エピローグ
「6p」
朝日が顔をのぞかせていた。街を照らし出し、夜明けの知らせを告げている。
吹き抜ける風が心地よかった。空には雲一つなく、今日はとてもいい天気だ。
「…………」
どうしてこの場所に来たのか自分でも分からない。屋上への鍵は何故か空いていて、気がついたらここに立っていた。彼女と話したこの場所に。
一晩中街を見つめていた。
何を思う訳でもなく、ぼーっと。
足下を見ると赤いランプが回っていた。きっと登校して来た誰かが通報したんだろう、体育館倉庫の彼女を見つけて。
彼女を誰かに見られることに抵抗は無かった。もうアレに興味は無い、ただの物と同じだ。それ自体には何の魅力も無い……。
吹き抜ける風が頬を撫でていく。
朝の空気が肺を見たし、清々しい。
充実感にも似た感覚だった。
これ以上の満足感はもう何をしても得られないだろう。
けれど。
なんだかぽっかり大きな穴が胸に空いたような心地がした。
いくら息を吸っても満たされない。気持ちが満たされない。満たされきらない。何かが足りなくて、どれだけ気持ちが膨らもうが、どこかから抜けて行くような気がした。
満足したはずだった。後悔する気持ちなんてこれっぽっちもない。
何を後悔するって言うんだ。欲しいものは手に入った、もう何も求める物は無い。僕は満足しているんだ。
満足している。
その、はずだった。
「…………?」
誰かがいるような気がして振り返る。
誰もいるはずが無い。この屋上は普段閉鎖されていて、僕と彼女しか足を踏み入れていない。だから他の誰もこの場所にくるはずなんてない。だけど振り返った先には
「————。」
彼女がいた。
制服を拘束通りにキチンと着こなし、風になびく髪を押さえながら僕を見ていた。
とても、悲しそうな目で。
「な、なんで……」
何が起きているのか分からない、分からないけど——胸が締めつめられるように苦しかった。
彼女は僕を見つめ続ける。困惑し、戸惑う僕をじっと。今にも泣き出しそうな目で……心奥底まで見透かすかのように、僕を見つめていた。
「どうして……どうして……」
そんな言葉が溢れた。自分でも何を言ってるのか分からない。だけど体は一歩ずつ彼女の元へと近づいて行く。
「どうしてっ……!」
その彼女の瞳に映った僕を見て足が止まる。
顔を歪め、苦しそうに彼女を求める僕。
自分勝手に彼女を求めた物の也の果。
「ぁ……」
それはとても滑稽な姿だった。
欲望のままに彼女を求め、失ってしまった。とても滑稽で救いようが無い。
どうしてこうになるまで気付けなかったのか。失ってしまうまで、気付けなかったのか。
僕たちはいつでもやり直せるはずだった。取り返しのつかないことなんて何も無かった。彼女は父親との関係をいつか元に戻せる日だって来るし、僕も彼女に謝罪し、関係をやり直すことだって出来たはずだ。
なのに——。
なんだって取り返しのつかないことは後になって気付く。
他の方法だって取れたはずなのにといつも後悔する。
間違ったまま進んで、それで良かったんだって言い聞かせて、目を瞑る。
間違っていなかったのだと、信じようとする。
自分を正当化する為に。
「……違う」
だけど、そんなことをしたって意味は無い。
「違う……!」
彼女は、戻ってこない……!
だから……。
「僕のこと、恨んでる……?
全部、僕がやったことなんだ、写真も父親の件も。もちろん先輩達も。
……憎い? 憎いよね。当たり前さ。全部壊しちゃったんだ、君が築き上げて来た物を全部……!
憎いに決まってる……!!」
これはもう、慰めでも何でも無い。
「憎んで良いよ、僕のこと。憎んで、憎んで、憎み続ければ良い。全て僕の責任だ」
ただの自己満足。最後まで欲のままに彼女を求めた僕の。
「だから、憎んでよ……! 僕のことを……!
——そんな顔、しないでくれよ……!」
彼女は許してはくれなかった、僕のことを。寂しげに僕を見つめ、微笑みかけてくる。
僕のことを受け入れるかのように……。
彼女は恨んでくれなかった、僕のことを。
許してくれなかった……!
「なんで……なんで……!! どうして僕を憎んでくれない? そんな顔を浮かべる!? どうして……!?
僕は間違っていないと、僕は自分の為だけに君を殺して、満足してるんだって……認めてくれよ!
そうじゃなきゃ、僕は……僕は……!」
どうにかなりそうだった。膝をついて嗚咽を漏らす。
彼女はそっと僕の傍に寄って来て、抱きしめてくれた。
こんな僕を許すかのように。
「どうして……」
それ以上言葉は出なかった。
彼女の優しい温もりが僕を包んでくれていた。
甘い香りのする、柔らかい髪が頬をくすぐり。彼女からこぼれた涙が地面に落ちる。
「……君が教えてくれたのにね。私の方こそ、ごめん」
耳元で彼女が囁いた。
後悔に満ちた、潤んだ声で。
——そうか。彼女は僕を受け入れてくれてたんだ。
父親を受け入れた時のように、”いけないことだ”と分かりつつも。最後の最後まで僕のことを信じて……。
僕たちは、いつだって終わってから後悔するんだ。
そして気付き、思う。
次こそは、次からは——って。
でも、そのときにはもう遅くて。取り返しがつかなくなっていて。
どうにかなる、どうにか出来るなんてそんなのは慰めでしかなくて、失った物はもう帰ってこない。
間違ってしまったことをやり直すことはもう出来ない。
「……雨宮さん、ごめんね」
そう言って彼女の腕を解き、立ち上がる。
だから僕はもう、やり直さない。
彼女のいなくなった世界に意味など無いから。
「だけど、ありがと」
「————。」
潤んだ瞳が、僕を見つめていた。
何処までも透明で、僕を包み込んでくれるような瞳が……。
けれどそれを振り切ってフェンスまで歩いて行くとよじ上り、反対側に降り立つ。
吹き付ける風は僕を押し戻そうとしているかのようだった。
——彼女を知ってから色んなことがあった。
自分でも驚くほど色んなことをして来た。誰の為でもない、自分の為に。自分の欲を満たす為に。彼女を屈服させようと行動し、模索し、考え続けて来た。
その中で彼女に触れてしまった。決して交わることの無い相手だと思っていた彼女に。
……知らなきゃ良かったんだ。本当の彼女なんて。触れなければ良かった、彼女に。
違う世界の人間だと割り切って、自分の中の彼女だけを見つめ続けていれば良かった。自分の求めた彼女を追い続けて、本当の彼女なんて見なきゃ良かった。知らなきゃ良かった。
そうすればきっと、こんな気持ち抱かずに済んだのに……。
「…………」
振り返ると彼女は涙を流し、僕を見つめていた。
こんな結末になってしまったことを、悔やむかのように。
「それじゃ」
そのまま体を後ろに倒して、重力に身を任せる。
見上げた空は悔しいほど透き通っていて、青かった。
もしやり直せるなら、今度は。
「
」
そうやって僕は、暗闇に落ちて行った。
「少年A 終」