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魔術師組合  作者: れもすけ
第二章 太子の事情
11/19

 若くして既に七年のキャリアを持つ若い騎士が出て行くと、その直属の上役は限りなく空に近い酒瓶を執務机の隅に置いた。ファイスのために振る舞った酒だったのに、結局ほとんどコーキが飲んでしまったことになる。新しく封切った瓶は死守しようと心に決めた。

 コーキはファイスを「チビすけ」と呼ぶが、先ごろ二十歳を迎えた彼は決して小柄ではない。むしろ平均より上背があるし、コーキと並んでも少し高いくらいだろう。書類仕事が多く文官寄りのコーキに比べれば、腕や腹もしっかり鍛えている。

 ここ最近は大分落ち着いているようだが、都へ帰れば七番街に潜り込み、喧嘩と女遊びに明け暮れていた時期もあった。孤児院を脱走してからメイに拾われるまでの数ヶ月を白状させれば、表面をさらっただけでも壮絶な話になる。精神的にも決して幼いところなどない。


 だがファイスのそういう不安定で尖っていた青い時代を知っているコーキは、いつまでたっても彼を子ども扱いした。十と離れていないのに、可愛くて仕方がないのだ。

 自分とて赤裸々な子供時代を知られてはいるものの――そういうご寵愛はいらないな、と真顔で考え込んでいたら、コーキに笑顔で後ろ頭を叩かれて前にのめった。

「……コーキ」

「はい?」

 地を這うような低い声で呼んだら、眩いばかりの笑みを向けられた。怖ろしさのあまり、見なかったことにする。


「そうそう。チビすけをおちょくるのが楽しすぎて忘れていましたが、騎士団本部で、あの不良騎士に総長殿よりよほど有益な情報を流してもらいましたよ」

「不良?」

 と言われて、両手の指では足りない数の顔に思い当たるあたり、実はトランティア騎士団というのはろくでもない集団なのかもしれない。

「白鷹の魔剣士。我らがチビすけのご友人です」

 メイの脳裏に、先ほどここでにこにこと悪意を撒き散らしていた青年の姿が思い浮かんだ。

 片眉を上げてみせるコーキの声が皮肉の色を滲ませるのは、白鷹騎士団がいっかなメイに服従の姿勢を見せないからだ。さりとて、女王の忠実な犬でもない。七年前、突然その地位を返上して城を去った前の団長、ダーレン・グラヴィールに獲られたままの駒。

 白鷹騎士団は、特務にあたる一部を除き全員北の国境に追いやったはずだった。つまりあの魔剣士が都に舞い戻ったのは、現団長クリス・ラズロの独断か、あるいはダーレンを通じた騎士団総長の意向を受けてのこと。無論、後者の可能性が極大だ。


 少し乾いた唇を指先でなぞってから、メイは両肘をついて手を組んだ。その傍らに姿勢よく立ち、コーキが続ける。

「ファイスの考えなしな行動は、案外大きな波紋になっているようですね。グラヴィール殿ですら予測不能だったのですから、意図が読みにくいとはいえあちらの対応は後手後手です」

 それはいい。あの親爺が苦虫を噛み潰した顔をしているかと思うと、ちょっと愉快だ。

 ネーナを求めるファイスの執念深さは、他ならぬ自分が一番よく知っている。だが昨日、あの闘技会の最中(さなか)、あれだけの人ごみの中からどうやって発見したか、彼女を見つけたファイスが飛び出して行ったのは自分にも想定外だったのだ。その上バカげた口実で彼女をこちらに引き入れて戻ってきた。

 正直突然すぎて対応に困ったが、もともとネーナをダラハーガの塔に連行するのは計画のうちだったのだ。拉致や誘拐という手段も考慮に入れていただけに、いまのこれは歓迎すべき状況といえる。ただそれを正直に表現して賛嘆するには、ファイスの行動は浅薄すぎて嫌味の一つも言わずにいられなかっただけのこと。


 とにかくこれで事態は待ったなしで動き出す。

 ただ問題は、飛び入り参加の役どころだった。コーキいわくの、我らがチビすけのご友人、だ。

「シュッツェ、か……」

 何度口にしても舌になじまない名前をつぶやけば、思いのほか胸に沈む憂鬱を持て余す。他の白鷹騎士同様、表立って反発するわけでも、命令に背くわけでもない。かといって、ダーレンやラズロに心酔している様子でもない。なにを考え、どう動くか読めない男。

 ダーレンの秘蔵っ子、といったら、一番弟子を公言するラズロが気を悪くするか。

「つかみどころのない人ですからね。嘘は言わないけれど、余計なことまで言う癖がある」

 コーキが珍しく憮然としているのは、軽薄な言動と間延びした話し方で相手を翻弄する、白鷹随一の魔剣士の顔を思い出しているからだろう。気持ちはわかるが、ある程度の接触はやむをえない。

「情報を流す気があるのならさっき言えばよかったのに、あれは嫌がらせですね。――ファイスの姫君が、あの毒気にコロリとやられなければいいのですが」

 顎を上げたコーキの笑顔の、種類がかわる。白鷹のシュッツェ・ブラウストといえば、色気のある垂れ目と泣き黒子が売りの、それは綺麗な顔の男だ。しかも本人もそれを自覚していて、最大限に活用する術を心得ている。

 こちらとしても、せっかくダーレンを出し抜いて引き入れたネーナを色仕掛けでさらわれるのは業腹だ。駄々漏れの色気に惑わされる娘には見えなかったが、免疫がない分どう転ぶかわからない。


 メイは頭の上に手を組み、どさりと背もたれに寄りかかった。

「有益な情報、とは?」

 せがまなければ教えない。コーキの無言の宣言に諸手を挙げ、メイは尋ねた。コーキはちらりとこちらを見やり、軽く咽喉を整えて高く声を張る。

「――犬の鼻は鋭いって言いますけどぉ、案外大したこともないみたいですねぇ」

 あからさまにだれかの口調を真似たそれに、メイは凍りついた。ぐっと眉を寄せ、頬をひきつらせ、亡霊でも見たように目を瞠って。

「ああ、気に病むことないですよぉ。その程度だってことはもう……ねえ?」

 こちらの心情などおかまいなし、恐ろしいほど上手に口真似を続けたコーキに、メイの右手は無意識に拳大のサファイヤの原石を削った文鎮をつかんでいた。左手は、さてなにをつかもうと宙を彷徨う間に、コーキの声色が元に戻る。

「……この時期あなたの犬の鼻が鈍いというなら、それは銀狼騎士団がバルファイの間諜に国境を素通りされたという意味でしょう。そして白鷹は、その一部始終を眺めていた。眺めているだけで、なにもしなかった」

 次の瞬間、コーキは一切の表情をなくして顔から血の気を引かせた。そしてメイの執務机にすっと拳を振り下ろし――哀れ頑丈な紫檀の机は轟音を上げて真っ二つに裂け、目の前で突如生まれたクレバスに向かって、書類やペンやインク瓶といったものが雪崩を起こした。結局、サファイヤの文鎮しか守ってやることができなかった。


「北の大砦の責任者はだれでした? いますぐ呼び戻して宮城門の上で歌わせてあげましょう。大丈夫、私は常々失職したら首切り役人になろうと思っていましたから、痛い思いはさせませんよ」

「とりあえず落ち着け、コーキ!」

 宮城門の上で歌う、といえば、斬首刑に処せられる罪人の最期の言葉を聞くという意味にほかならない。

 扉の向こうから、メイ、と気遣わしげな声がかかった。夜間警備の赤豹騎士だ。あれだけの轟音を聞けばだれでも驚いて飛び込んでくるところだが、この部屋にはいまコーキがいる。黒竜騎士が指先を弾けば、侵入者の首など刹那の内に軽く飛ばせる。無論、家具の一つくらい簡単に粉砕できるのだ。

「ああ、なんでもない!」

 思わず口走れば、コーキの吹雪より冷たい視線がキンと頬に突き刺さる。そうだ、確かになんでもなくないことなど、後になれば丸わかりだ。その場しのぎの安い誤魔化しだ。だがおまえにだけはそんな目で見られたくない、と抗議する勇気は、メイの中から売り切れていた。


 ふん、とばかりに鼻を鳴らした筆頭殿は、メイが死守を誓ったものの無残に落下した酒瓶には目もくれず、キャビネットから新しいものを取り出すと、親指一本でコルク栓を吹き飛ばすなり豪快にあおった。天井に尻が向くほど傾けられたそれは、みるみるうちに水面を下げていく。

 メイはため息混じりに舌打ちした。この際、コーキの気持ちはよくわかる。遠く熱帯の藩王国イデアラから、大枚はたいて仕入れた机をゴミにされてもゆるせる程度には。

 銀狼騎士は決して無能ではない。北の大砦は最前線だ、特に優秀な連中ばかりで編成した部隊を送っている。その下の警備隊もよく訓練されているし、バルファイ軍の特異性も熟知しているはずだった。

 その彼らが出し抜かれたことにすら気づかず、シュッツェが裏情報として密告してくる。

「……物理的な防備では限界か」

 まるで己の能力不足を衝かれたような口惜しさが、つぶやきに隠せなかった。

「いえ。むしろバルファイの動きに二つの系統がある、それが明確になったということでしょう」

 一つでも収穫があったと思わなければやってられない、そんな憤懣を声ににじませ真横に立つコーキを、メイは気だるく見上げた。薄茶の瞳をまっすぐ前に向け、背後で手を組む姿勢は考え事をする彼の癖だ。その手に酒瓶が握られていることはあえて無視する。


「バルファイは十年前――ネーナ嬢がバルファイから連れ出されたのと時を同じくして、国境に軍を展開させました。それきり動く気配も見せなかったものが、ここに来て急に魔導的な方法でトランティア国内への侵入を果たす。が、バルファイの魔術師は一時全滅したとされており、それを新たに育成する機能は現在も壊滅的な状態です」

 バルファイ各地の塔は王が代替わりする度に粛清され、生贄のように魔術師たちが虐殺された歴史を持つ。そして、おそらくはダーレンがバルファイ国内で動いたことが原因であろう大虐殺で、完全に根を絶たれたとメイは考えている。

 しかし、たとえ塔や「普通の」魔術師が存在しなくとも、魔導士は絶対にいる――自分の持つ常識に照らし合わせて、メイにはその確信があった。


 魔術師の多くは「循環型」と呼ばれる魔導力を持っている。一般人にはとても観念的で理解しにくい話だが、大まかにいって、己の内から湧く魔導力が体内で循環しているだけなのだそうだ。魔導式を使っても、せいぜいが魔法界の上っ面に流して戻す程度しかできない「閉じた」力なのだという。

 しかしごく稀に、数千人に一人か二人の割合で「放散型」として区別される魔導力を持つ者が生まれる。文字通り力が外に向けて解放されようとする体質で、だから魔導式を具現化して攻撃の手段に転化できる魔導士は全員が放散型魔導力の保持者であり、魔導士の絶対条件である。つまり武器に式を乗せて撃ち出す魔剣士も魔導士の一種で、「魔術師」という括りの中で区別されているだけだ。

 ただ、魔術師になるかどうかを選択できる循環型とちがい、放散型には魔導士になることでしか生きられない事情があった。


 魔導士が総じて優秀なのは、幼いころから厳しい訓練を積んでいるためだ。目的は、その能力が外に漏れ出すことによって生じる様々な問題を、完全に制御すること。

 最も深刻な例は、出口を見つけられなかった力が体内に蓄積された末に起きる。早期の段階で微熱と倦怠感が続き、ややすると周囲のものが手も触れられずに壊れ始める。それを放置しておくと、やがて体内で膨れ上がった魔導力が一気に解放され、爆散する。


 式を用いて毎日少しずつ解放すればすむことなのに、周知徹底のされない地方の小村などでは、これが原因で子どもが家を吹き飛ばしてしまうという事故が時折起きた。大抵は我が子が値千金の稀少な能力者であると知らず、原因不明の病と思い込んで献身的な看護をしている父母が、爆発に巻き込まれて命を落とすのだ。

 後に偉大な魔導士として名を残した者の多くが、家どころか集落一つを壊滅させて自分の魔導力に気づいたという苦い逸話を持っていた。

 塔は一般的な魔術師を育成することを大きな目的としているが、卵のうちに魔導士を見つけ出し、不幸な事故を防ぐことにも力を注いでいる。どの国でも、設立には名のある魔導士が尽力するという経緯も無理からぬことだった。


 魔導力の型がコントロールできない先天的な資質である以上、たとえバルファイに塔が存在せず、循環型が教育を受けられずに魔術師になることができなくても、必ずどこかに放散型魔導力の保持者はいるはずだ。そして地下に潜った先達の手によって導かれ、自他ともに安全に生きていく術――魔導学の知識を身に着ける。それが結果として、新しい魔導士を生むことになるだけのこと。

 しかしいまはもう、もし彼らが生き残っていたとしても、バルファイ王家に従う魔術師は皆無だろう。自らの命を危うくしてまで、一触即発の前線を刺激するような任務を受ける義理も忠誠もあるわけがない。

 だからこそ北へ送る部隊は魔術を介入させない、銀狼騎士を始めとした重装歩兵を中心に編成したのだ。戦況を有利にするため白鷹も投入はしたが、実際の戦闘は想定しておらず、プレッシャー要員程度の気持ちだった。都をうろついて目障りなダーレンの鼠を遠ざける理由が、それくらいしかなかったともいう。


 他でもないその白鷹騎士が、侵入者の存在を嗅ぎ取ったというのだから皮肉な話である。

「存在しないはずの王家の魔術師が、我が国きっての魔剣士の張った網を揺らした」

 コーキが落とした小さなつぶやきに、メイは目を閉じた。

 バルファイに息づく幻。西大陸最古の魔導士たち。国創りの神話に名を刻む、神と人の混血の双子――。

「……真王、か」

 その名を口にした瞬間、メイの背を冷たいものがなでた。首に手を回され、自分の命がだれかの気まぐれで奪われてしまいそうな、恐怖に似た錯覚を覚える。

 峻峰を連ねる長大な山々を隔てた北の向こうに広がる王国、バルファイ。

 かつて魔導力が神の手に成る奇蹟だった時代、その輝ける源として大陸全土に君臨した聖魔法王国。

 国都バルフィクスに鎮座するのは三人の王。一人は当然国政を司り、表舞台にあっては代々揃って戦好きの暴君だ。真王と記号的な呼称で通るあとの二人は、王宮の奥深くでただ永遠の時を生きるという。

 しかしトランティアの周辺諸国は独自の調査を進めた結果、真王実在の確度は低いと踏んだ。王宮最深部にあたる区域には数十年に渡って人の出入りはなく、真王たちの姿をその目にした者もいない。やはり神話の住人だった、というところが現在の定説だ。

 ただし、トランティアは異なる見解を捨ててはいなかった。

 ――真王は、いる。


 静まり返った室内に、沈黙が塵のように降る。それが床まで舞い落ちる前に、メイは頭を振って無理に口を開いた。

「上等だ。歯車が回り始めたことは百も承知。うちの色男が力任せに回してくれたんだからな」

 陽気を装うその声に、腹心の黒竜騎士は調子を合わせて笑った。

「グラヴィール殿がどういうつもりでネーナ嬢を押さえているのかは、考えてもわかりません。あの方には秘密が多すぎる。ですが彼女が危険な存在であることだけは明白です。ならばこちらは、模索してきた方法を実践に移すだけのこと。幸い、チビすけのでっち上げも見ぬ振りをしてくれたのでしょう? ならばさっさとダラハーガへ移送してしまえばよいのです。くれぐれも、グラヴィール殿に悟られぬ内にね」

「だがダーレンはあの娘をこちらの手駒と考えてよい、と暗に示したわけだろう」

 でなければファイスの手荒い返礼を受けてすぐ、メイに抗議するなりなんなり、とにかく反発の意思を示しているはずだ。

「ネーナ嬢の身の安全が確保されれば、という暗黙の条件はかわらないでしょう」

「だからあらかじめあいつ(・・・)を組合に送り込んだんだ。昼間は昼間で、真面目に働いて給料までもらっているそうだぞ。おかげで寝る暇もないと、ぶうぶう文句を言われる」

「そういえば、彼は昨日闘技会に来ていましたね。組合長の親馬鹿ぶりが手に負えないと言っていましたが……ご自分も随分とネーナ嬢を甘やかしているようです」

 夜間の警護も兼ねて、ダーレンに奪い返されぬようネーナの監視は強化したが、本人の自覚がないままでは危うい。といって、いまさら身近な人間が陰謀と計略のみで自分に近づいたと知るのも哀れだ。

 魔術師組合への潜入を命じた()が、最後までうまくネーナを騙してくれればよいな、と、メイはらしからぬ感傷を覚えた。


「……総長殿の報告書を、ざっと流し読みしてきましたが」

 は、と息をついて、コーキがようやく本題に入った。彼をしてこれほど覚悟が必要な話題かと思えば、おおよそを察してはいても気鬱が募る。

「バルファイ王家の系図に残っている直系の王族はすべて女性。歴代の王は王女との婚姻を経て即位していました。そして過去逃亡あるいは失踪した王女というのは、意外な数に上ります」

 口調を改めたコーキに倣い、メイも椅子の上で居住まいを正した。真っ二つになった机の前では、いかにも格好がつかないが仕方ない。

 報告書、と一口にいっても、それはここ数十年分をまとめたものだ。噂ばかりが先行するあの国のことは、注意深く時間をかけて探らなくてはならない。


 メイは話を促すためにコーキの顔を見た。彼らしからぬ、沈鬱な表情を浮かべていた。

「現王の子は五人姉妹ですが、ある時期前後して三人が行方不明になりました。今回の調査で判明したのはその順番です」

 他国人の出仕を拒むバルファイ宮廷、しかも後宮の中で起きた事件や事故は外部に漏れにくい。王女の失踪は大事件なのに、たかが時期の特定にすらこれだけ手間取るのだ。情報に正確を期すといえば聞こえはよいが、推論を事実に格上げするためにかかる時間がもったいない。

「十五年前に第四王女、十六年前に第五王女、そして十八年前の第二王女。グラヴィール殿が都に帰還したとき、ネーナ嬢は七歳だと孤児院の院長に語っていますから、第二王女の時期があいますね。ほぼ確実でしょう」

「――そうか……」

 そうか、と、メイはもう一度小さくつぶやいて目を閉じた。


 栗色に波打つ豊かな髪。褐色の瞳。なにに対抗しているのやら、小さな身体いっぱいで敵愾心を燃やしていた勝気な娘。空色の瞳の騎士が、命にかえてもと望んだ娘。

 ダーレン・グラヴィールは、良くも悪くも目立つ人物だ。素性も生い立ちも謎だらけでありながら、王婿殿下の昔馴染みにして当時の宮廷でだれよりも強い影響力を持っていた男。魔導士としての実力もさることながら、偏屈揃いの白鷹騎士を残らず魅了し――宮廷を退いてなお支配下に置くカリスマ。

 ある日突然トランティアから姿を消し、数年後、少女を抱えて戻ってきた。

 その彼が連れ帰った少女の素性を、王府も手を尽くして探らせた。結果、二人がバルファイから入国したことだけは判明したが、当時それ以上のことはなにもわからなかった。ダーレンはただ孤児院に彼女を預け、以後三年、一切の関わりを絶っている。

「――――」

 そっと、重い瞼を押し開く。そこにまだ、あの娘がいるような気がした。


 やはり殺しておくべきだったのかもしれない。

 ダーレンが彼女との接触を断った三年間、あのときならいくらでもそうすることができた。だが当時はまだ彼女の身元が明らかでなく、ダーレンの子ではないかという憶測もあり、得体の知れない男への切り札になるならと様子見をしたのが間違いだ。

 ファイスをぶん殴ってネーナを孤児院から取り戻したダーレンは、そのまま彼女を魔導学院に押し込んでしまった。あそこは塔とは別の意味で、王家の手出しができない場所だ。ずるずると時間ばかりが過ぎ、最近になってバルファイ王家の影が浮上した。

 十八年前失踪した第二王女は、ネーナの母親かもしれない。父親に関する情報は皆無だ。彼女の外見的な特徴から推察するにダーレンではないだろうが、それも確かではない。だが父親がだれであっても、母親は第二王女であると、少なくともバルファイは確信している。


 メイの思考を補完するように、コーキが口を開いた。

「第二王女は、公に現王の娘です。王孫誘拐の報復行動を旗印に掲げられたら、同盟国の支援も得られません。実状はともかくグラヴィール殿はいまだに王府と深い関わりがあると目されていますし、実際ネーナ嬢の所在を我々は早くからつかんでいました。なにしろ行方不明だった御仁が突如都に現れたばかりか、あのグラヴィール殿が、血相変えて、よりにもよって孤児院に担ぎ込んだ子どもですから」

 端々を強調する言葉に、当時を思い出す。宮廷を揺るがす派手な事件だった。

 孤児院の支援者であるカーロ子爵のことも随分調べたが、魔導力もないのに、魔導学に必須である古バルファイ語の研究に心血を注ぐ変わり者、ということしかわからなかった。孤児院そのものも、塔や学院との関わりを窺わせる背景はない。


 当時からバルファイ軍の行動は不可解だった。しかしなるほど、さらわれた王孫を奪還するために、国境まで出張ってきていたわけだ。犯人と王孫の居場所を特定し、トランティアに攻め込むための時期をうかがっている。ことの最初から、話し合いによる平和的解決の道はないと主張し続けていたのだ。

 ネーナが誕生したと思われる時期から、バルファイでは魔術師狩が横行し始めた。酸鼻を極めた虐殺の嵐、その標的がネーナを連れたダーレンであったと考えるなら、王孫誘拐犯として追跡されていたことになる。だがトランティアとの国交が断絶した状態で、軍が真っ当に関を抜けるだけの証拠を提示するには至らなかった。

 トランティア領内に逃げ込んでしまえば、ダーレンに怖いものはない。事実、その時点まで彼に猛追していたはずのバルファイ軍は国境で足を止めた。

 役者の顔ぶれと状況からして、孤児院に放り込まれた少女が無関係とはどんな阿呆も考えまい。それでもそのころは、彼女の出自についての情報が少なすぎた。

 しかし符合する王女の失踪、バルファイ軍がいまもって駐留し続ける現実、あのダーレンが彼女を監視してきた理由。それらを併せて導き出せる答えはひとつ。

 ネーナは、謎と悪意に覆われたバルファイ王、その孫だ。



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