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魔術師組合  作者: れもすけ
第一章 受難
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 冬の休暇も明けて初日の朝、ネーナ・ヴァス需品課課長補佐は組合の通常業務に戻るべく元気いっぱい通勤途上にあった。

 丘の上に建つ宮城の白い輝きを正面に、石畳の大路をひたすら歩く。弱々しくとも確かな陽光が東の空から差し込んで、キンと冷たく澄んだ空気にやわらかな匂いを含ませた。湯屋から落とされた湯が運河に流れ込んで、川幅いっぱいにあたたかく白い煙を噴き上げる光景もこの季節ならではだ。


 早朝のこの時間、都を放射状に走る大路は馬車の車列でちょっとした混雑を見せる。

 彫刻や垂れ飾りと家紋入りのプレートで派手に主張する車体は女王宮へ参内する貴族、地味を装った高級素材の車体は商人を乗せている。宮城内の官舎でもなく、二番街の豪邸街に住むでもない中級軍人は、馬車でなく馬に乗って混雑に拍車をかけていた。


 それを横目に歩道を闊歩するネーナの服装は、白いブラウスにハイウェストの黒いスカート、黒い腰丈の上着と、組合の制服でフル装備だ。襟元に締める赤いリボンは職場のロッカーに突っ込んである。義父のくれた高級コートのおかげで魔術師組合の職員であることが隠され、通行人から余計な憧憬の視線を向けられないですむのがいい。

 それでも栗色の長い髪をなびかせ、足取りも軽く歩むネーナは人目を引いた。しかしいまは朝食に食べたペストリーの味を思い出して陶然としていたので、本人がそれに気づくこともない。


 三番街の職場を目指して歩いていると、四番街の街門を越えたあたりで後ろから声をかけられた。

「おい」

 という遠慮も愛想もまるでないその声には、覚えがあるなどというものではない。ネーナは渋々立ち止まり、襟の毛皮に頬を埋めるようにして振り返る。

 果たしてそこには、親愛なる組合長秘書の姿があった。


「……おはよ」

 口の中から消え去ったペストリーの味を惜しみながらも、朝の対面にふさわしい挨拶を述べる。落ちこぼれとはいえれっきとした社会人であるからには、好かない男にも挨拶くらいはするのである。

 ジールはわずかな光でも吸収してキラキラと輝く淡い金髪を揺らし、ネーナの前に立って眼鏡の縁を押し上げた。冬の空気にも負けないくらい、冷たい表情のままで。


「新年最初の仕事から職務放棄とはいい度胸だ。服務規定違反で減給されたいか」

 いきなりかよ、とネーナは唇の端で舌打ちした。悪夢と化した即売会の昨日、異常事態に巻き込まれたまま会場をばっくれたから、彼に面と向かうのはこれが新年一発目だ。なんかもっと言うことあるだろ、と思いつつ、ネーナは歩き出した。

「あんたパパの秘書だろ、給与査定も仕事のうちかよ。それとも隠れ監査のバイトでもしてるわけ」

「朝っぱらから可愛くないことを。やらんぞ」


 意味不明な言葉に訝しく思って顔を上げると、ジールは眼鏡に触れていた手の中に小さな紙包みを握っていた。見覚えのあるそれに、ネーナは口いっぱいに唾液があふれるのを感じた。

「やだなぁ、ちょっとした社交辞令じゃないか。よこせこらっ」

 満面の笑みで瞳を輝かせ、ネーナはジールの手から包みを奪おうと跳び上がる。だがそれほど背の高くないジールが相手とはいえ、手を掲げられてしまうと、同じく背の高くないネーナには届かない。


「埋め合わせは?」

「は?」

 ジールの胸倉をつかんでぴょんぴょん跳ねながら、精一杯手を伸ばす。彼はその手を頭の上で捕まえて、ぐいと顔を近づけてきた。

「おまえの代わりにこの俺が撤収まで働いたんだぞ。無事に休日手当てがほしかったら、感謝を示してほしいものだな」

 楕円の眼鏡の奥に青緑色の瞳を覗き込み、ネーナは鼻に皺を寄せて顔をしかめた。


「アリガトウゴザイマス。はい感謝した、それよこせ!」

 胸倉からはなした手で、紙包みを奪い取る。逆の手はつかまれたままだったので、歯を使って紙をやぶいた。その若い娘にあるまじき粗野な仕草にジールはため息をついたが、ネーナはおかまいなしで包みの中からこぼれたものに歓声を上げる。


 ネーナの口でちょうど二口ほどの大きさ、薄い生地にジャムを挟んで焼いたパイ。仕事がある日はこうして毎朝ジールがくれる、ネーナの大好物だ。休暇中はもちろん会わなかったので、実に十日ぶりの味だった。

「久しぶりぃッ! いっただきまーす!」

 恥じらいもなく大口開けてかぶりつくネーナを、ジールがつないだ手で引っ張った。ふ、と長く吐き出された白い息に彼を見上げると、その横顔は微笑んで見えた。錯覚か、と目を瞬いているネーナに気づく様子もなく、ジールは正面を向いたまま規則正しく歩いている。


 目に優しくないキラキラの金髪と青緑色の瞳。北方の大国ダリトス出身の特徴も顕著なこの男は、真っ黒なインバネスの襟を飾る炎と杖の紋章で、隣に並べばせっかく一般市民にまぎれたネーナをも目立たせる。まぁ本人がそこそこ綺麗な顔をしているのも一因、ということも認めないではない。あの国の人間は、大抵が細面でバランスのよい顔立ちなのだ。


 ダリトス人の割には中背だ、バニーのほうがよっぽどそれっぽい、と頭の中で相棒を金髪碧眼にしてみて、あまりの似合わなさに吐き気を覚えた。

 脳内の口直しに二つ目を要求する手を突き出せば、無言でそれに応じてくれる。いつかジールのポケットを引っくり返してあさってみよう、とネーナは心に決めていた。一体いくつ菓子の包みを仕込んでいるのだろうか。

 だが二つ目も飲み込んでから尋ねたのは、別のことだった。

「ねえ、これどこで売ってんの? いい加減教えてよ」

「俺の縄張りを荒らされたくないから秘密だ」

 毎度お決まりの回答に、ネーナはぶうとふくれた。


 ジールがくれるおめざは決して珍しいものではないが、ネーナの知る限り最も美味だ。パイもジャムも絶品なのだから、きっと他の菓子も美味いにちがいない。しかしジールは絶対に店の場所を教えてくれないのである。

「ケチな男は嫌われるよ」

 仕返しに自慢の怪力で手を握りしめてやったが、ジールは眉一つ動かさない。かわりに空いた手を伸ばしてネーナの頬に触れ、口元の菓子屑を払ってくれた。

「女ウケを狙うなら、まずおまえにやらない」

「あっそ」

 ネーナはおとなしく菓子屑を払われながら、ブーツの踵でジールの脛を蹴飛ばした。


 この眼鏡の悪魔とは、二年前、組合に就職したときからのつきあいだ。幼い頃世話になった孤児院を経営する貴族の後見は、魔導学院の卒業とともに打ち切られ、成人前だったネーナには新たな身元引受人が必要になった。そのとき養子縁組を申し出てくれたのが、組合長だった。

 あまりに悲惨な成績を残して学院からとんずらしたネーナを哀れに思ったか、それともこんなイキモノを卒業生として社会に放つことを不名誉だと思ったか。学院総長でもある義父の立場を考えれば、後者であることは確実だろう。


 とにかくも戸籍上の親となったチョビ髭親爺にくっついていたのが、このジール・バルツァーという秘書だ。正式な組合職員である総務課の秘書とはちがい、彼は個人契約によって昼夜を問わず常に組合長の傍らにいる。必然的に、ネーナと過ごす時間も多くなるというわけだ。特に一人暮らしを始めた一年前からは、四番街の入り口で合流して一緒に出勤するのが日課になっていた。


 握ったジールの手の中に指先を丸め込み、そのあたたかさにほっとする。寝不足気味で頭はぼんやりするし身体は火照っているのだが、ネーナは指先が異常に冷たい。寒いのも大嫌いだ。ジールのことは別に好きでもなんでもない、というか天敵とすら思うけれど、この時期だけは手をつなぐ相手がいるのは悪くなかった。

「ねえ、昨日って売り上げどんくらい?」

 ガラガラと騒がしく車輪を鳴らす馬車に負けじと声を張る。ジールは少し考えて、顎先を長い指でつまんだ。

「需品課の年間総売上の約三割」

「げっ、マジ?」


 頭の中で咄嗟に鍋何個分だろうと考えそうになり、やめた。組合で扱う需品の多くは組合員への貸与品だし、売るとなったらそれこそスプーン一本から給料何年分もの魔導具まで種類は豊富だ。

「うちの売上なんて一定してないじゃないか」

 二年間しか在籍していなくともそれくらいはわかる。ネーナはなんの参考にもならない引き合いにむっとした。

 ジールはくす、と知覚のぎりぎりでかすかに笑っただけ。

 後は会話もなく、ただ歩いて職場へと向かう道のり。だがネーナは、この時間が決して嫌いではないのだった。



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