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少年A  作者: 葵依幸
4/7

少年と少女

「3p」



 青かった空は既に赤く染まっていて、徐々に夜が訪れつつあった。

 野球部のかけ声はいつの間にか後片付けを行う声に変わり、校舎は静寂に包まれている。

 屋上を吹き抜ける風は少し冷たく、冬の訪れを告げているかのようだった。

 不思議と僕は落ち着いていた。もしかすると——と気付いてしまった自分の気持ち、だけどそれはとてもさめた感情で、心が急激に冷えたようにも感じた。

 「君の事を教えてほしい」と言われた彼女は一瞬驚きを見せ、話しだすのを躊躇するかのようにまた遠く、広がる町並みを眺めている。僕はその横顔を見つめる事しか出来ずにいた。

「……実はね。私のお母さん、小さい頃に亡くなったんだ」

 やがて彼女は語り始めた。

「殆ど覚えてないんだけどね」

 自分の過去を。

「凄く優しい人で、お父さんと私。いつの3人で手をつないで歩いてた。仲、良かったんだ……」

 そう語る彼女の顔は悲しそうだった。まだ過去の事ではないのだろう。

「だからね、お母さんが亡くなった後もお父さん「2人で頑張って行こうね」って私の手、握ってくれたんだ。お父さん、笑ってたけど凄く辛そうだった。それ見たら私も泣いてなんかいられない、お父さんの事支えてあげなきゃって。だから私ずっと頑張って来れたんだよ?」

 彼女が生徒会長として校内を仕切っていた理由、勉強に励み、部活でも活躍し続ける理由。それはきっと父親に心配させたくなかったから、自分はちゃんと育っている。何も心配することは無い。「だから頼って良いんだよ?私もお父さんの力になれるよ?」そう言ってあげたかったと彼女は付け加える。

「そうなんだ」

「うん……」

 頷き、何処か遠く、遠い目をしながら彼女は話を続ける。

「だけどね、新しいお母さんが出来たんだ。突然だった。子供が出来たんだって、お父さんが若い女人とを連れてきたの。何処で知り合ったのかとか、深い事は聞かない事にした。だってお父さんもお母さんの事引きずってちゃいつか駄目になっちゃうと思ったから」

「じゃあ弟君達って——」

「うん、血はつながってないんだ」

 だとすればどうして自分を父親に差し出したのだろうか。

「でも大切に思ってる。新しい家族が出来て、お父さんすごく嬉しそうだった。新しいお母さんとの仲も凄く良くて、幸せそうだったんだ。もうあの頃の家族じゃないけど、これから再スタート出来るんだって、私も喜んでた。けどね、その人、突然いなくなっちゃったんだ……」

「いなくなった?」

「そう、ほんとに突然。何があったのか分からない。家に帰ったらまだ幼かった弟達が泣いててそれっきり。噂じゃ、実は不法入国した外国人だったとかヤクザの愛人だったとか散々言われてた。でも結局本当の事はわかんない。それっきいり音沙汰なし。突然消えてそのまんま。

 それからね、お父さんよくお酒飲むようになってさ。それまでは全然そんな事なかったのに、お酒ばっか飲んで……全部俺が悪いんだって、自分の事責めて、ずっと泣いてた。私が体に悪いからって止めても聞いてくれなくて、取り上げようとしたら殴られて……」

 頬を手でさすりながら笑みを浮かべた。苦し紛れの儚い笑み。辛い事を一人で抱え込んできた彼女はどれほどのそれに耐えてきたんだろう。自分が父親を支えると誓い、頼ってほしいとそれを受け入れ続け、何度殴られたのだろう。

「そのうち「お前がいるからアイツは出て行ったんだ」って私に当たるようになって、「お前のせいでアイツは死んだんだ」って、お母さんの事も私のせいにして……でも、それでもよかったの。お父さんがそれで楽になってくれるなら、それで……」

 そう語る表情は暗い。

 いくら受け入れると決めたといっても、ただそれだけで耐え続けることが出来る訳じゃない。言い聞かせて来たのだろう、自分に。「父親を支えるのは、守るのは自分しかいない」と。そうやって彼女は耐えて来た。父親がいつか元に戻ってくれる日を信じて。

「けどね、たまたま弟達が友達の家に泊まりにいってた日にさ……」

 唇を噛み締め、言い止まる。

 その記憶に蝕まれることを恐れるように。

「あの日は家には私とお父さんだけで……私も悪かったんだと思う。お風呂上がりだったし……お父さんにまた殴られたときに服はだけけちゃって……そしたら……」

 自分を守るように両腕で自分を抱き。震えながら告げる。

「お父さんに襲われたの」

 彼女の目は虚ろだった。

「人が変わったみたいに襲ってきて、痛いって言っても止めてくれなかった……。」

 まるでその記憶に蝕まれ、心を無くしたように語る。

「神木君……私ね、凄く怖かったんだ? お父さんの事、そんな風に思った事無かったのに……凄く怖かったんだ……。

 すごく苦しくて痛くて訳分かんなくて……誰か助けてって叫んでも誰も来てくれなくて。泣いて喚いて叫んで……それでも止めてくれなくて誰にも届かなくて……。誰も助けてくれ無かった……!

 私だって女の子なんだよ? 君がどういう風に私の事思ってるか分かんない、けどね、初めては好きな人としたかった。大好きな人に優しく抱いてもらいたかった。だけどそんな夢一瞬で引き裂かれた……!

 私、あの日……お父さんに汚されちゃった……!」

 虚ろな目が涙を流しながら僕を捉えた。

 光の無い、空虚な目——。

「なんで?どうして?なんでこんな風になっちゃったんだろって。「何処で間違ったんだろう、私たちどうすればよかったのかな?どうしたらお母さん助けられたのかな?お父さん救えたのかな?私とお父さん二人で幸せになるんじゃなかったの……?」って、泣きながらずっと考えてた——。

 でも分かんなかった……全然分かんなくて……痛くて、苦しくて、こんな人私のお父さんじゃないって、私のお父さんを返してって……!

 あんなにお父さんのこと支えたい、一緒に幸せになりたいって思ってたのに……信じられる? お父さんの事凄く憎く思ったの……出て行ったあの人の事恨もうかとも思ったの……!

 けどね、そんな時お父さんなんて言ったと思う……?


 カナデって……お母さんの名前呼んだんだよ……? 


 お父さん、私とお母さんを重ねてたんだ……私の中にお母さんを見てたんだよ……。

 似てるんだよね、私とお母さん。昔お父さんに見せてもらったお母さんの若い頃にそっくりなんだもん。きっとお酒飲んでて分かんなくなったんだと思う。お父さんとお母さん、高校の頃から付き合っててさ……幼なじみだったんだって。だから余計にそう思っちゃったんだなって。

 私の事「カナデ、カナデ」って泣きながら何度も何度も呼ぶんだよ……?

 そんなお父さん見てたら「ああ、やっぱり辛かったんだな」って……お父さん、やっぱりずっと我慢してきてたんだって……。それからはされるがままにお父さんのこと、受け入れれた。何されようと、お母さんの代わりになれるのなら、それでお父さんを癒せるならそれで良いって。それが私に出来ることなんだって……」

「…………。」

「その後ね、凄く凄く謝ってくれたの、「自分が悪かった」って凄く後悔してた。「嫁にやれないような体にしてごめん」って……だから私は「いいよ」「また、これから二人で頑張っていこう?」ってさ……きっとまた二人で頑張れるって信じてたんだ」

「そっか……」

 彼女は涙を流しながら、フェンスに手をかけ、暗闇に染まって行く街を眺め一息つく。

 その目には光が戻りつつあった。

 母親の代わりに自分がなり、父親を慰めた。

 それは間違った方法だったかもしれない。

 他にも方法はあったのかもしれない。

 けれど、その時の彼女に取って出来る唯一の救いだった。


「——だけどね。」


 だから、それで終われば良かった。

 父親は娘に謝り、2人はまた手を取り合って歩き始める。それで終われば良かったんだ。


 しかし、そうはならなかったのだと、彼女は話を続ける——。


「お父さんはお酒辞められなかった。以前よりももっともっと飲むようになって、毎晩毎晩お酒飲んで、仕事もしなくなって……お酒飲むたびに暴れて……「どうしてあいつ達がいるんだ」って弟達に当たろうとして……。あの子達に取ったらお母さん突然居なくなって、唯一残された絆なのに……そんな絆さえ引き裂こうとして——もうどうしたらいいかわかんなかった、ただ元のお父さんに戻ってほしくて、ただそれだけで……「もう止めて」って泣きついたの、そしたら……」

 フェンスを握る手に力が入り、その事実に耐えるように言葉を絞り出す。

「また襲われた——」

 うな垂れ、長い黒髪が彼女の顔を隠す。どんな表情でそれを語っているのかは分からない。けれど彼女の声は泣いていた。

「今度は「おまえまでどうしてそんな子に育ったんだって」殴られながら。

 それからは毎晩。夜遅くに酔いつぶれると必ず私のところにやって来ては襲うようになった。もうお母さんと私を重ねてなんて無い……ただの憂さ晴らし、ぶつけるところが欲しくて私に当たってただけ……」

 悔しそうに語る彼女の手は震えていた……。

「でもね、私を襲ってる間は弟達には手を出さないし、お酒さえ抜ければいつも「ごめんよ」って泣いて謝ってくれてたんだ……。だから夜の間だけ、お父さんに襲われてる間だけは悪い夢を見てるんだって、思うようにしてた……。朝がくればきっと元通りになるから、私が忘れれば何事も無かったことになるからって——。

 そんな時よ……? キミが助けてくれたのは——」

 ずっと堪えて来た自分の中の感情を吐き出すかのように話し続けていた彼女が、僕を見つめた。

「僕?」

「そ、キミ。神木クンが、助けてくれたんだよ。私の事」

 今にも消えそうな笑みで微笑みかけてくる。

「警察に連絡入れて、私を助け出してくれた。

 お父さんはしばらく家に帰って来れない……児童虐待があったかどうかハッキリするまでは私たちと会わせないってお巡りさんが……。だから決心がついたんだ。もう止めようって、こんなこと」

 その言葉はあまりにも無勝手で、僕の心を突き刺した。

「これで良かったかどうかなんて分かんない、あの子達にどう説明すれば良いかもまだ……けどあのままじゃ何も変わらなかった。こうするしか無かったんだよ、きっと。お父さんどうなるかは分かんないけど、もう大丈夫。次襲われても、ちゃんと抵抗する。そうじゃないって、言える。

 君が、そうしてくれように……」

 思い違い、僕はそんなつもりは……。

「そのままじゃ駄目だって、私に言いたかったんでしょ……?

 受け入れて、許し続けてちゃいけないって」

 そんなつもりは無かった。

 一方的な勘違い。僕は僕の為にやっただけのこと……なのに彼女は——。

 その微笑みは鋭いナイフとなって、深々と僕に突き刺さっていた。

「だから次からはちゃんと拒むよ。間違ってるって、言うよ」

 自分の中に決意を抱き、僕に微笑む彼女はとても悲しそうだった。

 想いと気持ちは裏腹だ……。

「それに今度は私がちゃんとあの子達守ってあげなくちゃ行けないしッ、くよくよなんてしてられないよね……!」

 そう言う彼女の頬には一筋の涙が流れていた……。

「そっか」

 彼女の悲痛な告白を聞き、僕は不思議と落ち着いていた。

 突き刺さったナイフの痛みだけがズキズキと残り、けれどそれ以上は何も感じれなかった。

 胸の奥底に何かが収まっていて、何の反応を示さない。何も感じなかった。

 父親に対する憤りや、彼女への哀れみ、残された兄弟達への同情。なにも感じ無い。

 彼女の感謝だけが心に刺さって、痛かった。彼女のことを知り、彼女に触れ、近づきたいと思っていたのに、感じたことはそれだけだった……。

 彼女から目を外し、街を見渡すと既に夜に包まれていた。

「どう……?軽蔑した?見損なった……?」

 と不安そうに僕の表情を伺う。

「ごめんね……全部ホントの事なの。私、おかしいよね……汚れてるよね……?」

 傷つくのを恐れるかのように、自分で予防線を張り、身構える。

「別に」

「え……?」

「そんな事、気にしてないから」

 そうなのだ、彼女がどんな過去を背負っていようが、どんな辛い経験をして来ていようが、僕に取っての彼女が変わる訳ではなかった。そして思っている以上に僕は彼女に興味を持っていなかった。彼女の告白を聞き、同情する訳でもなく、慰める訳でもなく「どうでもいい」と思ってしまった。あれほどに触れたいと思ったのにも関わらず。

「そっか……」

「うん」

 それは彼女に取ってずっと心に引っかかって来た事なのだろう、間違っていると分かりつつも父親に抱かれ続けた。他に方法が無いと言い聞かせ、自分を騙し続けた。仕方が無いと。自分さえ耐えればと。その為に汚され続けた。そしてそれを僕は「気にしない」と彼女に告げた。僕に取ってはどうでも良い事だった。しかし彼女に取っては——。

「……ありがと。ほんと、ありがと……。」

 彼女にとっては、救いになった。

 再び涙が次々と溢れだし、その場に崩れ落ちる。

 笑顔の上に流れる涙。それは嬉し涙か、それとも……。

 もう誰もいなくなったであろう校舎——静寂と闇が包む中、彼女は泣き続けた。

 そんな彼女の横で佇み、彼女を見つめる僕。

 気丈な生徒会長の姿は何処にも無かった。目の前に居るのは何ら特別な事は無い、ただ一人で耐え続けその果てに戦いから解放され、涙を流す女の子。その姿はとても美しく、儚げで、抱きしめてあげたくもなる。僕がついている、僕が力になってあげる。そう言えば彼女は楽になるだろうか——。

 けれど。

 そんな彼女を見つめているうちに、胸の奥底の塊が疼くのを感じた。


 ——ソウジャナイダロウ?


 違和感を感じた。自分の感じているこの思いに。彼女の力になる? 楽にしてあげる……? それは僕が求めていた物だったか……?

 いや、違う。そうじゃない、僕はそんなモノを欲しかったんじゃない。


——僕は、何を求めていたんだ……?


 彼女か……? 彼女自身を、僕は欲しいと思っていたのか……? このまま彼女を支え続ける事も出来るだろう、難しくないはずだ。彼女は僕に心を開いていてくれている。それが本当に僕が欲しかったモノなのか?

 

 ——ソウジャナイ。


 ドス黒い塊が胸を締め付けるように収縮し、心臓を圧迫する。

 彼女の姿が何処か遠く感じる。僕の体を何かが包み込み、何処かへ引っ張るような錯覚に陥る。

 なんだ、これは……僕は、僕は何を欲しかったんだ?何を……僕は、何を——。


 そんなとき——


「 ————。」


 涙を拭き、立ち上がろうとする彼女が目に入った。

 彼女はボロボロで、突けば崩れそうな弱さを持っていた。


「神木クン……ごめんね。ありがと……」

 少し落ち着きを取り戻しつつある彼女。


 そうか、僕は——。


 違和感が確信によって実態を持ち、自分の本当に欲しかったモノを思い出されてくれた。そうだ、僕は最初からこんなモノ必要としていなかった。本当に欲しかったモノは——。

「それじゃ、また学校で」

「ぇ——」

 そう告げて屋上から去る。

 もうこの場所にいる必要なはい。

 僕が見たかった……欲しがっていた彼女はあの彼女じゃない。あんな姿じゃない。そうだ、そうなんだ。忘れていた、僕が求めているのは、求めていたのは——。

「は、ははは……」

 自然に笑みがこぼれて来た。なんだか楽しかった、嬉しかった、ふわふわとした気分だった。胸のつっかえは奇麗にとれていて、とても気分がいい。

 そうだ、そうなんだ。僕が欲しいもの、それはいまの彼女じゃ手に入らない。ならどうするか、どうすればいいのか。簡単だ、そうだ、とても簡単だ。考えるだけでも楽しみで仕方が無い。


 ——彼女を壊す。


 とても愉快なコトだった。

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