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今日は招かざる客が万来だ。
ガリオン・メイは整った顔立ちを凶悪にしかめ、背もたれの高い一人掛けの椅子に腰を下ろしていた。白いズボンに包まれた長い脚は、だらしなく足首で組んで投げ出されている。
まず女王宮での朝議から戻るなり、百日に一度も顔を見せない騎士団総長がやって来た。みっしりと生えた顎鬚をなでさすり、白髪交じりの赤毛をなびかせ、銀灰色のマントまでまとって。どんな厄介ごとが起きたかとぎょっとする彼を一瞥するなり踵を返したのだから、あの親爺は一体なにがしたいのだ。だがとりあえず、騎士の正装を煩雑な手続きを省いて太子宮に出入りするための通行証程度にしか考えていないことは間違いない。
次に無言でノックもなしに部屋のドアを開けたのは、眠たげな顔に無精髭を生やし、だらしなく臍までシャツをはだけた格好の白鷹騎士団長。肩から羽織っただけの白い騎士服は妙にパリっとしていたから、おそらくクローゼットから出したのも久方ぶりだろう。どころか彼自身を最後に見たのがいつだったか、メイはすぐには思い出せなかった。くすんだ金髪は鳥の巣のようにもつれ、青灰色の目は日ごろの不摂生を如実に語る濁り具合。仮にも女王のおわす宮城内でこうまで怠惰な身形を見る機会もそうはない、と思って固まっていると、鼻先で一つ嗤って帰って行った。
三番目に現れたのは、ここ数年思い出したように太子宮に出没する女王の宰相。愛すべき輝ける禿頭に小さな帽子を載せ、そろそろ身を固めてはどうかという趣旨の話を延々しゃべっていった。あの爺様が持ち込んだ見合い用の女性の肖像画と釣書は、既にベッドの土台が組めそうな量で物置を占領している。まったく余計なお世話なのだが、五歳下を筆頭に三人いる妹たちの嫁ぎ先にまで関わると心許なげに諭されてしまえば、無碍にもできないところがつらい。
最後に目下最大の懸案事項の中心にいる少女を、彼の騎士がつれてきた。それはそれで実りはあったが、帰り際ちょっと二人で話をしたら、騎士にものすごい嫉妬の目で睨まれた。ガキに妬かれると後が面倒だ、機嫌を直して帰ればよいが。
一日分の生気をすべて吸い尽くされた気分でうなだれたところへやって来たのが、いま目の前で行儀よく長椅子に座っている青年だ。
「……それでおまえは、一体なんの用があってここにいるんだ」
一向に口を開かない彼に焦れたのは、メイのほうだった。背後の壁際に立つ黒竜騎士が、わずかに警戒したのを気配で感じる。
「あれぇ、御用があるかなぁと思って待ってたんですけど。お聞きになりたいこと、ないですかぁ?」
この国で女王、王婿である大公に次いで三番目に高貴な人物から邪険にされているというのに、青年に動じた様子はない。砂色の垂れ目を細め、上唇だけぽってりと厚い口元には笑みが刻まれている。
メイは額に落ちかかる、伸びすぎた前髪をかき上げた。癖の強い巻き毛が指にからみ、それが無性に腹立たしかった。
「尋ねたところで、おまえが正直に答えるとも思えん。用がないなら行け。今日は客が多くて、おまえの顔など視界に入れる気力も尽きた」
「そうそう、その、最後のお客さんですけど」
自分に都合のいいところだけ拾い上げた青年に、メイは音高く舌打ちした。傍らに立つ側近が、苦笑したのがわかった。
「僕昨日、会いに行ったんですよぉ! 想像してたのとちがうけど、なかなか可愛いコでしたねぇ。でもちょっとおしゃべりしてたら、あなたの番犬に僕だってバレちゃってぇ、喰い殺されそうな顔で睨まれましたよぉ」
「……ちょっと待て、シュッツェ」
思わず肘掛けにもたれ、額に手をあてて目を閉じた。
「なぜおまえが俺の客がだれだか知っている。いや、なぜわざわざしゃべりに行ったんだ、そしてなにをしゃべってきた。そもそもどうしておまえが都にいるのか、まずそこから釈明してみせろ」
我ながら見事にドスの利いた声が出た。しかしシュッツェにはなんの脅威にもならないから頭にくる。彼は垂れ目をさらに垂れさせてにっこりと笑った。
「やっぱりあるじゃないですかぁ、質問。しかもたくさん」
「うん、よし。コーキ、俺は急に体調を崩したから寝込む。そこの不良騎士はおまえが相手をして、必要なことをすべて聞き出しておけ」
だが立ち上がりかけた肩は強引に押さえつけられ、上がった腰が椅子に沈む。恨みがましく側近を横目で見やれば、彼は穏やかで優しげな顔に仮面のような笑みを浮かべていた。
「この程度の小者を相手に試合放棄など、あなたらしくもないですよ」
そして薄茶の瞳がぎらりと光り、肩をつかむ手に力がこもる。
「小者って僕のこと? ひどいなぁ、筆頭殿」
爪の先ほども堪えた気配のない、鼻にかかる声は右から左へ聞き流す。メイは腹心の側近が笑顔の裏に隠すものを正確に読み取って、背に悪寒が這い登るのを感じた。発せられた言葉以上の圧力に屈服して居住まいを正す自分を、愚かだとか惨めだとか思う余裕はなかった。
「……で? 特務にあたる者以外、白鷹は北の国境に送ったはずだが」
「じゃあ僕も特務にあたってるってことでぇ。いいでしょう? 騎士団の頭は総長殿で、僕が次に従うのは白鷹の団長ですからぁ。あなたの知らない任務だって存在するんです」
言ってくすくすと笑うシュッツェは心底楽しそうで、メイは一瞬本気で彼を殺したくなった。だが残念なことに――本当に、心から残念なことに――メイには彼を殺せるだけの物理的な力がない。周りの化け物じみた連中に比べれば戦闘力は皆無に等しく、精々が拳で頭を小突ける程度だ。しかもこの男は腐り切っても白鷹騎士、それすらもまともにあてられる気がしない。
メイは再度舌打ちし、笑いをおさめたシュッツェを睨んだ。今度は促すまでもなく、彼は自分から語り出した。ただし、質問の答えではないことを。
「あなたと僕って割と長いつきあいじゃないですかぁ、ねえ? そろそろ僕にも教えて下さいよ。あのコ、あなたが子飼いを使ってまで押さえておかなきゃならないほどの――なにを、持ってるのかなぁ」
かくんと首をかしげ、うっすらと微笑むシュッツェは無邪気にすら見えた。しかしこれほど腹の黒い男もそうはいない。メイは眼前に見えるものを遮断するように目を閉じ、開き、傲然と言い放った。
「ダーレンに訊いたらどうだ。あいつなら、俺の頭の中だってお見通しだろう」
途端にシュッツェはつまらなそうな顔をして、ひょいと肩をすくめた。
「僕、そんなに自殺願望強くないんですけど」
白々しくそっぽを向く魔剣士の横顔を見つめながら、メイは内心でふむとうなった。彼の発言には得るものがある。
白鷹はなにも知らされていない、もしくは掴んでいる以上のなにかがあると疑っている。尋ねることすら躊躇わせるほど、ダーレンの壁は厚い。それでなぜ今もってダーレンに盲従できるのかという疑問は増すが、そこはとりあえずいまは措く。
状況を鑑みれば、これは異状だ。自分の推測が正しいとするなら、白鷹は真っ先に彼女の詳細な情報を得ていておかしくない。ダーレンが『塔』と手を組み、なにかを成そうとしていることだけは間違いないからだ。
自分の手の内はほぼ読まれている、ということもまた明らかだった。ただ、ダーレン本人はともかく、白鷹騎士団はいま目にしているものがすべてだとは思っていない。まだなにか奥の手を隠していると判じている。
もしかして、往年の猛者やら出不精の代名詞やらがわざわざここへやって来たのは、自分の顔色からなんらかの情報を得るためだったのかもしれない。ファイスが伴った少女の正体など彼らなら容易に知れただろうし、それならば、二人ともが無言で立ち去った理由もわかる。
(いや――)
メイは目を伏せ、暗い青の瞳を隠した。
ただでさえ腹に一物抱える白鷹騎士の中でも、シュッツェはとくに食えない男だ。彼の言動から騎士団内部の事情を推測するのは危険かもしれない。
互いに疑心暗鬼に陥っている。情報が錯綜し、そこに個々の思惑が絡んで全体の構図を複雑に見せている。こちらに都合のよい幻想を手放してはいけない。それ以上踏み込ませないよう、細心の注意を払わねばならないのだ。
「……シュッツェ・ブラウスト、退室を命じる。本部へ帰って、団長の顔でも見ながら積もる話をしてくるがいい」
沈思黙考の結果、選んだのは最低な命令だった。なんの芸もひねりもない、これではビビっていると侮られても仕方あるまい。
だが口調を改めて低く言いつけると、シュッツェはむっと秀麗な顔をしかめた。
「だからぁ、僕あのおじさんと話したいこともないんですけどねぇ。どうせまた冗漫な式を書き散らかして、公式がどうだ定理がどうだってやってるんですから、あの魔導オタクは。……まぁいいや。ではメイ、御前を失礼しますよぉ」
そしてぱん、と膝を叩いてから舞うような軽快さで立ち上がり、壁際の黒竜騎士へ片眉を上げてみせる。そのまま振り返りもせず扉の向こうへと歩み去る背を、メイは視線だけで追った。
「……私が言うのもなんですが、人間じゃありませんね」
コーキのつぶやきは平坦で、それだけに彼の膨れ上がった敵愾心をうかがわせる。メイは吐息で応じ、背後の騎士はかわらず無言だった。
メイもコーキも、黒竜騎士本人も――黒い帳の下に完璧に隠した素顔を、気配だけで悟られたことに気づいていた。