19
苛立ちをぶつけるように、虎徹はカツに箸を突き刺す。噛み締める歯にも自然と力が加わり、ますます味がわからなくなって余計に苛立つ。
「お前はバカなんだから、無理に簡潔にまとめようとすんな。とりあえず頭に浮かんだそのままを話してみろ」
「オッサンいつか勝負してやるからな……」
「いいから、時間が勿体ない。俺はお前と違ってこの後も仕事が目白押しなんだよ」
そう言われてしまっては、これ以上の問答で無駄な時間を使えなくなってしまった。仕方なく虎徹は、まだ整理がついてない心情感情を交えつつ、スズキに今日の放課後の話をした。
「なるほどねえ……。てめぇの不勉強を棚に上げて、俺の授業のやり方に文句をつけるたあいい度胸だ。表に出ろ」
「耳クソ詰まってんのかよオッサン。話聞いてたか?」
「冗談だよ、そう目くじら立てるな。あんまりカッカしてるとハゲるぞ」
「誰がカッカさせてんだよ。あとハゲねーよ」
虎徹が箸で攻撃してくるのを、スズキは笑いながらしゃもじですべて防御する。ひとしきり攻防が済むと、スズキは虎徹の真向かいの席に座った。
「じゃあ真面目に答えてやろう。そうだな……まずは桜花からいくか」
そう言うとスズキは両手の指を組み、テーブルの上に肘をついた。
「お前も知っての通り、あいつは人間じゃない。どっちかってえと機械、ロボットだ」
「ああ、見たまんまだな……」
「ならお前知ってるか? あいつの頭の中には、現代の科学じゃ逆立ちしても真似できない人工知能が詰まってるんだぜ」
「マジか!? 嘘だろ?」
二十年くらい前のアニメに出てきた女性型ロボットみたいなデザインからは、とても想像できない話である。
「嘘じゃねえよ。だいたいお前、今の科学力で作ったロボットを見てみろ。二本足で立って歩くのが精一杯じゃないか。運動性能一つ取ってみても、桜花がどれだけ凄いか分かるだろ」
「なるほど……たしかに言われてみればそうだな。あいつ飛ぶし」
「そうだな、一つ例を出してやろう。あいつが現代の情報を集めたいと言ったんで、国会図書館に連れてってやったんだが、一週間で全部の書物を読破しやがったぜ」
「国会図書館の本を一週間で全部読んだのか?」
「それだけじゃねえ。内容も全部インプットしてるから、あいつは言わば歩く国会図書館ってところだ」
「インプットする速度も凄いが、記憶媒体の容量もとんでもねえな……」
「そんなモン相手に、高校程度の授業が必要か?」
「意味ねえな」
「だろ? だから俺はあいつに問題を与えない。そもそも授業を受ける必要ないんだが、ワームホールのためにお前らと同じ場所で待機してもらってるようなもんだ」
「なるほど……」
スズキの話は理に適っている。いつワームホールが現れるか分からないのだから、五人が一箇所にまとまっていたほうがいいに決まっている。
桜花の理由に関しては、ぐうの音も出ないほど納得させられた。
では、美波はどうなのだろう。
「美波か~……あいつはなあ…………」
桜花のときは饒舌だったのに比べ、美波の話になると、途端にスズキの口は重くなった。
「何だよ。やけに渋るじゃないか」
「ん~まあなあ……」
スズキはしばらくうんうん唸っていたが、やがて「あんまりこういった個人の話はしちゃいけないんだが」と前置きを置いてから、いかにも言いにくそうな感じで訥々と語り始めた。
「美波の分類はお前も知ってるだろ?」
「超能力者だろ? 魔法少女とか妖怪なんかに比べたら、ずいぶんまともに感じるぜ」
「まあ正確には『超越者』ってやつだがな」
「どう違うんだ?」
「簡単に言うと、超能力者は人間誰でもなれる可能性を秘めているっつうか、人間本来の能力が覚醒した者のことを言うが、超越者ってのは書いて字の如く、人間を超越しちまった存在のことだ」
「人間超えちまってるって、カミサマにでもなっちまったのか?」
「似たようなもんだ。何しろ五感を必要としないどころか、相手の思考もこれから起こることもわかるし、次元や時空を超えるのだってお手の物なんだからな」
「それで超越者か。言い得て妙だな」
「もう学校とか勉強とか、別次元の話だろ?」
「……たしかに」
アペイロンになったことによって、五感や身体能力が常人の数千倍に強化された虎徹には、なんとなくだが美波の気持ちがわかるような気がした。自分が他人と違う存在、特に上位の種になったときの優越感と、それとともに襲われる孤独感は、似たような境遇になった者でないと理解できないだろう。能力を得ることが、ただ便利なことだとは限らないのだ。
「だからあいつは一言も喋らないし、誰の方も見ないんだな」
「その必要がないからな。俺たちの持つ五感よりもはるかに上位の能力を持っていたら、誰だってそっちをメインに使うさ」
人と人とのコミュニケーションの方法は数あるが、空気を読むなどの感覚的なものを除けば、そのほとんどが筋肉による意思の疎通である。表情を変え、動作を加え、声帯を震わせ声を出す。そしてそれを見聞きし、筋肉を使って相手に返す。
「筋肉ってのは使わないと退化する一方だからな。試しにお前も一週間ほど誰とも会話しない生活してみろ。ビックリするほど声が出なくなるし、顔ものっぺりしてくるから」
なるほど、と虎徹が首肯していると、スズキが「ただな……」と苦虫を噛み潰したような顔でつけ加える。
「今じゃ想像もできないだろうが、南海乃美波って娘は、元は明るくて活発な娘だったんだぜ」
虎徹の身辺も調査していたのだ。他の連中も同じように調査していてもおかしくない。それに国家の力を使えば、たかが女子高生の過去を調べるなど朝飯前だろう。
「俺はあいつを見ていると、特異点になって得たものよりも、失ったもののほうが多かったんじゃないだろうかって心配になるよ」
サングラスの奥で寂しそうに映るスズキの瞳に、虎徹は何も言えなかった。
望んでアペイロンになった虎徹でさえ、払った代償は少なからずある。ならば望まないのに特異点となった者が払う代償とは、どれほどのものだろう。
そんなことを考えていると、自然と箸が止まっていた。
「どうした? まだおかわりするか?」
「いや、今日はもういいや……」
まだいつもの半分も食べていないが、考えることが多すぎて、食欲が失せてしまっていた。
「そうか、まああんまり深く考えるなよ。世の中には、考えたって仕方のないことが山ほどあるんだ」
珍しく考え込む虎徹に気休めを言い残すと、スズキはワゴンを押して自分の仕事に戻っていった。
「そんなもん、言われなくてもわかってるさ」
割烹着の背中を見送りながら、虎徹は小さく呟いた。
残った夕飯を口に入れてみても、すっかり冷めて台無しだった。
食事を終えた虎徹は、娯楽室へと足を向けてみた。いつもなら満腹ではち切れそうな腹を抱えてすぐ自室に退散するのだが、今日は腹五分目ほどだったので、一度くらいは利用してみるのも悪くないかと思ったのだ。それに気分転換も兼ねていた。
娯楽室に入ってみると、すでに先客がいた。楓と蒼雲だ。入浴前の腹ごなしだろうか。彼女たちは卓球台を使って、熾烈な攻防を繰り広げていた。
ダブルスで。
「お前らなあ……能力活用しすぎだろ」
無駄だとは思いつつも、虎徹は突っ込まざるを得ない。何故なら、彼女らは自分同士でペアを組んでダブルスをしていたからだ。恐らく楓は複製の魔法を。蒼雲は分身の術を使って自分をもう一人作ったのだ。
二人(四人)に気を取られて気づくのが遅れたが、卓球台の横では美波が審判兼スコアラーをしていた。彼女の立てた指から察するに、どうやら今現在は蒼雲が優勢のようだ。
「そいやっ!」
「なんのっ!」
「どっこい!」
「まだまだ!」
一人が前に出て打てば、すかさずもう一人が下がる。自陣の隙間を埋めるように、お互いがポジションを確保していく。さすが自分同士。二組のペアはそれぞれ息ぴったりで、まるで熟練選手のダブルスの試合を見ているようだった。
四人の打つピンポン球の音が、室内にリズムよく響く。このままラリーはいつまでも続くと思われた。
だが均衡はあるとき急に崩れた。
明日も更新します。