「一人じゃないよ、」
泣きそうな声だった。
「来てよ。」
ぶつりと、それだけで切れた電話にはどこに、なんて一言もなくて、でもその震える声に引っ張られるようにあたしは立ち上がり、気づけば走り出していた。
部屋着にサンダルをつっかけただけなんていうだらしない格好を気にする余裕もなく、街灯の中あたしはもう歩き慣れた道をひたすら走る。
あいつがどこに、を言わないのは、言わなくてもあたしにはわかるから。
あいつがあたしの返事を聞かないのは、あたしが嫌だと言わないのをあいつは知ってるから。
あたしが嫌だと言わないのを知っててこういう時だけ頼ろうとするずるいあいつはあたしの幼なじみだ。
昔よく一緒に遊んだ公園に入ると、あいつはブランコに座って気怠げに揺れていた。
あたしが近寄って隣のブランコに腰掛けると、奴は揺れるのをやめて視線をさらに少し落とす。
「……須藤。」
あんたが呼んだってのにだんまりか。
そういった意味を込めて奴を呼ぶと、奴は顔を上げてようやくあたしを見た。
「…………悠。」
あたしの名前を形作る声には覇気がない。
いつもは日向、と苗字で呼ぶのにこういう時だけ名前で呼ぶ奴はやっぱりずるいと思う。
「何よ。話があるならさっさとして。」
今何時だと思ってるの、と出来るだけ冷たく応じると、奴は整った眉をぎゅっと寄せてあたしを見た。
「悠……俺、どうしよう。どうしたらいいかな。」
「何の話よ。」
「ふられた。彼女に。」
知るかそんなの。と言えないのは、奴がなんであたしを午後11時なんて非常識な時間に呼び出したかわかっていたからだ。
わかっていて来たのにそんな返しをするわけにもいかない。
「……今回は何。」
「本当は私のこと好きじゃないんでしょ、って、」
「この前もそうだったじゃない。」
キィ、とブランコが軋んだ音を立てる。
今回は続いた方だったと思うけど、こいつはいつも告白されて適当に付き合っては同じような理由で別れる。
「……なあ、」
「なに。」
「名前、呼んでよ。」
「は?」
唐突に請われて目を見開く。
突然のことに上手く反応できないでいると、奴はブランコから立ち上がってあたしの前に立った。
「なあ、」
「ちょっと、なんでそんな、」
「誤魔化さないで。」
こんなの聞いてない。
いつも通りじゃない。
「ねぇ、……駄目?」
でも、こいつの泣きそうなこの顔に、あたしは逆らえない。
「…………玲。」
久しぶりに動かした唇の形。
あたしの声を聞いて、玲は静かに一筋涙を流した。
ジーンズが汚れるのも気にしないで地面に膝をつくと、玲はあたしの首に腕を回して抱き締める。
「ちょっと玲……!」
「やだ。行かないで。」
「……。」
駄々っ子のように懇願するその姿はもう17歳のものなのに、声変わりだってしたのに、あたしを揺さぶる言葉だけはいつまでも変わらない。
そのアンバランスさ、あたしだけに見せる危うい均衡が虚しくて、あたしは玲の背中に腕を回した。
玲と同じようにブランコの下の地面に膝をつくと、彼はぴくりと肩を震わせて腕の力を強くする。
「ねぇ悠、行かないで。どこにも、悠だけはどこにも行かないで、行かないでよ……。」
「…………。」
ずるい。
ずるいよ。
そんな風に言われたら、もしかして玲にはあたししかいらないんじゃないかって、あたしだけいればいいんだって思ってしまう。
違う、違うのに。
玲にはちゃんと、傍にいてほしいたった一人がいるのに。
「ねぇ、悠……。」
「……行かないよ。」
「……。」
「行かないよ。ここにいる。だから……、」
あたしを見て、なんて言わないから。
こういう時だけあたしを頼ろうとする玲はずるい。
でも、こんな形でも玲の傍にいたいと思うあたしが本当は一番ずるいんだ。
女←玲←悠、的な。
悠ははるかと呼んでやってください。