12
耳が痛いといった感じで、蒼雲が太めの眉をしかめる。改めてじっくり見ると、後ろで結い上げた長い黒髪といい、凛々しい顔立ちとしなやかな肢体といい、美少女と言うよりは若武者か男装の麗人というのがしっくりくる。今も女子の制服を着ていなければ、男子のクラスメイトと会話している気分になる。
「拙者が頭になってからは禁止しておるが、それ以前は自由奔放に生きてきた連中ばかりだからな。いつか抑えがきかなくなるやもとは思っていたが、まさか拙者の級友に牙を向けるとは……。これは見過ごすわけにはいかんでござる」
蒼雲の眼に、怒気と殺気が入り混じる。一瞬で空気が凍りつく気配に、虎徹の肌が粟立った。
「まあまあ。このとおり俺は何ともなかったんだから、あんまり責めてやるなよ」
あまりの迫力に、思わず妖怪たちをかばってしまう。ただでさえ虎徹に足腰立たなくされたばかりなのに、さらに蒼雲に折檻されると思うと、つい同情して助け舟を出してしまうのも無理はない。
「いやしかし、それではこちらの面子が立たぬ。やはり見せしめに首の一つや二つ撥ねて武藤殿に献上せねば、拙者の気が済まぬでござるよ」
「いいから! 妖怪の首なんていらないから! ただでさえあいつらボコボコなのに、頭のお前がトドメ刺してどうすんだよ!」
全力で拒否するが、蒼雲は不満顔だ。そこまで拘ると、むしろ首を撥ねたいがために意地を張っているみたいで怖い。
「そもそも、俺がお前らの忠告を無視したのが悪かったんだから、今回はお互い様ってことにしようぜ」
口に出してからやぶ蛇だと思ったが、なぜか蒼雲はびしっと人差し指を虎徹に突きつけ、
「気に入った!」
と何だかよくわからないうちに気に入られてしまった。
「竜を張り倒すほどの剛力無双といい、そのナリに似合わぬ器の大きさ。ますますもって気に入った。いやはや、ヒトにしておくのが惜しいでござるな」
「……ナリのことは言うな」
苦い顔をしている虎徹をよそに、蒼雲は突きつけた指を頬から首筋へと滑らせ、首筋から胸へと艶かしく這わせる。何とも言えぬぞわぞわした感覚に、虎徹は全身が緊張し動けなくなる。
蒼雲は最後に指先をついっと翻すと、
「この件にカタがついたら、一度拙者と手合わせ願いたいものでござる」
では御免、と虎徹に背を向け去って行った。虎徹はしばらく廊下に立ち尽くし、蒼雲の背中を見送るとようやく脱力する。
「やれやれ、参ったな。宇宙人の次は妖怪に気に入られちまったよ……」
美人に好かれるのは悪い気はしないが、中身が妖怪だというのが残念だ。せめて地球産だというのが救いであろうか。それにしても、何を手合わせるのやら。
複雑な気持ちを散らすように頭をかきむしり、虎徹は自室へと歩き出した。長話が過ぎたせいで、そろそろ着替えて登校しないといくら校舎が隣でも遅刻しそうだ。残念ながら、こんな状況でも授業はあるのだ。学生の本分は、世界の危機よりも重要らしい。
◆ ◆
教室は相変わらずがらんとしていた。
特に決められていたわけでもなかったが、みんな初日と同じ席に座っていた。虎徹も何となく馴染みがあるような気がするし、特に移動する理由もないので昨日と同じ席に座った。
ちらりと一番後ろの席の蒼雲を見ると、さっきの話などまるでなかったかのように平然としていた。何だか体よくからかわれた気分だった。
始業のチャイムが鳴ると、教室にスズキが出席簿や教科書を持って入って来た。
一瞬で教室に蔓延する『え? マジでこいつが授業するの?』みたいな空気に、スズキが心外そうな顔をする。
「おいおい、先生に向かって何だよその顔は?」
「先生?」
無反応な桜花と美波を除く三人がざわつく。
「昨日言っただろ。俺がお前らの担任であり保護者であり責任者だって。ついでに美味しい食堂のお兄さんもやってるが、そっちはまあついでみたいなもんだ」
「……どうでもいいが、免許とか持ってんのかよ?」
「そんなもん、教員免許と調理師免許どころか、食品衛生責任者資格もちゃんと持ってるから安心しろ」
そう言ってスズキは背広の内ポケットから三枚の免状を取り出して、印籠の如く前に掲げた。どれもしかるべき管理委員会の印が捺されてある。
「マジか!? マジだ!」
「うっそ……、何者よコイツ……」
「ちなみに高校教員の免状は教科別だが、この俺は特別にすべての教科を担任できる権限を与えられている。よって安心して勉学に励めよ、お前たち」
「なんだよ、結局最後は力技かよ」
「仕方ねえだろ。何が起こるか予測できないこの島に、部外者を入れるわけにはいかないんだ。俺だって好き好んでお前らの相手したり、おさんどんしてるわけじゃねえんだぞ」
ノリノリでフリルのついたエプロンを着て厨房に立っている男のセリフとは思えないが、それを言われてはこれ以上反論はできない。本当なら、自分たちはどこか離島にある国の施設に幽閉されていてもおかしくないのだが、こうしてできる限り普通の高校生として生活できているのは、スズキが一人ですべての責任と危険を背負ってくれているからだ。彼なくして今の恩情はありえなかった、と言っても過言ではないだろう。
教室が静まり返る。たった一人の人間に多大な責務を追わせることによって、今の生活があるという罪悪感なのか、こんなグラサン黒尽くめのわけわからん男に、自分たちの行く末が握られているという落胆からなのかはわからないが、虎徹も楓も黙って俯いていた。蒼雲はすでに居眠りこいていた。
いきなりしおらしくなった虎徹たちに、スズキは仕方ねえな、といった感じで鼻から盛大に息を吐く。
「ガキがなに一丁前に責任感じてやがんだ。そもそもこうなったのは、お前らのせいじゃないだろ? だったら胸張って、せいぜい今の生活を楽しめ。そして勉学に励め。ガキの本分は遊んで勉強してメシ食って健康にまっすぐ大きく育つ。それだけだ」
信じられないことに、スズキが至極真っ当なことを言っている。伊達に教育課程を経ているわけではないということだろうか。
たしかに、みな好き好んで特異点になったわけではない。だがこの場にいる誰もが、心のどこかでは自分が災厄の種になっていることに罪悪感のようなものを感じているのは否めなかった。いかに修羅場をくぐってきたとはいえ、そこはやはりまだ年端もいかぬ少年少女である。誰かに『お前のせいじゃない』と言ってもらえると、わずかでも救われた気持ちになる。悔しいが、たとえそれがスズキのような男でも、だ。
これまでスズキを胡散臭いと感じ、打ち解けることを拒んでいた教室の空気が、じょじょに解れてきているのを感じる。
スズキがあとひと押しだという顔で、
「そして俺たち大人の仕事は、お前らみたいなガキを守ることだ」
一昔前のテレビドラマにあった熱血教師みたいな臭いセリフを決めたそのとき、
空襲が来たかと思うような警報が教室に鳴り響いた。
「おわ! 何だ!?」
「何これ!? 火事!?」
「……ふぇ?」
「ンだよこれ! 今ちょうどイイこと言って決まったぜって思ったのに……ってそれどころじゃねえっ!」
舌打ちをしながら、スズキは懐からゴツい携帯電話を取り出す。通信衛星で世界中どこでも通話可能な、一般人ではあまりお目にかかれないヤツだ。
「おい、この警報は何だ。どうなってる! ……なに? 本当か? こっちは――」
スズキは何事もなく席に座っている桜花を見る。
「何も反応は無かったぞ。確かなのか? ……わかった、警戒態勢を維持。ただし手は出すな。お前らにどうこうできる相手じゃない。無理はせず、危険だと判断したら即座に撤退しろ。ケツは俺が持つ。以上」
通話を切ると、スズキはまっすぐ桜花の席へと歩く。桜花は足音高く近づくスズキに目もくれず、黒板をじっと見据えたまま置物みたいにじっと座っている。
「おい!」
机を乱暴に手で叩き、スズキは桜花に詰め寄る。何事かと虎徹や楓が固唾を飲んで見守るが、当然彼女の表情は少しも動かない。桜花の顔が、モーター音とともにスズキの方へと向く。
「ハイ、何デショウ?」
「たった今、この島の南約二十キロの海域に化物が出現したと報告があった。お前、何も感じなかったのか?」
スズキの言葉に、教室に緊張が走る。
「ハイ。残念ナガラ、私ノ感知器ハ何モ感ジマセンデシタ」
明日も更新します。