾のように大きく揺れる。
「忍法、影縫いの術!」
叫ぶと同時に黒い翼を大きく羽ばたかせると、無数の羽根が夕日を受けて校庭に長く伸びた竜の影に向かって吸い込まれるように飛ぶ。
蒼雲の放った羽根は、あっという間に竜の影を地面に縫い付けた。地面に這いつくばった竜が振りほどこうともがくが、影が封じられているので動けない。
「これで奴はしばらく動けんでござる。だがそう長くはもたんので、心してかかれ!」
両手でそれっぽい印を結んだまま、蒼雲が空中で叫ぶ。どういう物理法則でそうなっているのか訊いてみたいが、妖怪で忍者という時点でもう科学とか常識とかの範疇外なので、訊くだけ野暮というものだしそんな時間もない。
「オッケー、こっちもできるだけ急いでやるから、そっちも何とか持ちこたえて!」
楓は笑顔でそう言って魔法のステッキを宙に放り投げ、両手を開いて頭上に掲げる。
明日も更新します。