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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

水の膜

 銀髪にしたのはやっぱり失敗だった。

 梅雨になり髪は膨張するし、なによりブリーチしたパサパサ感が否めない。どうもこう、しっくりこなくなってしまった。

「髪ばっかいじってお前は女子か、雪色君よ」

 変に芝居ががった口調で良太が俺に話かける。

「お前だって人のこと言えないだろ」

 俺が良太のピンクの毛先を引っ張ると奴は痛みに悲鳴を上げた。いつものじゃれあい。無駄な時間だがそれがかけがえのないものに思える。

「参った、参ったって!」

「あ? 聞こえねえな」

 俺がさらに引っ張ると良太が涙目になった。流石に可哀想になり手を離す。

 すると良太は毛先を入念にチェックし始めた。

「お前の方が女子だな」

「うっせ」

 良太は悪態をつく。


 空から液体が零れ落ち、糸だった雨が線になり俺の視界に入り込む。

 さっきまで解けていた何かが再び緊張するのを感じた。

 ため息をつき良太は壁にもたれかかる。ずるずると壁を下り床に体を埋めた。

「……空色」

「あ、なに?」

「親御さんと上手くいってんの?」

「いつも通り」

「ダメじゃん」

 良太は自虐気味に笑った。

 俺とこいつは何かと似ている。俺のことをまるで自分のように感じ、こいつは傷つく。迷惑だし鬱陶しい。でも優しい奴だということは分かっている。

 ただ俺にはどう受け止めていいか分からない。いつも沈黙という返答を良太に与える。その様子に奴は笑う。さっきとは違う戸惑いと柔らかさを含む笑みで……。

「無理すんな」

 その言葉は俺を通してこいつ自身に言い聞かせるように感じて、俺は毎回良太にこう言うのだ。

「お前こそ」

 そういう俺に良太は曖昧な笑顔を見せ頷いた。


 帰る頃には雨はますます強くなって、傘にバチバチと雨の当たる音がするほどになった。

 制服も汚れてしまっている。明日も学校があるので早く帰って洗濯しないと面倒だ。

 自然と早足になる。

 ふと足に違和感を覚えた。地面に視線を落とすと人がいる。

「うわっ!」

 俺は飛び上がった。人は俺と同じ学校の制服を着ている。

「……何してるんだ?」

 恐る恐る尋ねる。そいつは目を閉じたまま言った。

「雨に濡れるのが好きなんだよ。汚れた所が流れる気がして」

「風邪ひくぞ」

 俺はそいつの腕を引っ張り座らせた。するとそいつは人形のようにだらりと首をもたげる。

「何するんだよ」

 垂れた頭が不機嫌そうに喋った。

 そして駄々っ子のように水溜りを手で叩く。動く度に制服がペチャペチャと音を立て、水が俺に飛び散る。

「明……」

 そう言うと奴の手は止まった。

「やっと呼んでくれたね」

 二ヘラと明は笑う。烏色の髪から透明な雨粒が落ちた。

 佐田明。俺の物。そして変人。どうしてかよくモテる。最近の女はこんな男がいいなんて趣味が悪い。どうせなら俺か良太の方が良さげだろ。

「今日は遅かったね、雪色」

「良太と話してたからな」

「俺あいつ嫌いだよ」

 プクーと頬を膨らませ明は良太の悪口を言いまくる。俺はそれを全て受け流し、夕飯の献立を考えていた。


「ただいま」

 相変わらず誰もいない。

「お邪魔しまーす」

 濡れたままで明が上がろうとするのを肘鉄で止め、タオルを投げつけた。

「体拭け、アホ」

 明は文句を言いつつ拭く。それが終わると問答無用で風呂場に押し込んだ。

「風邪ひくからシャワー浴びとけ」

「雪色が洗ってくれないの?」

 明が俺の腰に巻きつこうとする。その手をパチンと払い、奴の目を睨みつける。

「……うん、満足」

 そう言うと明は大人しくシャワーを浴び始めた。

 手が空いたので制服を洗濯機に詰め込み、ホットココアの準備をする。濡れたのは結局足だけだったので特に冷えることもなかった。

 雨の音とシャワーの音、お湯の沸く音。水の音だけが一人きりのリビングに響く。

 音は好きだが時々怖くなる。特に水の音は表裏一体だ。ぽつんと置き去りにされた気分になって不安定になる。かと思えば、優しく俺を包み込んで離してくれない。その不安定さは中毒性があり、常に俺は水の中で浮かんでいたくなる。

 薬缶から湯気が上がる。俺はカップにココアの粉末を入れ、お湯を注いだ。甘い匂いが台所に広がり安心感が生まれる。

「いい匂いがする」

 濡れた体のまま明が俺に貼りつく。

 床にはくっつき虫が作った水の道ができていて俺はため息をついた。

「あれ程拭けっていったろ」

「だって俺濡れてるのが好きなんだもん」

 明は悪びれもせず言った。

 背中に生暖かい水が染みていく。俺は不快感に体を捩じった。

「だめだよ」

 明は優しい声色で俺の動きを静止する。そのまま正面を向かされ、目が合う。

 奴は俺の手を取りココアに浸けた。

「熱っ」

 そんな俺の様子など気にもしないで、暗い赤黄色になった指を舐めた。入念に人差し指からココア絡めとられていく。暗い色だった指が肌色に戻る。けれどその指は赤みを帯びていた。

「まず人差し指……」

 明は一息ついて今度は中指に取り掛かる。

 リップ音に脳内が揺らぐ。さっきとは違うまるで食われそうな様子に、震えた。

 楽しむかのように明は指を吸う。指から唾液が滴り、手の甲に落ちる。そのまま唾液は俺の腕へと伝った。

 明は俺の腰に手を回し強引に腕を引っ張る。体が密着し互いの体温が上がっていることに気づいた。

「雪色、俺は君のものだよ」

 縋るようにそいつは言う。

 視線が交わり満足そうに明は笑った。やっぱりこいつは変だ。

「この視線フェチが」

 そう言った瞬間、明の顔から表情が消えていく。

「当たり前のこと言わないでくれる? それじゃ罵倒にもならないよ。だいたい俺が雪色に求めてるのはそこだけで、他はオマケ。その全て諦めて今にも死にそうな視線が無かったら雪色には用がないんだよ?」

 分かってる? と念を押すように明は言った。

 俺と明の関係は利害の一致だ。

 俺は明に温もりを明は俺に欲求解消を求めている。

 男兄弟の末で生まれた俺は母親のエゴによって作られた子だ

った。

 『雪色』、女の子が生まれるようにと母が先につけた名前。しかしその願いは叶わず俺はいらない子として関心を一切持たれず育った。

 親に構ってほしくて不良っぽい真似事をしても所詮程度が知れている。

 そんな中、明と出会った。奴は俺の視線に一目惚れしたらしい。そのまま丸め込まれ、所有させられ今に至る。

 初めは持ちつ持たれつだった関係は明の寄りかかりになりつつある。でも嫌じゃない。

 人に必要とされるのは楽だし、求められることは快感だ。

 明はその実感を与えてくれる。

 再び目が合う。

 明の視線がじっとりと俺を見据えた。唇が近づき、啄まれる。

 触感を確かめるようなキスは何度やっても慣れない。息が出来なくなるほど強く吸われたかと思えば親が子供にするようなキスをされる。

「あき、ら」

 喘ぎとも吐息ともつかない声が漏れ、酸欠で眩暈がした。

 足に力が入らなくなり膝が笑う。

 明はさらに強く引き寄せ下腹部を俺に擦り付けた。

「いいよ、すっごく可愛い雪色。あの死んだような目が俺の手

 でこんなに蕩けると思うだけでもう……!」

 明は頬を紅潮させ早口に言った。

 その直後、もう一度唇を奪われ明の舌が侵入する。歯茎をなぞられた瞬間全身が逆立つのが分かった。舌同士を絡め飲み込めなかった唾液が口から零れる。

 俺を覆っていた膜が水風船のように弾けた。広がった水の中に一人放たれる。

(ああ、もう、いいや……)

 コポコポと音をたてながら俺は水底に沈んでいった。



 倦怠感と腰痛を伴って目が覚める。

 明は変な所で律儀だ。

 俺が寝るまで隣にいて母さんが帰ってくる前にいなくなる。そして枕元には必ず一粒のチョコレート。

 これで機嫌がとれると思っているあたりあいつは俺が恋に恋する乙女とでも認識してるのだろうか。

 梅雨の室温で溶けたチョコレートはいつもより甘ったるかった。


「ふあー……」

「眠そうだな雪色」

「おう。ちょっとな」

 明に抱かれた翌日はいつもこうだ。

 あの変人持ってる体力事態がおかしい。俺がぐったりしているのにあいつは弱音一つ上げない。むしろ俺を見てニヤニヤ笑い……、思い出すだけで腹が立ってきた。

「お、佐田明じゃん」

 良太が指さす方を向く。そこには綺麗目な女子を連れて歩く明がいた。

「また新しい女かよ。しかも二人」

「ま、あいつモテるからな」

 あくまで俺と明の関係は利害の一致だ。奴にとって俺は取り巻きの女以上で使える人間。

 明にとって女は来る者拒まず去る者追わず、一時の感情を満たすクッションでかない。

(優しく笑っていても掌を返してさげずむような男だよ)

 聞こえはしない心の中で女たちに毒づく。

「あんな奴のどこがいいんだろうな」

「さ、女の考えることは分かんね」

 そう言い良太と笑い合う。

 女の笑い声がだんだん近づいてきて俺たちの隣を横切った。

 明は目も合わせない。

 互いに関係を悟られぬよう学校内での過度の関わり合いは避けている。

 モテ男と銀髪の異端児、ただでさえ目立つ二人に接点があると分かれば噂はあっという間に広がる。

「もう明君ったら」

「ねえ明君、今度の休みなんだけど」

 媚びへつらった女の声は嫌い。ねばちっこい黒のヘドロで出来ている音に吐き気がする。

 女なんて脂肪の塊だ。

 化粧とかいう訳の分からない仮面をつけ男を誘惑するために派手な恰好をする。自身の欲望とエゴのために動き男を装飾品としか思っていない。

「女って気持ち悪い」

 自然と声になっていた。

 良太は一瞬戸惑い、すぐに優しい顔をして俺の頭を撫でる。

「子供扱いすんな、同級生だろ」

「雪色は危なっかしいんだよ。てか末っ子、大人しく長男に甘えろ」

 そういって俺の髪をクシャクシャにする。

「良太!」

「お、よく似合うな雪色」

「ふざけんな!」

 俺がムキになればなるほど良太は笑う。

 仕返しをしてやろうと手を伸ばすが、俺の身長では到底届かない。その様子に良太はさらに笑う。

 いつもこいつからは俺を慈しみ労わるような優しい空気を感じる。

 だからこそ、良太にだけは俺の汚れた所を見て欲しくないん

だ……。


 家に着くと今日も明がいた。

「また濡れてんのか」

「うん、お風呂かして」

 可愛らしく小首をかしげられてもため息しか出ない。

 仕方ないので明を玄関に放置したまま、浴槽に湯を張る。

「ねえまだ?」

「勝手に上がんな。床が水浸しになるだろ」

「気にしない、気にしない」

 そう言って明は浴槽に制服のまま浸かった。そして無邪気に水遊びを始める。

「雪色に水鉄砲―」

「はいはい」

 明日は休みなので制服が濡れようが特に困らない。

 俺が取り合わないことに腹を立ててか。明は俺の腕を引っ張った。

 派手な音がして浴槽に落ちる。鼻に水が入りこみ盛大にむせた。

「ゴホッ、ゴホッ。あきら……!」

 奴は俺の声に耳も貸さず張り付いたシャツに手をかける。

「ボタンって何であるんだろ。鬱陶しい」

 破裂音が風呂場に響き、勢いよくボタンが飛び散る。

 あらわになった鎖骨に指が這う。もどかしいほどゆっくり窪みまでをなぞり明は言った。

「痛くしていいよね」

「はっ? ――っ!」

 返事をする前に鎖骨を噛まれた。

 鋭い痛みに俺は明の腕を殴る。それでもそいつは噛むことを止めない。

「明、痛い! 痛いって!」

 耐えきれなくなり、眼から涙が落ちる。

「あーあ、泣いちゃった」

 鎖骨から口を離し、線になっている涙を舐め取っていく。その行為を何度も何度も繰り返し、涙が乾ききったのを確認して明は言った。

「雪色、君は俺を所有してるんだからさ、変な男に現を抜かしちゃダメなんだよ。離し飼いでも室内犬でも俺は構わない。でもね、俺以外が君の視線を独占することは、許さないよ」

 鬱血した鎖骨を撫でながら明は続ける。

「おまけにさ、いつまで良太と話すつもりなの? 俺嫌いだって言ってんじゃん。あいつは君のことなんか大事にしてくれないよ?」

 明の手が首元にかかる。

「だからさ雪色、俺を所有していなよ。君の目さえあれば俺は離れないよ、寂しい思いなんかさせない。ずっと君を必要として大切にして汚して、囲ってあげる」え

 口が裂けそうなほどニンマリと明が笑う。

(ああ、またこの笑顔だ)

 俺の中にあるグズグズした液体が明に共鳴し、膜を破り飛び出そうとする。

 液体が活発になるたびに思う、俺は汚い奴だと。

 全て分かっている。良太にとって俺は大切な人ではあるが恋人にはなれない。

 それでも淡い期待を抱き続けあいつの前だけでは健気に頑張ろうとする。

 いくらやった所で今更だ。

 寂しさを紛らわすために身も心もグズグズの液体で満たされてしまった。

 誰もが離れていく中、明だけは俺を求め続けてくれる。

「ぬるま湯だな」

 一度浸かると二度と出ることは出来ない。

 俺に似合いの安っぽい文句だ。あまりに情けなくて笑いしか零れない。

「なあ明」

 首に手を回し足を絡ませる。誘発的な目で明を見つめた。

「キスしてくれよ」

 靴を半開きにし受け入れる準備をする。

 大嫌いな女の真似事しないと俺の寂しさは埋まらない。

(俺にはこれしか出来ないんだ……)

「いっそ死んじゃえばいいのにな」

「そんなの許さないよ。君がいなくなったら俺はどうやって欲求を満たせばいいのさ。あ、でも今の気持ちは捨てないでね。雪色すごく色っぽい目をしてる……」

 結局どいつもこいつも自分のエゴばかりで他人のことなんか考えちゃいない。

 明からキスの雨が降る。

 汚い液体がコポコポと音を立て俺の膜内部を溶かした。

 封のきれた袋から漏れるように黒い液体が浴槽を汚す。

 そう、見えた。


                         了


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